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野田 樹潤(のだ じゅじゅ、Juju Noda、2006年(平成18年)2月2日 - )は、日本の女性レーシングドライバー。通称「Juju」。東京都出身、岡山県美作市育ち。マネージメントはNODAレーシングコンサルタンツ。父は元F1ドライバーの野田英樹。



■ 17歳の世界チャンピオン。女性が輝くサーキットへ 「Forbes JAPAN(2024.03.07)」より
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「次は私の番だからね」。2010年、F1レーサーとして活躍した野田英樹の引退レース。当時5歳だった娘の樹潤は、父に花束を渡しながらこう告げたという。その5年後、わずか9歳でフォーミュラ4(F4) で史上最年少デビューを果たす。昨年には17歳にしてF3で女性初の年間チャンピオンに輝き、“ Juju ”の愛称で世界的に注目される存在になった。

初めてカートに乗ったのは3歳の時。「車をコントロールするのが楽しい」と感じた。いまでは欧州を中心にトレーニングとレース出場の日々を送る。

元F1レーサーの父の影響で恵まれた環境にあると思われることもあるが、モータースポーツの世界では女性であるというハンデが存在する。レーシングカーは男性の体を基準に設計されているため、ハンドルに届かない、サイズの合うウェアやヘルメットがないといった問題は日常茶飯事。

レーサーが基準体重に満たない場合、体重差を埋めるため重りを搭載して走らなければならないが、その基準体重は70〜75kg。女性は男性より重い重りを載せて走る必要がある。

「女性が不利な状況で戦っていることは知られていない。結果が出なくても『女性だから遅くて当たり前』と思われてしまう」

男性を基準につくられてきた男社会のなかでも勝ち続けるJujuの強さは、体のこなし方にある。成長途中の小柄な体でも強烈なGに耐えられるよう「無駄なエネルギーを使わない乗り方が体に染み付いている」。加えて、メンタルの強さだ。欧州で生まれたスポーツゆえに、若いアジア人女性であるJujuは人種差別も多々体験した。モットーは『負けても負けても諦めない』。

夢は「日本人初の女性F1ドライバーとして優勝すること」。今年は、史上最年少かつ日本人女性初のスーパーフォーミュラ出場も決まった。「レーシングでも女性が本来の力で活躍できる環境をつくりたい」。世界に羽ばたく17歳から目が離せない。

のだ・じゅじゅ◎2006年、東京都生まれ。3歳で初めてカートに乗る。9歳でのF4史上最年少デビュー以降、国際大会に次々と出場。18年にF3デビュー、23年に若手の登竜門レースであるF3で女性初の年間チャンピオンに。愛称「Juju」。
文=菊池友美









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最終更新:2024年06月02日 19:28