哲学チャンネル
2020/09/2
フェルディナン・ド・ソシュールは1857年、
スイスのジュネーブにあるソシュール家の息子として生まれました。
このソシュール家は過去に様々な学者を輩出した名家であり、
最高の教育環境が揃っていたといって良いでしょう。
ソシュールはその環境を余すことなく享受し、
10歳前後で4カ国語をマスターしたと言います。
大学在学中に言語学の論文などを発表し、
1880年にはパリの高等研究所にて語学の講師を勤めながら研究に励みます。
1891年になるとジュネーブ大学の特任教授となり、言語学について教鞭をとります。
ソシュールの死後、この講義を学生らがまとめ【一般言語学講義】として
出版したことが、彼を一躍有名にさせました。
ソシュールは、それまでの言語学の流れを大きく変えました。
それまでの言語学では、
ある言語が、過去から現在にかけてどのような変化を辿ってきたか?
について研究がされていました。
しかしソシュールは
『過去を知らなくてもみんな言語を使っているんだから、
言語を理解するのに歴史は必要ないのでは?』と考えます。
彼は、歴史を考慮しないその時点の言語のルールのことを【共時態】と呼び、
共時態が次の共時態へと変化していくことを【通時態】とし
言語学はまず、共時態を研究すべきだと主張しました。
彼は、現時点で使用されている言語という概念について徹底的に考えました。
その上で、言語を二つの側面に分けて考察します。
一つは【パロール】
これは個々の発話行為を指します。
我々が言葉を発するとき、それを【パロール】と呼んで問題ないです。
もう一つは【ラング】
これはある言語の文法や規則の体系のことです。
日本語話者同士がコミュニケーションを取れるのは、そこに一定のルールがあるからです。
【パロール】と【ラング】を合わせたものが言語の全体像になるわけですが、
彼はこれを【ランガージュ】と呼びました。
つまり、ソシュールは【ラング】について研究するのが言語学である。
と考えたわけですね。
ソシュール以前の学者は言語名称目録観を支持していました。
言語名称目録観とは、存在に対して一つ一つにラベルが貼られているかのように
ものの名前が成立しているという考え方です。
りんごという物質には人間が存在する以前からりんごという名前が設定されていた。
今考えると違和感だらけですが、当時はこの考え方が主流だったのです。
しかし、それでは言語によって対象の切り取り方が異なることに説明がつきません。
例えば、日本では蝶と蛾は別の昆虫だと認識されています。
綺麗なアゲハチョウを見て「蛾だ」という日本人は少ないはずです。
しかし、フランスにおいては蝶も蛾もどちらも『papillon』と表現します。
フランスでは蝶だろうが蛾だろうが、同じpapillonという昆虫なのです。
存在に最初から名前がついているならば、これは矛盾です。
ソシュールはこれについて
『個々の存在に意味は存在しない。
それらは隣との対立関係によってはじめて成り立つ』と考えました。
例えば、それぞれの存在に名称があって、
それらが集合している状態はこのように表現できます。
箱の中に四角い物体がぎっしり詰まっている状態です。
仮にこの状態から、Bを抜き取ったとしましょう。
その場合、抜き取られたBという空間を埋めるものは何もなくなってしまいます。
Bという名称と一緒に、Bという物質も消えてしまったことになります。
ソシュール以前の言語感はこれに近かったと言えるでしょう。
一方で、ソシュールはこのように考えます。
例えば、赤っぽい色の集合を図に表すとこんな感じになります。
この状態から萩色を抜き出すとどのようなことが起こるでしょうか?
隣にあった赤とピンクが萩色の領域を埋めることで、
何もない空間が補填されているのが分かります。
萩色という言葉がこの世からなくなっても、
その両隣にある言語によって、萩色に対応していた色への呼び名が補填されるのです。
つまり、蝶がいるから蛾がいるのであり、逆も然りだというわけです。
どちらかがなければ両者はpapillonでしかなくなってしまうのです。
ソシュールは言語が音として成り立つ側面を【シニフィアン】
言語が意味を持つ側面を【シニフィエ】と呼び、
この両者が結びつくことで【記号(シーニュ)】が生まれると考えました。
つまり、『ちょ う ちょ』という発音自体がシニフィアン
『ひらひらと飛ぶ昆虫』という意味のことをシニフィエとして、
この二つが合わさることで、蝶々という言葉が完成するわけです。
そして、何よりも重要なのが、
シニフィアンとシニフィエの両者がこのように結びつくのには
なんの必然性もない。ということなのです。
たまたま音と意味が結びついただけ。
この考え方を【言語の恣意性】などと表現します。
このようにして、言語の秩序を細かく分類していくことで、
存在に最初から名前が付けられていたわけではなく、
偶然言語のルールの中でその結びつきが作られていて、
それらは他の言葉との対立関係の中で存在している。と結論付けたのです。
この言語論的転回は、後の言語学だけでなく、
実存主義の後に活発になる【構造主義】へと大きな影響を与えます。
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2020/09/2
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは1889年に
オーストリア・ハンガリー帝国のウィーンに生まれます。
4歳まで全く言葉が喋れず、その後も重度の吃音症に悩まされていたそうです。
そんなこともあって、14歳までは学校にいかず、自宅で教育を受けていました。
本格的に哲学にのめり込む前に精読した哲学書は姉から勧められた
ショーペンハウアーの【意志と表象としての世界】のみだったと言います。
1912年にケンブリッジ大学にてバートランド・ラッセルに哲学を学び、
1922年に【論理哲学論考】(以下論考と略称)を発表すると
『哲学の問題は全て解決された』と判断し、哲学の世界から離れます。
その後、小学校の教員になりますが、虐待の疑いをかけられて退職。
ケンブリッジ大学に戻り、哲学の研究を再開します。
大学で職に就くための学位を持っていなかったウィトゲンシュタインでしたが
師であるラッセルの強い勧めもあって【論考】を博士論文として提出し
それが受理されて教職につくこととなります。
【論考】を提出した際、それを審査する立場のラッセルの肩を叩き
「心配しなくて良い、あなた方が理解できないことはわかっている」
と言い放ったエピソードが個人的には大好きです。
論考の序文のフレーズはあまりにも有名です。
『おおよそ語りうることについては、明晰に語りうる。
そして、論じえぬものについては沈黙しなければならない』
語れるものは語れるけど、語れないものについては黙っていよう。
そんな意味だと解釈できますね。
これは一体どのような主張なのでしょうか。
ウィトゲンシュタインは、
『世界(そのもの)は人間が理解できる意味を備えていない』
と考えました。
そのため、世界を理解するためには、人間が理解できるフレームを
与えてやらないといけない。
では、そのフレームとは何か?
それが【言語】です。
つまり彼は、世界を理解するためには言語を理解することが必要で、
それまでの哲学はこの言語の扱い方を間違えていた。
言語を分析することで、思考=言語の限界を明確にする必要がある。
そう考えたのです。
【写像理論】という考え方があります。
前提として世界は事実の集まりだとします。
これは納得できますよね。
いろいろな事実が個別に存在していて、それを全部足し合わせると世界になる。
そして、これらの事実にはそれに対応した【科学的言語】が存在します。
山が綺麗に色づいている
トロッコが線路の上を走っている
事実には必ずそれに対応した言語が一対一のセットになっています。
(なぜ一対一かを問うと沼に入り込むので割愛します)
言い換えると、事実とそれに対応した言語の間には
『確実に確かめられる』関係が成り立っているのです。
事実の総体が世界であり、その事実全てに対応しているのが言語であり、
事実と言語間の関係を全て確かめられるのであれば、
言語の全てを分析すれば、世界の全てが理解できる。
と考えても問題なさそうです。
このようにしてウィトゲンシュタインは人間が世界を理解できる理由を明確に説明しました。
その上で、それまでの哲学には致命的な問題があると考えます。
例えば『神は善である』という命題があったとします。
これを写像理論に当てはめて考えてみましょう。
事実を理解するためにはそれに対応した言語を理解すれば良いのでした。
でも『神』や『善』という言葉の定義は定まっていません。
そのため、神が厳密に何を指しているのか、
善が厳密に何を表しているのかが非常に曖昧です。
定義が定まっていない言語を利用して、事実を言語化することはできません。
もっと簡単に言えば、『事実を確かめられない文章』は
そもそも言語の誤用だと言うのです。
このことから、それまでの哲学は、言語の誤用で成り立っていると主張しました。
これらを踏まえた上で、
哲学がやるべきことは言語化できない事実についての探究ではなくて、
言葉にできることとできないことの境界線を確定させることだ。と考えたのです。
事実とセットで存在する言葉に関しては分析を通してその意味を理解することができます。
一方で事実が確認できない言葉に関しては、どう頑張ってもその意味を理解することができません。
これらのことをギュッとまとめたのが
『おおよそ語りうることについては、明晰に語りうる。
そして、論じえぬものについては沈黙しなければならない』
というフレーズです。
ウィトゲンシュタインはこのようにして人間が理解できる範囲を明確に提示しました。
そして、境界線の整理は終わったから、あとはその内側を分析するだけだよね。
ってことでよろしく。と哲学の世界から離れていくのでした。
前期ウィトゲンシュタインと呼ばれるこの哲学は、
後にアメリカの哲学界に引き継がれ、
論理実証主義のカルナップなどに大きな影響を与えます。
次回は後期ウィトゲンシュタインについて
今回同様、表面的な部分だけを解説させていただきます。
哲学チャンネル
2020/09/2
ウィトゲンシュタインは【論考】において、
『おおよそ語りうることについては、明晰に語りうる。
そして、論じえぬものについては沈黙しなければならない』
と主張しました。
世界は事実の総体であり、その事実にはセットになった言語が存在する。
ということは、その言語をつぶさに分析していけば、
自ずと世界を理解することができるようになる。
また、それまでの哲学で扱ってきた『神』や『善と悪』などの問題については
そもそもその言葉が事実とセットになっているか確かめようがない。
つまり言語の誤用。当然、理解するなど不可能である。
だから、哲学の仕事は、言語で表現できる境界線を設定することであり
それにより、理解できるものとそうでないものを明確に分けることができる。
そして、理解できないものについては語らないようにしよう。
そのように考えたわけですね。
こうして、哲学の問題を片付けたと判断した彼は、
哲学の世界から身を引きます。
しかし、あるとき、その考えは間違っていたのではないかと考えるようになります。
論考においては、事実とセットになった言語を【科学的言語】と表現しました。
これはいわば、事実を表現するための厳密な言語と言えるでしょう。
しかし、我々が話す言葉は科学的言語ではなく、日常言語です。
そして、科学的言語が元からあって、日常言語が生まれたのではなく、
日常言語が先にあって、そこから科学的言語が体系化されているわけです。
つまり、科学的言語で構成された文章を理解するためには、
その手前にある【日常言語】を理解しなくてはいけない。
そのような思考に至ったのです。
そして、ウィトゲンシュタインは日常言語の分析に力を入れます。
その中で、日常言語においては、
言語と事実が一対一で存在している。
という前提が崩れることがわかりました。
例えば、都市伝説として有名な『月が綺麗ですね』というフレーズがあります。
夏目漱石が英語教師をしていたとき、生徒が『I love you』を「我君を愛す」と訳したところ
「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね。とでも訳しておきなさい」
と言ったとされています。(正式な記録ではない)
この場合「月が綺麗ですね」には『月が綺麗だ』という意味と、
『あなたを愛している』という二つの意味が生まれてしまうことになります。
同様に、例えば「結構です」という言葉には肯定と否定の2つの意味があります。
「お値段はこのぐらいになりますけど、いかがでしょうか?」
「そのお値段で結構です」
これは肯定ですね。一方
「ハンバーガーと一緒にポテトはいかがですか?」
「結構です」
これは否定に当たるでしょう。
このように、文章や会話の流れの中で「結構です」を確認できれば
前後関係からその意味を推察できます。
しかし、それらの文章から「結構です」だけを単体で抜き出して
それを誰かに見せ、「これってどういう意味ですか?」と聞いたら
その意味を確定できるはずがありませんよね。
このように、日常言語においては科学的言語の、
『一つの事実に一つの言語が対応している』という前提が覆されてしまいます。
日常言語は会話の中からそれだけを取り出すと、
その文章が指す意味を特定することが不可能なのです。
ウィトゲンシュタインは、日常の様々な関係性の中で言語の意味が複数に分裂することを【言語ゲーム】と表現しました。
そして、言語は完全に独立して存在することはできず
あらゆる言語は言語ゲームの中で使用されることで初めて意味を持つとしたのです。
日常言語を理解するためには、言語ゲームのルールを把握することが必要です。
彼はそのルールを把握するためには自身もそのゲームに参加しなくてはいけないと考えました。
しかし、科学的言語と違い、日常言語をいくら分析したとしても
そのゲームの中に自分自身も含まれてしまっているので、
そのゲームの全容を捉えることはできないと考えることもできます。
この結論については現在でも様々な解釈がなされています。
そしてこうしたウィトゲンシュタインの指摘は、
その後、分析哲学として引き継がれていくのです。
つまり分析哲学とは、事物そのものを分析する学問ではなく、
事物を表現する言語を分析する哲学だということですね。
分析哲学はその後主にイギリスやアメリカで発展を遂げ、
現在の哲学の主流となっています。