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■ エミール・シオランの名言20選|心に響く言葉 「LIVE THE WAY()」より
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(1) あらゆる到達点は、人生においても芸術においても行き止まりである。全てにおいて、未達成によって未来への門を開けておくことが肝要だ。

~エミール・シオラン~

(2) かつて、哲学者がものを書かずに思索にふけっていて軽蔑を受けることはなかった。ひとが有効性の前にひれ伏してこのかた、作品が俗人の絶対となった。作品を製産しない人々は「落伍者」とみなされている。しかし、この「落伍者」が前の時代には賢者なのであった。

~エミール・シオラン~

(3) 自分の病弱や不具に、私達の存在は腐蝕される。そこから生ずる空虚を充たすのは、意識の現存だ。いや、冗談ではない、この空虚こそが意識であるのだ。

~エミール・シオラン~

(4) 希望とは未来に対してつく嘘である。

~エミール・シオラン~

(5) 自分の辞書から私は言葉を一つまた一つと抹殺していった。大虐殺の済んだあと、たった一語、災禍を免れた言葉があり、それが孤独というのであった。満足して目を覚ました。

~エミール・シオラン~

(6) かつてゴーゴリは甦生を得ようという望みを抱いてナザレに赴き、その地でロシアのとある駐車場でのように退屈したという。自分の内部にしか存在しないものを、外部に求めようとすれば私たちは皆そういう羽目に陥るほかはない。

~エミール・シオラン~

(7) 出生以前には、世に存在しないという好運にもあずかることができた。今や私たちは存在しており、この存在の小部分、つまり不運の小部分こそが、消滅することを烈しく怖れるのである。

~エミール・シオラン~

(8) 何か侮辱を受ける度、仕返しの衝動を一切遠ざけてしまうために、自分が墓穴にしんと納まっているところを想像する。たちまちにして私の心は和んだものである。

~エミール・シオラン~

(9) 作品は死ぬ。断章は、かつて生きたことがない以上、死ぬこともありえない。

~エミール・シオラン~

(10) 子どもを産むことは、災いを増大させることに他ならない。存在しないよりは存在する方がマシだということを証明するいかなる方法も存在しない。赤ん坊を他人に見せ、潜在性のこの災厄を見せびらかしては悦に入る。これはもう理解を絶した狂気の沙汰だ。

~エミール・シオラン~

(11) 素朴さ、楽天主義、寛大さ、そういったものは園芸家や純粋科学の専門家、探検家などには見られるが、政治家や歴史家、坊主には決して見られないものだ。前者は同類なしで済むけれど、後者は同類たちをもって彼らの活動、研究の対象とする。人は人間の傍でのみ気難しくなる。

~エミール・シオラン~

(12) 野心という中和剤を欠けば、明晰さはいずれ意気消沈に至る。一個の作品が可能となり、生そのものが可能となるためには、明晰さと野心とが互いに支え合わねばならず、両者が、相手を打ち負かすことなく、戦いを交えねばならない。

~エミール・シオラン~

(13) 確かに私は人間を嫌悪しているが同じような気安さで人間存在を嫌悪しているとは言い切れない。なぜかというと、この存在という語には、何はともあれある充実した、謎めいた、魅惑的なものがあり、その点、人間という観念とはまるで違っているからである。

~エミール・シオラン~

(14) 人間は身体などを引きずらなくてもよかったはずだ。我の重荷だけで充分のはずだった。

~エミール・シオラン~

(15) 一度崇め奉った相手を人は決して許すことができない。世にも繊細なあの讃美という鎖を断ち切ろうと待ち構えている。しかもそれが傲慢から出たことではなく己を取り戻したい、自由になりたい、自己自身でありたいという切望のためなのだ。この切望を、人は不正手段による他、満たす手段がない。

~エミール・シオラン~

(16) 今日まで私がなんとか持ち堪えてきたのは、もはやこれまでかという失意の底まで墜ちるたびに、もっと苛烈な新しい失意が連続してきたからである。もし、私が地獄に墜ちでもしたら、地獄の支配圏がさらに数を増すよう希うだろう。新しい、前のよりはずっと内容に富んだ苦難を当てにできるからである。

~エミール・シオラン~

(17) 死に取りつかれると、希望という逃げ道も理性の説く道理も何の役にも立たなくなる。無意味なだけに、かえって死への欲望をかきたてるばかりである。この欲望に打ち勝つ方法はただ一つ、死への欲望そのものをとことんまで生きぬくこと、その喜悦と苦悩を一身に浴び、回避行為を一切やらないことである。

~エミール・シオラン~

(18) 一切事象を非実在と見れば、見る者自身が非実在となる。活力がいかに旺盛で、本能がいかに絶対的なものであろうと。彼はついに生ける屍に似はじめるのである。このとき、本能はもはや贋の本能にすぎず、活力もまた贋の活力に過ぎない。

~エミール・シオラン~

(19) 私たちは二人とも、何も喋ることがなかった。そして私は自分が何か無意味な言葉を並べ立てているあいだ、地球が空間の底へ沈んでいき、目眩を起すほどの速さで、私もまた地球と共に墜落してゆくような気がした。

~エミール・シオラン~

(20) 責任という問題は、出生以前に私たちが相談を受け、現在ただいまそうあるごとき人間になってよい、と同意したのでなければ、そもそも意味を持ちえないはずである。

~エミール・シオラン~


■ 生誕の災厄 「note:Eikan Hayashima(2022年10月13日)」より
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生まれ出ることによって、私たちは死ぬことで失うのと同じだけのものを失った。すなわち、一切を。


■ 絶望の淵からひびく真実の叫び:シオラン『生誕の災厄』 「ホヴィンチ|本のダヴィンチになる(2024年7月10日)」より
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「私は何もしていない。そのことを承認しよう。だが私は、時間が過ぎゆくのを眺めている。————時間を埋めようとするのよりは高級なはずである。(旧版p.8)
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「何もわざわざ自殺するには及ばない。人間はいつも遅きに失してから自殺するのだ。(旧版p.46)」


GabalaboCH
2024/03/03 #哲学
エミール・シオランは、このように言います。

『人生は、何もかも虚しい。まるで同じ場所で回り続ける独楽のようだ。私たちがやることなんて、結局全部無駄じゃないか。』

このように、私たちのやることには意味なんてなく、人生は無駄な虚しいものだと考えていました。

例えば、人生を仕事に捧げ一生懸命頑張ったところで、死んだ後には何も残らず、ほとんどの場合は、その人の努力の形跡なんてどこにも残りません。もしも歴史に名を残したとしても、数億年後には地球そのものがなくなり、本当に全てが消えてしまうかもしれません。

シオランは人間の行うすべてのことは徒労に過ぎないと言いました。

それでは今日は、シオランの語る
「苦しみから逃れる悲観主義」という話を、雑に解説しましょう。


■ ニーチェもカフカも敵わない。最恐の思想家〈シオラン〉の名言集 ブックガイド付き 「HIKIPOS(2019-02-25)」より
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シオラン という思想家がいる。

 一般ではあまり知られていないこの思想家は、神と人間を否定する数々の書物を残した。数行の短い言葉からなるアフォリズムを特徴とし、シオランは万物を呪わんとする。

 激怒  憂鬱 嫌悪 恐怖 憎悪 不安 絶望 ……その言葉の中ではあらゆる苦しみが渦を巻き、読む者に地獄を案内する。

 今回はその一端を紹介する。

自殺のアフォリズム
 特に死に関する言葉において、シオランの舌鋒は激しい。

結局のところ、私たちが自殺しないのは、自殺の理由がありすぎるからだ。
『カイエ』

生の秘密の一切は、次の点に帰着する。すなわち、生には何の意味もないが、にもかかわらず私たちはそれぞれ生に意味を見出しているのである。
『思想の黄昏』

なぜ私は自殺しないのか。生同様、死が私に嫌悪感をいだかせるからだ。
『異端者シオラン』

毎日毎日が、私たちに、消滅すべき理由を新しく提供してくれるとは、素敵なことではないか。
『告白と呪詛』

 シオランには、徹底したペシミズム(悲観)がある。生まれてきたことを呪い、人間を否定し、ひいては宇宙の始まりそのものを憎しむ壮大な憎悪がある。その否定の精神は、ヨーロッパにおいて「ニーチェ以後の最良のアフォリズムの書き手」と評されている。

 本のタイトルからして、『崩壊概論』、『欺瞞の書』、『敗者の祈祷書』、『苦渋の三段論法』など、普通ではない。生涯に残した20冊ほどの書物は、すべてに異常な情念がこめられており、そのまがまがしい思念は老年に至っても衰えることはなかった。


(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)

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悲痛のアフォリズム
文学のアフォリズム
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シオランを読むためのブックガイド

最終更新:2024年10月03日 15:22