■ 独哲学者マルクス・ガブリエルの思想は過大評価か? 福嶋亮大が『新実存主義』を読む 「Real Sound:文=福嶋亮大(2020.02.25 12:00)」より
(※mono....前後略、詳細はサイト記事で)
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 ガブリエルによれば、自然主義とは、心を物理的なメカニズムに還元しようとする選択を指している。つまり、脳科学や神経科学を突き詰めていけば、いずれ心は隅々まで解明されるという立場を指す。しかし、彼の考えでは、こうした「自然主義的世界観」はすでに行き詰まっている。ガブリエルは哲学者のデイヴィッド・チャーマーズを批判的に継承しながら、心なり意識なり精神といったものは、脳のメカニズムには決して還元できないと見なす。といって、脳の基盤なしに心がどこかから奇跡的に湧いてくるという神秘主義にも与しない。要するに、脳がなければ心も生まれないが、だからといって脳の反応を完璧に記述すれば心が解明されるわけでもない。なぜなら、脳から心に到るとき、質的なジャンプが起こっているからである。

 これは部分の総和は必ずしも全体と同じではないという、よくある論法を思わせる(有名なところではルソーの「一般意志」がそれである――人民の特殊意志をすべて足しあわせても一般意志には到らない)。ガブリエルはそれを「自転車とサイクリング」の関係になぞらえる。自転車=脳はサイクリング=心にとって必要不可欠だが、自転車があるだけではサイクリングには十分ではない。自転車からサイクリングに到るには、質的なジャンプが要る。このジャンプを無視して自転車についてどれだけ解析しても、サイクリングはわからない……。こうして、ガブリエルは心をニューロン(脳)の反応に還元しようとする自然主義を、人間の精神への無理解のあらわれとして、徹底して批判しようとするのである。


■ ▶ " マルクス・ガブリエルを読むのはやめなさい!" と言うのは言い過ぎだとしても …… 「"It" thinks, in place of "I" .(2021-05-10)」より
(※mono....前後略、詳細はサイト記事で)
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この章におけるマルクス・ガブリエルのハイデガー批判はひどく、それはもはや客観的批判ではなく、ハイデガーを反ユダヤ主義者として読者に認識させようとする扇動でしかありません。たしかに ハイデガーは自らの思想において反ユダヤ的なものを考えていたのは間違いないのですが、それはナチスにおける人種差別的反ユダヤ主義とはまた違う事 を詳細に考える必要があるのです。マルクス・ガブリエルはその差異を無視して極論を進めます。ドイツの世論がそういう方向に進んでいるからこそ、それに迎合せず哲学者だからこそ考え抜かなければならない "細部" を彼は平気で捨てるのです。





■ 「日本はスマホに支配された異常な国だ」天才哲学者がそう断言する理由:マルクス・ガブリエルは警告する 「President Online(2021/05/05 11:00)」より
(※mono....前後略、詳細はサイト記事で)
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「日本人は共同体を重んじる」はウソ

日本人は先進国の中で最も社会的に孤立しているというデータがあるそうですね(ミシガン大学による「世界価値観調査」)。社会的に孤立するとは、家族、友人、同僚以外の人と会う機会が少ないということです。

日本人を含むアジア人は共同体を、ヨーロッパ人は個を尊重するという悪しきステレオタイプがありますが、この調査結果は、このステレオタイプを否定する社会学的証拠になり得ます。

データによるとドイツは全体で下位から5位、ヨーロッパ全体だと同じく4位のようですね。実際、ドイツ人は(日本人よりも)群れで行動する傾向があると思うのです。ドイツ社会では、人と一緒にお酒を飲んだり、散歩をしたりすることが非常に重要な役割を果たしています。これをドイツ語では散歩を意味するSpaziergangと呼びます。このような文化はドイツ全土に見られます。

また、ドイツ人のソーシャメディアに対する態度は、日本人とはまったく異なります。ドイツ人が人との直接の社会的接触を、デジタルな接触に置き換えることは非常に稀です。

一方、日本では様々な理由でデジタルな交流がずっと普及していると認識しています。
















最終更新:2022年05月15日 18:44