2021年7月末に発売し、既に7万部を超えるヒットとなっている『無理ゲー社会』(小学館新書)。誰もが自分らしく生きることに価値を置くリベラル化する社会が、むしろ生きづらさに苦しむ人を急増させ、才能のある者以外にとっては絶望的なディストピアを誕生させたと指摘する。コロナ禍の困難な社会状況の中、反響を集める本書の執筆背景を、著者の橘玲氏に聞いた。

作家 橘 玲 氏
たちばな・あきら。1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年に小説『マネーロンダリング』(幻冬舎)でデビュー。ベストセラーとなった『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)他、近著に『上級国民/下級国民』(小学館新書)、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』(幻冬舎)など

──『無理ゲー社会』は発売以来、書店売り上げランキングで上位に入り続けるなど、好調な売れ行きです。著者としてヒットの理由をどのように分析していますか?

 タイトルのインパクトは大きかったと思います。執筆以前から、今の若者たちは社会に対して、自分では攻略不可能なゲームの世界に放り込まれているような感覚を持って生きているのではないかと感じていました。「自分たちはどうせ年金なんてもらえない」「生涯独身で、このままどう生きていけばいいのか」という彼らの声も聞いてきた。日本は人類史上未曽有の超高齢社会へと向かっていますから、この不安には杞憂(きゆう)とは言えない面がある。社会そのものもどんどん複雑化し、個人に要求されるスペックも上がってきていることが、さらに不安や絶望を膨らませています。

 そんな若者世代の状況について、あるインタビューで「無理ゲー」という表現を使ったところ、若いライターや編集者からその言葉が「すごく刺さった」と言われた。そこで、タイトルを『無理ゲー社会』にしようと思いつきました。

──本書の序文には、収入や親の介護といった将来への大きな不安から、「早く死にたい」「苦しまずに自殺する権利を法制化してほしい」といった、若者世代の生々しい絶望の声が複数紹介されています。「無理ゲー社会」から脱するには、もはや安楽死しかないとまで思い詰める若者がこれほどいるのかと……。

 2020年1月に自民党の山田太郎参議院議員が、SNSで若者に向けて「あなたの不安を教えてください」「私たちに何かできることがありますか」とアンケートを取ったところ、「苦しまずに自殺する権利」としての安楽死を望む声が殺到した。

 もちろんネットで集めた意見は平均的なサンプリングではありませんが、それにしても将来に対する絶望や、日々を過ごすのが精いっぱいだという苦悩を記したネガティブな回答があまりに多くて衝撃を受けました。その後、コロナ禍によって世の中の理不尽さがさらに際立ってきている中で、今ならどのような回答が集まるのかと考えると、空恐ろしいものがあります。

「自分らしく生きる」を目指す社会からこぼれ落ちる絶望
──「すべての人は自分の人生を自分で選び取り、自分らしく生きるべきだ」という、一見良いことに思えるリベラルな価値観の広まりが、一方で「自分らしく生きられない」と苦悩する人を急激に増やしている。本書の柱になっているこの構想は、どのように固まっていったのでしょう。

 今はSNSを開けば、ビヨンセやレディー・ガガ、マイケル・ジョーダンといった有名人たちが、「自分らしく生きて夢をかなえなさい」「人と違っていてもいい、あなたらしく生きていけばいい」という強いメッセージを送ってくる時代です。しかし、彼らのように成功できる人など、現実にはほとんどいない。「強く願えば夢はかなう」と信じて、かなわなかった人たちはどうなってしまうのか。一方で、こうしたリベラルな価値観は、既に確固としたものになっているため、もはや誰も否定できなくなっている。

 歴史的には、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きられる社会を目指すべきだ」という思想は、1960年代の米国西海岸のヒッピーカルチャーの中から生まれて、10年もたたずに世界中の若者をとりこにしました。これは、キリスト教やイスラームの誕生に匹敵する人類史的出来事です。この新しい価値観のもとでは、すべての子供に夢を持たせて、その実現に向かって頑張らせなければならない。でも、「夢なんてない。どうすればいい?」「頑張っても実現できなかったら?」と聞く子供に対して、どんな答えが返せるでしょう。

 そんな理不尽な価値観の押し付けに対し、社会の底辺から様々な異議申し立てが出てきました。露骨に表れたのが男性の「性愛格差(モテ/非モテ)」で、日本では自分の父親世代まではほぼ100%結婚できていたのに、あっという間に婚姻率が5~6割にまで下がってしまった。データを見ると、それでも年収600万円以上なら恋人がいる割合はほぼ100%ですが、200万円以下の若い男性では3割程度にすぎません。

 マジョリティーの中から現れた脱落者たちの存在は、米国では白人至上主義が台頭する背景にもなっています。白人男性という「高い下駄」を履いているにもかかわらず、自分たちは底辺の生活を強いられている、「差別」されていると不満を漏らせば、過去の奴隷制(黒人差別)の歴史を引き合いに出されて、エリートのリベラルから批判されバカにされるだけです。こうして憎悪と絶望を募らせていくことになる。

 前近代的な身分制社会の残滓が色濃く残る日本では、男はそもそも男であるというだけで優位性を持っています。学校では男女平等でも、企業に入れば男性優位が明らかで、労働組合やリベラルな主張をするメディアですら、社長や役員は男ばかり。そんな中で、「ボクはモテません」なんて不満を言えば、それこそずっと「無理ゲー」を強いられてきた女性たちから、何を泣き言を言っているのかと批判され、フェミニズムへの憎悪が膨らんでいく。

 白人至上主義も「モテ/非モテ」問題も、社会的にも性愛からも排除され、「攻略できない無理ゲー」に放り込まれてしまったと感じている者たちが、マジョリティーの中から現れてきたことが根底にあるのだろうと考えたことが、構想のスタート地点でした。

──「才能のある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア」という表紙の文言も強烈です。

 リベラル化する社会では、あらゆる人生の選択を一人ひとりが個人の自由意思で判断しなくてはなりません。そのため、あちこちで利害が対立して社会が複雑化し、その複雑さに適応できる人とできない人が出てくる。適応できるのは「賢い」人で、これが現在の「知能格差社会」ともいうべき状況を生んでいる。賢いというのは知能だけでなく、コミュニケーション能力も高いことで、そうした人は人間関係を円滑に構築できますが、そうでない人は引きこもってしまう。

 いたずらをした子供を叱る場面を考えると分かりやすいですが、「なんでそんなことをしたの!」と叱られたとき、その理由をきちんと言葉にして答えられる子供は許される。答えられずに黙りこんでしまう子供は、理由が分からないことに不安を覚える大人から、さらに怒られます。そうなると子供は、世界を恐ろしい場所だと思うようになり、家族・親族や地域などの狭い共同体から出ようとしなくなるでしょう。子供時代のIQ(知能指数)で将来の政治イデオロギーを予測できるという研究もあり、言語能力の低い子供(男性に多い)は保守主義に、言語能力の高い子供(女性に多い)はリベラルになる傾向がある。

──本書の中では「秋葉原通り魔事件」の加藤智大死刑囚をはじめ、リベラル化した社会で追い詰められた人間がテロリズムに走る経緯も分析されています。刊行後まもなく現実に、小田急線内での傷害事件も起こりました。

 小田急線の事件は、若く魅力的な女性をターゲットにした日本で初めてのミソジニー(女性憎悪)による無差別テロではないでしょうか。『無理ゲー社会』で取り上げた秋葉原通り魔事件の加藤智大は「女神(運命の女性)」と出会いたいと思っていて、「非モテ」特有のひがみやコンプレックス、彼女さえできれば人生が好転するという「一発逆転」願望はあったとしても、女性への憎悪はなかったように思います。京都アニメーション放火殺人事件にしても、私立校に通う小学生を狙った川崎市登戸通り魔事件にしても、憎悪の対象は女性ではなかった。「きらびやかな勝ち組の女が憎い、殺してやりたい」と動機を明言した今回の事件は、その点で象徴的だったといえます。

 また、加藤の場合は女性と交際した経験がほとんどありませんでしたが、小田急線事件の容疑者は、大学生の頃までは人気者で女性にもモテていた、いわゆる「リア充」でした。それがなぜか大学を中退し、バイトしながら自称「ナンパ師」になり、最後に行き着いたのが、生活保護を受けて家賃2万5000円の部屋で暮らし、生活必需品を万引きする生活です。

 男の場合、「持てる者はモテ、持たざる者はモテない」という明らかな傾向があり、30代で社会の最底辺に落ちてしまえば、どれほどナンパテクニックを持っていても誰も相手にしてくれないでしょう。彼がドロップアウトした経緯は分かりませんが、それでも自分でその生き方を選んだわけですから、自己責任で誰のせいにもできない。何のために生きているのかと絶望して暮らす日々があと半世紀続くとなれば、「無理ゲー」を強いる社会を破壊するしかないと考えるようになった心理は容易に想像できます。

──橘さんは2002年に経済小説『マネーロンダリング』(幻冬舎)で小説家としてデビューし、同年に刊行された資産運用の指南書『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)も大ベストセラーとなりました。初期の著作には資産運用や人生設計に関する本が多く、そこから次第に日本人論やリベラリズムの問題など、年々取り扱うテーマが社会批評的な方向へと広がっています。

 『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)に書いたのですが、人生の土台には「金融資本(お金)」「人的資本(働いて労働市場からお金を手に入れるための資本)」「社会資本(人間関係)」の3つの資本があると考えています。この3つの資本を持っていれば、人生はある程度うまくやっていくことができる。

 3つの資本の中で、最もシンプルなのは金融資本です。攻略は難しいけれど、理屈は単純で理解しやすい。その次が人的資本(働き方)で、最も難しいのが社会資本です。著作で扱う内容も、その3つの資本の区分に沿って、だんだん難易度が高いところへと進んできたわけです。

──『無理ゲー社会』においてもそうですが、橘さんは多くの著作で「人が直視したくないような不愉快な事実の中にこそ、語るべき価値がある」という切り口を貫いています。こうしたものの見方は、過去の経験の中で得たものですか?

 反抗的というわけではなかったんですが、昔から同調性が低いというか、学校などで「みんな一緒に」というのは気詰まりで、友達がいなくてもさほど気にならないというのはありました。大学時代も、大きな会社に勤めるのは自分には無理だと思っていて、就活は全くしませんでした。その頃から、他人と同じことをしていては目立てないのに、なぜみんな同じことをしようとするのか不思議で、普通とは異なる視点を持たなければ、と考えていたので、今もその延長線上にいるのかもしれません。

 ただ、それは「違う自分になりたい」ということではありません。大学時代、周囲に「自分探し」の旅をする人がたくさんいましたが、その発想は全くなかった。当時も今も変わらず、「自分の持っているものでやっていくしかない」という考え方ですね。

──早稲田大学を卒業後は宝島社の編集者になり、「別冊宝島」や「宝島30」の編集長も務めています。

 就活の時期もとうに終わった大学4年の1月に、新聞の求人欄を見て応募し、新橋にある零細出版社に採用してもらいました。社員20人ほどで、社長を含めて上司が3人いました。20~30年後、その3人は全員、逮捕されたり破産したりと人生を踏み外してしまいました。

 入社1年半ほどでその会社を辞め、友人や同僚と一緒に編集プロダクションをつくりました。当時は「ギャルズライフ」(主婦の友社)という雑誌が売れていて、同じジャンルの雑誌を創刊したのですが、国会で「有害図書」だと槍玉にあがり、5号で廃刊になってしまった。当時は24歳で、できちゃった結婚で子供が生まれたばかりだったのに、雑誌づくりで月の28日間を会社で寝泊まりし、しかも月給10万(年収120万円)という生活だったので、正直「これでようやく解放される」と思いました。その後、フリーの編集者をやっていたときに、宝島社の編集者に声をかけられ、26歳で拾ってもらったという経緯です。

──その後、一人の書き手として独立した際、覆面作家になることを選んだのはなぜですか?

 編集者は黒子であるべきだと教えられてきたし、メディアの内情も知っているので、顔出しするメリットはあまり感じられなかった。不特定多数の人が自分の顔を知っているというのは、気持ち悪いですよね。書き手としてはもちろん1人でも多くの人に自分が書いたものを読んでほしいのですが、自分の顔をみんなに知ってほしいわけではありませんから。それに、SNSがこれだけ普及すると、テレビや講演で宣伝をしなくてもパブリシティーできるようになったというのもあります。

 自分が経験したり考えたことを読者に伝えて、驚いたり喜んだりしてくれる、そのフィードバックが執筆のモチベーションになっています。

お金は分配できても評判を分配することはできない
──最後にこの「無理ゲー社会」において、子供を持つ親として、あるいは企業人として、今後どのようなことに意識を向けていけばいいでしょう。

 コロナ禍で、世の中の理不尽さはさらに際立ってきていると感じます。驚いたのは、株価が上昇したこと。経済が打撃を受けてGDPが縮小しているなら、株価も下がるはずなのに、逆にネット株やハイテク株を中心に急騰し、資産20兆円を超えるジェフ・ベゾスやイーロン・マスクのような超大富豪が現れた。

 日本では新型コロナウイルスの感染抑制対策が基本的に「お願い」ベースのため、さらに理不尽なことになっています。私が住んでいる辺りでも、混んでいる飲食店があると思ったら、お酒を提供していることが増えてきた。店側も苦渋の決断だと思いますし、責めても仕方がないですが、自治体の要請を守っている店からしたら納得できないですよね。「正直者がバカをみる」社会では、子供たちは道徳に無関心になり、ルールを守らない方が成功できると学習するんじゃないでしょうか。

 この「無理ゲー社会」をどう生き延びるかを子供たちに教えるのは難しいですよね。経済格差の問題は、持てる者から持たざる者に金銭を移転すればいいのですから、それがいかに困難でも、原理的には解決可能です。しかし、皆が気づいていない本当の問題は、次にやってくる「評判格差社会」です。国家はイーロン・マスクから税を徴収できますが、6000万人のTwitterのフォロワーを移転することはできない。「お金は分配できても評判を分配することはできない」という問題に対して、これまで解を出せた人はいません。

 その一方で評判社会には、個人を会社(組織)から解放する大きな力がある。長年フリーランスでやってきたのでバイアスがかかっているかもしれませんが、今後は社会のフリーエージェント化が進んでいくのだろうと思います。これまでは、会社の評判が信頼保障になっていたのが、SNSなどで個人の評判が可視化されると、会社や所属組織に関係なく、評価が高い人と付き合った方がいいということになる。単発の仕事を請け負うギグワーカーというとウーバーの配達員を思い浮かべますが、米国では大きな人的資本を持つスペシャリスト(専門職)が、SNSなどでの評判を担保に独立してギグワークするようになってきている。

 夫婦ともにフリーになれば子育てもしやすくなりますし、一番いいのは人間関係を選択できること。「イヤな奴」と仕事をするストレスを避けられるだけで、人生の幸福度は劇的に上がると、皆気づき始めています。今後は、20代は会社で仕事の経験を積み、人的ネットワークをつくって、30代半ばでフリーエージェントになる時代が来るのではないでしょうか。

[日経クロストレンド 2021年9月2日掲載]情報は掲載時点のものです。

最終更新:2024年07月14日 09:02