■ 脱経済成長論への違和感:小林治郎吉 「ピープルズ・プラン研究所(2009年10月)」より

 ・さて、資本家に対して、「経済成長?!いる?いらない?」と問うた時、彼はどのように答えるだろうか?予想される反応は「それは儲かるのか?」ではないか。
  さてわたしたちの問いは、「資本の自己増殖運動を是認したうえで、経済成長を否認できるか?」である。もし可能なら、事は簡単である。説得する運動を行えばいい。ひとりひとり資本家を訪問し、考えを変えてもらうのがいいと思う。

 ・わたしの考えを結論的に言っておこう。脱経済成長論は資本の価値増殖運動と相容れない。
  むしろ、現代世界の危機的状況、すなわち環境汚染や地球温暖化、エネルギー資源の枯渇、開発による伝統的社会の急速な破壊、また長時間労働など労働強化や派遣社員などの不安定短時間艇賃金労働の増大などは、きわめて単純化して言えば、資本の自己増殖運動がもたらしてきたものであって、すなわち上記の問いは、正確にいえば「資本主義、いる?いらない?」と問うべきであった。

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■ 「脱経済成長」の言説と構図 - 朝日の元日の社説から 「世に倦む日日(2012.1.3)」より / 魚拓

 ・次に選挙があるときも、政党は「脱経済成長」を公約には掲げないだろう。したがって、サンデーモーニングと関口宏が説得する「脱経済成長」の教義は、神棚に祀り上げられる理想論であり、実践の現場では仕分けされて顧みられない哲学であり、年末年始だけに思い返して拝むご本尊様だ。すなわち、これを現実社会の空間に適用しようとすると、何やら托鉢僧の集団修行の如き、恐るべき原理主義の宗教倫理のイメージにならざるを得ない。
  今回の年末年始は、震災後の気分と巧妙に調合ができるせいか、特に「脱経済成長」と「家族の絆」の教説がマスコミで撒かれている。われわれは、この言説のイデオロギー性に警戒すべきで、マスコミの刷り込み報道の狙いに敏感になるべきだろう。

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■ 経済成長のジレンマ 「幸せ経済社会研究所」より

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■ 脱経済成長は簡単にできる 「自然流の随想(2011.5.29)」より

 ・こうして、脱経済成長論は否定はしないが、現実には不可能だと言う人が多い。だが、脱経済成長を不可能にしているのは、物理的な抵抗ではなく、人々の胸の内にある、観念的な抵抗に過ぎない。不可能と思うから不可能なのであって、可能だと思えば可能である。自然法則に逆らって経済成長を続けようと無益な努力をすることより遥かに簡単かつ現実的である。
  いったん脱経済成長を決心すれば、具体的な方法はいくらでも出てくるだろう。自由市場経済を廃止する必要はない。何もかも自由放任である現在の市場経済に、必要な制限を加えてゆくことによって、脱経済成長に近づくことはできると思う。

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■ シューマッハーの脱「経済成長」論 安原和雄 「日刊ベリタ」より

 ・シューマッハーが1970年代はじめに経済成長への批判を始めてから約40年を経た今日、経済成長(経済の拡大)は、経済発展(経済の質的改善)をもたらすどころか、「経済の自己破壊」を招きつつある。それでもなお成長論者たちは、「経済成長」を錦の御旗として生活悪化につながる悪税(消費税引き上げ)などの画策を止めようとはしない。

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■ 続いて「脱経済成長論」を論ず 山口響さんの論文 「カサナグのフィリピン(2009.10.16)」より

 ・山口響さんは「経済成長への指向を改めよう」と呼びかけている。
 これはいったい何をすることなのか?どういう政策のプラン、行動のプランとして描くのか?まったくわからない。というより、まったく書かれていないだから、わかりようがない。十分に検討しないで決めつけてしまうのはあまりよくないけれど、「プランの欠如、呼びかけのみ」というのが、「脱経済成長論」の一つの特徴のように見えてしまう。

 ・これは、とてもおかしなことだ。「脱経済成長論」を主張しているのは、山口響さんだけではなく、集団的な見解のようにも読めるが、わたしが見る限り誰もそのプラン、プログラムに触れていない。できればその論拠を書いたもの、「脱経済成長」を実現するプランを書かれたものを教えてもらいたいと思う。まさか誰もが見過ごしていて、誰もが気がつかないはずはないと思うのだが。この点が、不思議でしょうがない

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■ 脱成長論の系譜(その1――前史) 「さて何処へ行かう風が吹く(2010.10.26)」より / その2 - 経済学内部からの脱成長論 / blanklink プラグインエラー: URLかページ名を入力してください。

 ・以下は、脱成長論の系譜を素描するための覚え書き(見取り図)である。以下の具体例は、網羅的なものではない。勉強の進展とともに、見取り図の修正・変更や、具体的事例の補充等をおこなっていきたい。以下はあくまでも現時点(研究の出発点)におけるラフな見通しにすぎないことをお断りしておく。{※ (その1)から}

 ・イリイチの思想は近代産業=勤勉社会に対する最もラディカルな批判である。マルクスの思想も資本主義社会に対する批判としてはラディカルであるが、イリイチの思想はそれを大きく超える。なぜなら、イリイチは、20世紀に「社会主義・共産主義」と「自由主義・資本主義」という二つの形をとった、近現代という時代精神の「共通の土俵」である産業=勤勉主義(経済パラダイム)をトータルに否定するからである。しかし、見方によっては、イリイチの思想はきわめて「反動的」な思想にも見える。じっさい、近代産業=勤勉主義の立場から見れば、イリイチの思想は明白に「ウルトラ反動思想」であろう。{※ (その3)から}








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最終更新:2012年01月04日 08:54