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実はそうではなくて、自死も自殺も同じことなのではなかったかと思っているというのが本心ではないのか、shinoよ!

 このページは、リンク元の文を書いてから数週間を経た2008年6月23日に書きだしたものです。
 「自死と自殺は違う!と私は考えている。」と書いたが、実はうすうすそんなことは無いのかも知れないと思っていた。思考と作文に長けた知識人が書く言葉になにやら影響されて、「そうあるべきだ」あるいは「そうでなければ自死の持つ主体性の意味が喪失する」そして「弱さゆえに自ら死に赴くことは敗北と同義として、それを排除したかった」つまり「負けて死に逝くのではなく、充分に生きたから死に逝くのだ」と思い込みたかったのではないかと・・・。

 敗北者の名前を心に刻み、その敗北者の心の悲しみと哀しみを静かに胸に抱き忘れないでいることで、いずれ自分も死に逝くかりそめの生者にしか過ぎないと自覚すること。敗北者をこの生の限りに愛すること。その切な過ぎる死を悼み、その死を想うこと。
 人の身体は喜びを欲し、生きることを謳歌するのが本来の在りようなのか?

 私は死にたがっている人を生きるように励ますことは出来ない。ただ、哀しみをもってその心を、震える痛みをもってその哀しみを静かに見守ることしか出来ない。
 若い人の死はあまりに痛ましいことだ。それが事故であれ病であれ自殺であれ、その痛ましさは程よく長く生きた老人の心には切な過ぎて胸が詰まるほどの痛みだ。だから出来れば自ら死を選ぶことの無い人生を送って欲しいと思う。
 だが・・・「だが」なのだ。人は死をもってしか解決し得ないことがある。「死にたがり」になってしまったその『自分を生きようとするにはあまりに優しくも弱き心』は棄てようにも棄てられず、変えようにも変えられない。慟哭する哀しみが湧き上がる身体をどうにも支えきれないその心。
(書きかけページ)
最終更新:2008年06月23日 21:49