+ ニュースサーチ〔新型コロナパニック〕







※mono....今からでもやらないよりはマシだ。状況が不確実なときは、「国境を閉じよ!」「都市を封鎖せよ!」「電車を止めよ。」対策は過剰だと思えるほどでいい
⇑(上記のメモ)この考えが完全な間違いであると総括する。私のパニック度が分かる文章。このまま残して置く。今はこの仕組まれた煽りに乗ってはならないという立場。まことに自身の不甲斐なさを恥じる。申し訳ない。2020.4.16
■ 「パラノイア(極度の心配性)の人だけが生きのびられる」 「CourrierJapon(2020.3.1)」より
『ブラック・スワン』ナシーム・ニコラス・タレブが緊急提言
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リーマン・ショックを予見した元トレーダーのナシーム・ニコラス・タレブが新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、仏誌「ル・ポワン」の独占インタビューに答えた。

ホワイトハウスに対して、過去14日間に中国での滞在歴がある人への検疫実施を推奨したというタレブは何を語るのか。

(※mono....ナシーム・ニコラス・タレブ氏の経歴等の紹介記事は略、詳細はサイト記事で)
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「見くびってはならない。隔離措置は当然だ」


──今回の公衆衛生の危機がきっかけでグローバル化に対する見方が変わっていくのでしょうか。

『ブラック・スワン』を書いてからそろそろ13年ですが、あの本では、この地球上に孤立した場所がなくなり、情報の経路が爆発的に増えたことで、富と権力の集中が起きていると書きました。感染症のことを考えると、この地球上に孤立した場所がないという事実は恐ろしいです。感染症が広まる速度が以前より大幅に速くなる可能性があるわけですからね。

ただ、重大な疫病が発生し、その疫病の毒性の強弱が不確実なとき、逆説的ですが、やるべきことは、はっきりしています。

今回の危機もそうです。ファット・テール(平均から極端に離れた事象の発生する確率が、正規分布から予想される確率よりも高くなる現象)には用心が必要です。パンデミックのリスクを警戒することは、少しも問題視すべきことではありません。

ホワイトハウスの職員の要望で、私はジョゼフ・ノーマン(データサイエンティスト)とヤニール・バー-ヤム(ニューイングランド複雑系研究所の所長)とともに論文を書き、次のことを説明しました。

医者は、相手が一人もしくは少人数の集団なら、何が起きているのかを適切に理解できるけれど、相手が大規模な集団だと、何が起きているのかを把握できません。私たちは過去14日間に中国での滞在歴がある人に検疫を実施すべきだと推奨しました。私たちの論文がホワイトハウスで読まれた数時間後、それが実行されたのです。

論文を書いた1月26日の時点では、公式に発表されていた感染者数は1000人でした。その3週間後、いまこうして話している時点での感染者数は6万4000人です。掛け算で増えていくものは、いついかなるときも見くびってはなりません。とりわけ「交通事故の死者数のほうが多い」といったインチキな比較は避けるべきです。交通事故は掛け算で増えていかないのです。

──今回のコロナウイルスは新型だということが私たちの不安を煽っている気がします。季節性インフルエンザのような通常の伝染病には、これほど不安が高まりませんからね。

季節性インフルエンザは死者数が極端に大きく膨れ上がらないということが、だいたいわかっています。それに対し、新型ウイルスは、その辺のことがわかっていません。そこが大きな違いなのです。既知のものではなく、未知のものを考えなければなりません。そこを取り違えるのは、深刻な間違いです。

季節性インフルエンザはコロナウイルスのように増えていきませんし、仮に増えたとしても軽症で済みます。論文では、この種の出来事に直面したら、最悪の事態に備えるべきだと書きました。そうせざるをえないのです。

──中国政府もタレブさんが推奨されたこととほぼ同様の措置をとりました。あれは正しい措置だったとお考えですか。

当たり前です。ただ、隔離措置はもっとスピーディーに進めていくべきだったし、ほかの国でもやっていくべきです。

「不確実なときはパニックせよ」

{──お話を伺っていると、すべての病気に対してパニックを起こすのが当然だと言っているようにも聞こえます。
}
どんな状況になったらパニックすべきなのか、その目安となる条件を見つけました。それはどんな状況かというと、毒性や致命率がファット・テールのときです。疫学の研究者はモデルを作って、感染の広まり方を見ますが、私たちは単に結果、統計だけを見ました。致命率といった疫病の毒性が非常に不確実なときはパニックすべきです。

──エボラウイルスはパニックすべき条件を満たしていたということですか。

(※mono....以下は有料記事のため転載不可。けど箇条書きします)

  • いま対策を打つほうが、あとで対策を打つよりも安くつくのです。私は「どうせパニックするなら、いまパニックしろ」という自作の警句で自分を戒めています。
  • 長期的に見れば、パラノイア(極度の心配性)の人だけが生きのびられるのです。パラノイアがなければ、生存もありません。
  • 政治権力を分割して小規模なものにして、個人との距離を近くすべきです。この規模の問題は、今回の危機とも密接に結びついています。たとえば小さな国家であるシンガポールは権威主義体制ですが、住民と権力者の距離が近いので、市民の抗議はありません。

  • 経済がグローバル化した現状では、サプライチェーンへの打撃は必至であり、金融市場への影響は甚大なものになります。中国の工場を止めると、地球の反対側の工場での生産も止まります。
  • サプライチェーンが切断されると、製品を仕上げられなくなります。コストを切り詰める目的でこの種の最適化がおこなわれますが、レバレッジをかけすぎると脆弱な部分が出てきてしまいます。




■ アジア人差別も始まった新型肺炎の大パニック - なぜ国籍・民族と感染症を同一視するのか 「東洋経済(2020/02/03 16:00)」より
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新型コロナウイルスによる肺炎が中国から世界へと拡散し、日本でも感染者の数が増加している。ヒトからヒトへの感染が確認されたことから、「コロナパニック」というべき恐慌状態が起こりつつある。全国各地のドラッグストアやスーパーでは、マスクが売り切れたり、品薄状態になったりしており、不安や恐怖に煽られた人々の動揺が見て取れる。

そして、遂にと言うべきか。北海道札幌市の人気ラーメン店や神奈川県箱根町の駄菓子店などで、中国人の入店禁止を告知する貼り紙を掲示するような動きが見られ始めた。

日本にとどまらず世界的な傾向に
(※mono....中ほど略)
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ロイターは、カナダやタイなどで中国系住民に対する差別や偏見が助長される事態になっていると報道。「ベトナムのダナンでは『あなた方の国が病気を広めたので、われわれは中国からの客へのサービスを提供しない』と英語で張り紙したホテルまで出現し、その後当局から張り紙を撤去するよう命じられた」というエピソードなどを取り上げた(新型肺炎で世界に「反中感情」広がる、入店拒否やネット誹謗も/1月30日付)。

またフランスでは、中国人が街中やソーシャルメディア上で差別的な言葉を浴びせられたと訴える例が続出しているとAFPが報じている。アジア人街で予定されていた春節のパレードが延期されたことに絡み、「外国人嫌悪が入り交じった集団ヒステリーがあり、フランスのアジア系住民に対する差別発言に歯止めがきかなくなっている。まるでアジア系住民全員が保菌者のような言われ方で、近寄るなと言わんばかりだ」という在仏中国人協会の関係者のコメントを紹介した。

実際にアジア系のレジ係の女性が接客を拒否され、「母国に帰れ」と罵られた光景を見た人からの証言も得ているという(「まるでアジア系全員が保菌者扱い」新型肺炎で人種差別相次ぐ、欧州/1月31日付)。つまり、このようなリアクションが世界各国において、中国人だけではなく「アジア系全体」へと波及し始めているのだ。

イタリアでは、有名な国立音楽学校が「東洋人の学生のレッスンを中止する」と発表。差別を懸念する声が上がった。もちろん、この「東洋人」には、中国人とともに韓国人、日本人も含まれている。かつて120年ほど前に「黄禍論」という白色人種による黄色人種に対する脅威論があったわけだが、それがさながら新型肺炎パニックというまったく別の装いで復活したような格好となっている。

なぜ国籍・民族と感染症を同一視する言動に及ぶのか。その深層にはどのような問題が潜んでいるのか。

「わたしたちはみな不安に襲われている」
社会学者のジグムント・バウマンは、今日のグローバル化が進んだ世界において、「わたしたちはみな不安に襲われている」と主張する。
(※mono....略)

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中国人が「危険の化身」となってしまった
このような心理的なメカニズムを今回の騒動に当てはめると、新型コロナウイルスという脅威があらゆるメディアを通じて喧伝された結果、「身体の保全」に関する極めて重大な事件と認識され、中国人が「危険の化身」として浮かび上がったといえる。

この場合、観光客として訪れている中国人と、現地で暮らしている中国人の差異は突如として消え失せ、その姿・言語・立ち振る舞いなどによって瞬時に境界線が引かれることとなる。それが日本においては、外国人のうちの「中国人」を差別する形で表れ、外国においては「中国人を含むアジア系全体」を差別する形で表れているのだ。

これは欧米において、わたしたちが考えているよりも「アジア系」が見た目で一括りされている事実とも符合する。前出の「アジア系住民全員が保菌者」として扱われる事態は、「正確に位置を示すことも名付けることも難しい恐怖」を、特定の集団からもたらされたものとして受け取ることを意味しているのだ。これは前述した通り究極的には誰もが「危険の化身」になりうる。

今後の進展の仕方によっては、同じ日本人同士でもこのような差別が行われる可能性があるだろう。中国では自国民から「武漢の住民や滞在者」を切り離し、後者を差別し始める風潮が表れたが、日本でも仮に集団感染が発生すれば、その町や村どころか、市や県の住民を丸ごとカテゴリー分けする事態が想定される。そうして差別的な対応が横行することだろう。

(※mono....以下略。詳細はサイト記事で)












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最終更新:2020年04月16日 06:42