シンボルとしてのマスクの歴史を少し学んでみたいと思って作ったページ。コロナ禍以来日本人の多くがなぜマスク生活から抜け出せないでいるのか?
 そこには感染症を予防するという名目以外に、何か強く引きつけられるものがあるからではないかと思った。ちなみに私の日常では基本的にマスクをしていない。職業柄マスクをすることはあるが、隙あらばマスクは外している。不織布マスクはしない。通気性抜群の布マスクを午前に一枚、午後に一枚仕事時に使用し、毎日シンプルな石けんで洗っている。感染症そのものを疑っているし、不織布のHCHOなどの揮発性有害物質を吸う気はない。
 以下、このページには取り敢えずウェブから拾えるものを雑然と貼り付けていく。



※ ソニーミュージック所属のアラン・ウォーカーが黒いパーカーに黒いマスクの出で立ちで音楽活動を継続している。ウィキにある文言から引用。
「僕がなぜマスクを着けているのか、多くの人が僕に尋ねてくるけど、これはお互いの違いよりも団結を示すための象徴でありシンボルでもあるんだ」と、ウォーカーは語っている


■ ブラック・ブロック〔Wikipedia〕
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各参加者が黒色の衣服、帽子、ヘルメット、サングラス、マスクなどを着用して行う街頭での抗議行動などにおけるデモンストレーションの戦術の1つ[1][2]。
上記のデモ戦術を用いることで知られる戦闘的無政府主義者[3] や反資本主義運動家などの集団で、暴力的行動を行うことで知られる[4]。
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ブラック・ブロック活動を行った団体の例
en:Residents Against David Irving(アメリカ)
ATTAC(ドイツ)
BloccoNero(ブラック・ブロックの意味)(イタリア)
無政府主義労働組合(スペイン)
Black against Black(日本) ‐ 2010年代に活動している団体。就活ぶっこわせデモの後継団体。[要出典]
2014年4月 ブラジルでのFIFAワールドカップへの抗議行動[13]
2017年7月 ドイツ・ハンブルクでのG20サミットに対する極左グループによる抗議デモ[14]
2019年-2020年香港民主化デモにおける民主派デモ隊(香港)[15]

■ マスクの歴史 「GOODCLOSE(2020.04.24」より
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呼吸器を保護するマスクの起源は1世紀までさかのぼります。
古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスの著書には、動物の膀胱を利用したマスクが紹介されています。
これはローマの鉱山で働く人々を赤い酸化鉛の塵から守るためのものでした。

元祖・布製マスクは16世紀にレオナルド・ダ・ヴィンチが発明したといわれています。
このマスクはきめの細かい布を水に浸して使うといったもの。船乗りのために考案されました。
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日本にマスクが登場したのは明治時代初期のこと。
鉱山作業者のための粉塵除けに使われ「呼吸器」と呼ばれていました。
当時のマスクは真ちゅうの金網を芯にして、フィルターとして布を表面に張り付けるという作り。
吐息で錆びてしまうというデメリットがあったようです。

このマスクが日本で大注目をあびたのが大正時代のこと。
1918年から1920年にかけて世界的に流行したスペイン風邪の予防になるのではないか、と多くの人が買い求めました。
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そして、1923年には風邪予防のための「壽(ことぶき)マスク」が製造開始となりました。
それまで日本で作られていたマスクはすべて工場用だったので、壽マスクの販売により、マスクはより身近なものとなりました。
この頃からマスクは様々な改良が加えられ、真ちゅうの金網を合成樹脂に変えたものや、フィルターを革や硬いメッシュに変えたもの、枠をなくした布地だけのマスクが見られるようになります。

1950年には日本初のガーゼマスクが誕生
1973年には不織布製プリーツ型の原型が日本での生産・販売されるようになりました。
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このようなマスクの進化がある一方で、マスク着用の習慣が日本で一般化したのは比較的最近の2000年以降だといわれています。
そのきっかけは花粉症と2002年の新型肺炎のSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行。
空気感染の予防意識の高まりから使い捨てマスクを日常から着用することが広く受け入れられることになりました。

2009年の新型インフルエンザの流行では、またしてもマスクが多くの人に買い求められ、売り切れ騒ぎが続出。
2000年代に「空気感染予防=マスク」の図式が完全に日本で出来上がったと言えるでしょう。


★ マスクの歴史 呼吸器・高級品・ガーゼ・使い捨て… 「日本経済新聞(2020年3月29日 2:20)」より
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スペイン風邪、普及を後押し
名前が「マスク」になったのはいつだろう。平井さんは「マスクをかけぬ命知らず」という標語がのった資料を差し出した。1918年から世界的に流行したスペイン風邪のポスターのコピーだ。当時の内務省集計で死者数38万人。今の価格で3000円以上という高級マスクを、繰り返し使ったという。

大正時代にマスクは発展したんです」と平井さん。「飛行機マスク」に「銀星マスク」「金星マスク」「野球マスク」「東京マスク」「スキーマスク」……。当時の流行や風俗を映す商品名やイラストが外箱に書いてある。
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2001年、医療向けだった使い捨て不織布製を一般向けに販売したのが玉川衛材(東京・千代田)だ。「7DAYSマスク」の商品名で、蛇腹のように広がるプリーツ型を7枚入りで売り出した。03年にはユニ・チャームが口元に空間がある「超立体マスク」を出してヒット。瞬く間に不織布製が主流になった。

03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、09年の新型インフルエンザの流行が相次ぎ、マスクを毎日予防のために着ける人が増えた。同時にファッショングッズとして思わぬ機能に注目が集まり始めた。11年以降、メディアに登場したものまねメークのざわちんさんは、口元を大きなマスクで隠しながら、目や鼻筋のメーク次第で、顔の印象ががらっと変わることを証明した。以降、すっぴん隠しや紫外線対策を含めて日々活用する「マスク女子」が急増した。

16年は目の錯覚を利用した「小顔にみえマスク」が登場。息の水蒸気を吸収して発熱する素材を使った「フィッティホットマシュマロマスク」、アンモニア臭や加齢臭の元のノネナール、靴下のにおいのイソ吉草酸などの悪臭をブロックする「悪臭退散マスク」、夏でも紫外線遮蔽率約90%をうたう「ビースタイル UVカットマスク」など高機能商品が相次いだ。

その後、マスク使用率が拡大したことにより、ユニ・チャームの「超快適マスク」シリーズなど長時間つけていても不快感がないタイプが人気に。ファッション性を重視するニーズに合わせ、顔色になじみやすいグレーやピンク、ベージュなどの色がついたマスクの展開も多くなった。

マスク不足解消に向け、メーカーは急ピッチで増産し、政府の買い取り供給も始まった。まだ店頭で買うのが難しく、手芸店でガーゼを購入し、針と糸を使って手作りする動きも出ている。マスクへの注目はしばらく続きそうだ。

(畑中麻里)


■ マスク着用の歴史的背景と科学的根拠 「edinsights()」より
注:この記事は、2020年6月8日にIndiaBioscienceで公開されたものを、許可を得てここに再掲載したものです。
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病気予防のためにマスクを着用するという習慣は、1910~1911年に中国の満州で伝染病が流行した時代にさかのぼって確認することができます。ケンブリッジ大学で学んだ中国人医師、伍連徳(Wu Lien-teh)は、感染から身を守るために誰でも装着できる「予防具」として、マスクを広めました。
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1923年に日本で発生した関東大震災では、火災によって50万棟以上の家屋が焼失し、その灰が何ヶ月も空気中を漂う状況が続きました。これをきっかけにマスクの生産数が激増し、東京や横浜の住民の必需品となりました。日本におけるマスクは、1934年のインフルエンザの流行により、予防以外に「マナー」という意味を帯びるようになります。感染者はウイルスを他者にうつさないための配慮としてマスクを着けるようになり、もはや、予防のためだけに着けるものではなくなったのです。
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マスクの着用は、昔から続いている強力な予防策です。なぜなら、マスクは感染拡大という生物学的な意味合いを超え、現在のパンデミックのような困難を乗り越えるために必要な、社会的責任感や連帯感を促すものとなっているからです


















最終更新:2023年07月15日 21:43