@lennonist9746
赤城山で炭焼きをしていたサンカだが、裁判官や弁護士、政治家、高校教師等を輩出した凄い一族がいました。
@すなふきん777
サンカとは呼ばずに「箕ぃ屋さん」とか「籠売りさん」と呼んでましたが、今思うとサンカの末裔であったと思しき人達が昭和30年頃まで、毎年村にきていたと親に聞きました。マムシの黒焼きなども売っていたそうです。昔はサンカ以外にも、お遍路さん、門付けさん、琵琶法師さんなど、定住せずに村から村を渡り歩いて生活している人が多数あり、私の故郷の田舎ではそんな人たちを手厚くもてなすと自分の徳が高まると信じられていたので、決して粗末にせず仲良くしていましたし、喜んで一夜の宿を貸しました。だからか、物を盗んだり子を攫うようなことはなくそんな話も聞いたことがなかったのですが、もしかしたらもっと古い時代、他地域ではそんなこともあったのかもしれません。それというのも、やはり土地によっては、そういった人たちを著しく下に見ていた例もありましたから。
箕ぃ屋さんのこしらえる竹細工は、そりゃもう上等だったそうで、我が家に当時のショウケやバッチョ笠がまだあります。ものすごい精度で竹をわいてヒゴをこしらえ、さっささっさと編んでいたそうです。
@ryuusukedomon1570
昭和20年代に、赤城山山麓に山窩が存在していましたよ。子供たちは、地元の住民の稲作や畑作を手伝っていました。そのうち学校に通い始めました。山窩の大人たちは竹細工制作をして生計を立てていました。
昭和30年代に、前橋や桐生に移り住んで定住して行きました。
@セーラクルー-x1y
新潟県です。以前、地域の理科センター主催の野鳥観察に参加した時の事です。山の方に歩いて行く途中にある神社⛩️に立ち寄って、「ここは、山と平野の人々の住む場所を分ける境界にありました。定期的に市が開かれて、山の物と平場の物の交易が行われましたが、それ以外に交流する事は禁じられていました。」との説明があり、とても不思議に感じました。今思えば、その時の山の民って、サンカの事だったのかもしれないですね。
@ろく-q2b
30代です。自分でも馬鹿らしいと思っている話をさせてください。
2000年代初頭の小学生の頃、友達の家が山奥にあって良く遊びに行ってました。
友達の家の隣には家が2軒あってそのうちの1軒に学校でも見た事ない同い年くらいの子が2人居て何で学校に居ないんだろうと思って、友達に「何であの子たち学校に居ないの?」と聞いたことがあるのですが、友達は分からないと言っていました
またその子たちは見た目は完全に日本人で日本語を話していたのですが時々、聞き慣れない言葉(単語?)を話していて友達はその子の事をY君と呼んでいたのですが山の中の小さい学校なのにYと言う名前(名簿も見た)を自分は見つけることが出来なくて当時かなりモヤモヤしていた事を覚えています...
その友達の家には当時よく遊びに行っていたのですがその子は何時も家に居て父親も見た事あるのですが40代くらいのその辺にいる普通の日本人の顔でした。
なんだかこの動画を観た後だとあの子たちはサンカ3世くらいだったのでは?と思えてきます。
@中村治-u8s
サンカ「山窟」は当字で本来は山を下りた人「山下」かも知れず、古くは山奥でひっそりと暮らした平家落人や逃散民であり、何世代に渡って深山幽谷の足を踏み入れることも困難な地に定住し温暖な気候では山を下って現金や必要な品々と交換にきてた。
その間、体力の無い老人は家を守るために地元に残って僅かな野菜と穀類の栽培に従事してたのではないか?と新説は如何かな?
※ コメント欄も面白い。
古代ずんだミステリー
2024/12/0
00:00 サンカの謎に迫れ!
00:41 サンカの暮らし
10:14 サンカ研究の闇
18:24 サンカの正体とは?
28:42 サンカが消えたワケ
@666-v7z2x
余り言いたく無いんだが…サンカ部落の横に住んでいた…戦後に名前と住所を与えられた人達の長屋の直ぐ横に住んでました。家賃は昭和60年位まで300円位で竹細工で作った家賃箱が回って来て組長(皆は組長ではなく違う呼び名で呼んでいた)の家で採算を合わしていた(足りない分は組長が払っていた)住民の仕事は大工、土方、革細工、竹細工、893がいた。同じ市に同和部落がありあきらかに別物だった。彼等は同和を4で表し自らを3つと言っていた3つとは忍者の座り方片足片膝片手で3つ!周期的にパトカーが巡回したり遠くから監視していた、彼等は警察をホウスケと呼んでいた。仕事の事をゼブルと言っていた。部落の長に両刃のナイフ(ウメガイと言う)を見せてもらった事がある…部落の兄ちゃん達も持ってたり作ったり。その他世間とはあきらかに違う言葉があった。彫りが深く美男美女が多かった、目の周りが黒い人や障害者も居た。皆活発だった…これ以上の長文は止めます。
@arst-if7lq
私の父親は、今生きていれば90代半ばになるのですが、少年時代に河原でテント暮らしをしながら、竹細工などを売っていた人々がいたという話を、子供のころの私に語っていました。ちなみに場所は、薩摩半島北部の、今で言うところの『薩摩川内市』に含まれる部分かと思われます。その人々を『サンカ』とは言いませんでしたが、どういう呼ばれ方をしていたのかも教えてくれませんでした。こちらも小さかったのでね。今だったら根掘り葉掘り問いただすところなのですが。
@上田光一-l3g
父から聞いた話では、サンカは山の中を直線で移動していたと。
@b.m.fujioka4530
愛知県東部はサンカの伝説多いんですよ 魚取りをポンつくとかいうのも今でもあります。顔的にも徳川家康みたいな縄文顔が何故か多い
極めつけは「三河」
これ「サンカ」て読めませんか?
@redtower-w7b
漫画「カムイ伝」は、徳川の先祖がささらものだったって言う設定でしたね。それを虐げられた非人で忍者のカムイが暴くという。
※ コメント欄が面白い。
かつて日本の山のなかにはサンカ(山窩)と呼ばれた人々がいました。
幻の民族とも捏造された虚構に過ぎないともされるのがサンカですが、その実情は謎に包まれているのです。
今回は幻の民族、サンカについてご紹介します。
サンカとは何か
サンカ(山窩)という言葉
サンカという言葉は元来は警察が使う、山などにいる定住していない犯罪予備軍の人々になります。
近しい概念で言えば「山賊」を指す言葉であり、それ以上の意味を持ってはいない言葉です。
「不定住で山にいるよそ者」のことになります。
現在では差別用語として指定されているため、好んで特定の人々に使われることはありません。
つまりサンカとはそもそも民族名ではなく「警察からの蔑称」のことです。
サンカを民族と規定する根拠はない
サンカは「山にいる怪しげなよそ者」を示す言葉であり、ライフスタイルを定義します。
確立した民族名とは呼び難く、少なくともそれを示す信頼がおける証拠はありません。
サンカと呼ばれた人々は確かに存在しますが、一般的な暮らしから逸脱しているだけで、それ以外に独特の文化や遺跡を形成していた信頼のおける記録は見つかっていないのです。
サンカという言葉の最も古い記録は江戸時代末期
サンカという言葉がいつから使われ始めたのかは分かってはいませんが、江戸時代末期の文献に「サンカと遭遇して助けられたことがある」というものが今のところ最古のサンカです。
記述を残したは江戸時代末期~明治期の探検家である松浦武四郎(まつうら たけしろう)になります。
北海道の名付け親としても知られる著名な探検家であり、北海道を含む日本全土の山々を歩いていた人物です。
彼の書き残した文献にサンカと呼ばれる言葉があるため、江戸末期から明治初期にはサンカと呼ばれる言葉が「山中にいる人」について使われていたと考えられます。
また江戸末期の広島の記録にもサンカが「山に住む犯罪者」を示す用語として使われているのです。
サンカは江戸時代末期には中国地方で使われていた言葉であり、明治政府が作られたときに長州の人々が全国に警察官として雇用されることになり、全国的に警察言葉としてサンカという呼び名が広まったと考えられてもいます。
明治期にサンカについての調査依頼が柳田國男に入る
明治時代に著名な民俗学者である柳田國男(やなぎた くにお)は、サンカについての調査依頼を警察から受けています。
柳田國男はサンカを日本の先住民族かともいう構想を持っていたかのようでしたが、仮説段階でサンカへの研究を放棄しているため、サンカについての実態究明は行われていないも同然です。
明治期には公文書にサンカという山間部にいる犯罪者の記録が公文書には多く残されますが、第二次世界大戦のころには公文書にも登場しなくなります。
戦争のための徴兵や徴税のためにも、定住化して一般的な国民となることが推奨され、警察などがサンカの定住化に積極的になっていったからだと考えられているのです。
サンカの書き方
サンカには決まった漢字表記もありません。
警察では「山窩」と書かれますが、「山家」、「三家」、「散家」、「傘下」、「燦下」とも書かれます。
どの意味も同じで野外に住んでいる浮浪者です。
サンカの人々の暮らし
(※mono....以下副題のみ、若干の引用貼り付け)
サンカの生活様式?
サンカの使用言語は日本語
サンカ特有の道具ウメガイ
サンカの歴史?
サンカを捏造した人物:三角寛
サンカについての誤解が多いのは一人の人物の捏造のせいになります。
三角寛(みすみ かん)という小説家がサンカについての小説を書き、彼の小説が流行したことで、サンカについての三角寛の創作のみが資料として使われているからです。
三角寛は新聞社に勤務していた時代に、警察からサンカのことを聞き、それを自分の小説の題材に使い成功をおさめます。
彼はその後、サンカの研究者としての側面も持つようになり、多くの資料を昭和期に発表していますが、後の研究ではその多くが捏造だと判明しているのです。
しかし第二次世界大戦後にはサンカもほとんどいなくなっていたため、サンカの研究は三角寛の捏造した情報に頼るしかありません。
その結果、サンカについての正確な評価をすることは困難になっています。
サンカと呼ばれる人はいたが異民族ではない可能性が高い
サンカは生活様式以外はとくに文化、宗教、歴史的な特徴はありません。
正体として合理的に判断できるのは、何らかの事情で放浪している日本人です。
サンカは被差別民なのか?
サンカが差別や迫害を受けて野山へ避難していたという証拠は現在のところは確たるものはないのです。
差別や迫害で逃亡してサンカになった人物もいるのかもしれませんが、全てのサンカがそういった起源を持っているとは考えにくいものがあります。
サンカとはそもそも誰なのか?
サンカについての唯一分かっている正しい意味は、「明治の頃から警察が使っていた山にいて危険視されている浮浪者たち」です。
それ以外にも下記のような説がありますが、信憑性は高くないものになります。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)
※mono....山窩関連記事はウェブ上にいくつかあるようですが、上記記事ほど信憑性の高い記事は、探し方が悪いのか今のところほかに見当たらない。
が、いくつかの記事へのリンクを下に貼る。
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