「フリーライター宮島理のプチ論壇」より】 ★★
■ 「正義」を簡単に着替える日本人 (2011.6.25)

 ・日本人は何も変わっていない。無定見に「正義」を着替え、いかなる「正義」にも便乗しない者を絶えず感情的に攻撃する。

 ・戦後になって、軍部や右翼に同調していた「世論」は、一転して軍部と右翼を叩き、「民主主義者」となり「平和主義者」となった。明治憲法は当然改正されるべきだということになり、天皇機関説により「リベラル」と思われていた美濃部は、反明治憲法陣営(およびGHQ)から、力強い味方として期待されていた。
 しかし、美濃部は「軍国主義者」にも「平和主義者」にも阿らない。自分の憲法学を貫き、新憲法制定(明治憲法改正)は無効であると主張した。

 ・戦前、津田左右吉は、その実証主義的な記紀研究が皇室の尊厳を犯しているとして、これまた軍部や右翼から批判されていた。戦後になり、「尊皇主義者」から「反天皇主義者」に「転向」した人々にとって、津田は反天皇運動の味方になると期待された。
 ところが、津田は1946年に「建国の事情と万世一系の思想」という論文を発表し、天皇制廃止を否定した。そのため、反天皇運動からは激しく批判されることとなったのである。

 ・積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。

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 ・政府が感情的な運動を煽っておきながら、結局は最悪の意味での現状維持に終わる。民主党政権になってから繰り返されているのは、その場限りで感情を発散できればいいという「退行」である。

 ・政府が感情的な反普天間運動を煽ったことによって、割を食ったのは、普天間基地周辺の住民である。民主党政権は選挙向けのリップサービスのつもりでしかなく、運動家は運動家でその場限りの感情を発散できればいいのかもしれないが、住民には生活がかかっている。民主党政権と反普天間運動の無責任なタッグが、最悪の意味での現状維持を招いてしまった。

 ・同じことは「脱原発」についても言える。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグが、おそらく最悪の意味での現状維持を招くことになるだろう。

 ・私が民主党政権と反原発運動の無責任なタッグに批判的なのは、彼らが最優先で取り組むべき課題を結果的に妨害し、さらには中長期的なエネルギー政策までオモチャにしているからだ。原発事故を受けてまず取り組むべきことは、現場作業員の環境改善、原発周辺汚染地域の除染、避難民の生活である。それなのに、彼らは原発から遠く離れた都市部住民の「(過敏な)安全安心」を優先し、原発周辺住民を後回しにしている。

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最終更新:2011年06月28日 20:18