グローバリズム
■ Ghetto Machine II 「独りファシズム(2013.10.4)」より
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あまりにも分りやすいショック・ドクトリンの定式だろう。

「五輪を起爆剤として経済のグローバル化を図る」という正体不明なスローガンのもと、東京都を経済特区として医療法人の株式会社化や労働法の緩和、さらに外国企業の税制優遇が構想されているのだが、それが「大規模災害における国民精神の空白を狙い、平時では不可能な改革を一挙に推進する」というフリードマン理論の実践であり、惨事便乗型ビジネスの典型スキームであることは語るまでもない。

原発事故による爆発的な疾患を射程に捉え医療分野を自由市場化し、派遣法改正によるプレカラティ(新貧困層)が激増する最中さらなる賃下げを求め、そのうえ消費税率の引き上げが決定されたところで外資の法人税率を20%以下に抑えろと言うのだから、連中はニホンジンをチョロイ連中だと舐めきっているのであり、骨までしゃぶりつくそうという魂胆なわけだ。

これでも右翼団体はゴールドマンサックスが入居するヒルズへ街宣車一台出動させることもないのだから、単に日の丸を掲げ保守だの愛国だの騒ぎたてるだけのバカタレではないのか?

東日本大震災と福島原発事故という歴史的災禍に疲弊する我々は、強烈なショック状態に陥り、言わば知覚不能状態なのであり、つまり茫然自失につけこまれ、TPP(自由貿易)による国家主権の破棄と経済市場の譲渡が達成されようとしている。

ナオミ・クラインが示唆するとおり、我々は「特区」という言葉に対し格別な警戒心を抱くべきなのであり、それはつまりグローバリゼーションという爆発装置の信管であるのだ。
(※ 以下詳細はブログ記事で)

  • この非常識シミュレーションを発表した日本政府やマスコミは国民に対してどのような意図を持っているのでしょうか。

3.日本政府やマスコミを動かす非日本人勢力が存在するのか

 国民にとって手の打ちようがない話を平気で流す日本政府やマスコミの姿勢をみて、本ブログでは、日本政府もマスコミも、もはや“外資化しているに等しい”と解釈します。

 具体的に言えば、日本政府もマスコミも、すでに、日本人ではない何者かに完全支配されているということです。

 筆者は16年半、米外資に勤務した経験がありますが、この経験から、上記の非常識シミュレーションを国民に平気で公表する発想、それはもはや日本人の発想ではなく、非日本人(外資の人間など)の発想だと強く感じます。

 日本政府のみならず、これらを平気で仰々しく報道する日本のマスコミも、すでに日本人ではない何者かに完全支配されていることが上記の非常識報道からうかがえます。



石破茂


 ・自民党の石破茂が、首都直下地震等を想定し、首都機能の分散や、国民の権利の制限、そして国民への義務の賦課などを主張している様である。

  如何にも全体主義者の軍事オタクらしい、非常に残念な発想である。

 ・一神教カルト信者の石破茂と言えば、橋下徹や小泉純一郎と同様、英語版のWikipediaでは“ネオコン”として認定されている政治家である。早い話が“シオニスト勢力のパシリ”だな(プ

 ・此の手のカルト政治屋は、首都直下地震やミサイル攻撃を煽る(又は惹起させる)ことで、ドサクサに紛れて国民を管理統制し、国民の生命と財産を収奪することを企んでいるのである。


■ ショック・ドクトリン その5 「三橋貴明オフィシャルブログ(2012.1.2)」より

(※ 前略)

 ・何が悲しくて、震災を「ビジネスチャンス」としてとらえる外資系企業や民間企業の大々的な「参入」を認めなければならないのでしょうか。復興特区法のコンセプトには、スリランカやニューオリンズで実際に行われたショック・ドクトリンによる新自由主義的実験が含まれているのです。

 震災直後、中野さんや藤井先生、それに東谷さんとお話しする機会が増え、
「復興は『普通に』『早く』『特別なことをしないで実施する』」
 という考えを強く持つに至ったわけですが、日本はリソース、それに環境的に、とにかく上記の「普通の復興」が容易に実現できます。

 政府が建設国債を発行し、日銀が長期国債を買い取り、政府が財政出動や所得移転(復興の場合は必要です)を実施する。何しろ、インフレ率がマイナスで推移しているデフレ大国日本でございますので、上記を実施してもインフレ率はほとんどピクリともしないでしょう。(したらしたで、デフレ脱却という話ですが)

 ところが、当初は「建設国債」という単語を使う政治家さえ出ず(いたのかも知れませんが、報道を見ませんでした)、日銀の長期国債買取もほとんど無視され、財務省主導で復興増税路線が進み、さらに復興財源でもめた結果、予算成立の時期が遅れ、さらにさらに額が小規模なものに終わり、挙句の果てに「復興特区」です。

 普通のことをすれば、早期に復興が可能で、かつデフレという「真の問題」解決にもつながる。これほどまでに解決策が明確な国が、「政治の不在」により間違った政策ばかりを打ち続ける。

 これも全ては、わたくしたち日本国民が政治をおろそかにし、政治をバカにし、政治の力を見くびったために起きてしまったわけです。有権者が政治を軽く見た結果、国内で「政治の不在」が鮮明化し、結果的に民主主義的なプロセスを無視した政策ばかりが推進されているというのが、現実の日本です。

 正さなければなりません。正す機会は、必ず近いうちにやってくると信じます。



 ・スタジオでゲスト出演した経済学者で東京外語大学教授の中山智香子氏は、2004年12月のスマトラ沖地震によるスリランカの津波被害の際に起きたことを、ショック・ドクトリンの事例の一つとして紹介。もともとは立ち退きに抵抗していた住民が居た沿岸地域が津波によって壊滅した機会に乗じて、「復興」の名のもとに、大規模事業者がリゾート開発などに着手したという。

  中山氏は、現在日本でさかんに議論がなされているTPP(環太平洋連携協定)についても、仮に現段階で同協定を締結することになれば、力の弱い事業者はダメージを受けると指摘。

「津波や原発事故もあって完全にショック状態にあるところで、ある限られた地域の中とはいえ、自由な資本主義にさらされることになる。そういう意味では(TPP反対派の)中野剛志さん(京都大学大学院准教授)たちがTPPを『ショック・ドクトリン』と言っているのは基本的にはそうだなと思う」




■ 民主党の良心とショックドクトリン 「日比野庵 本館(2011.11.8)」より

 ・「ショック・ドクトリン」とは、徹底した自由市場主義を主張したシカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマンが「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と述べたことに対して、カナダ人の女性評論家のナオミ・クラインが、「大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」だと批判した際に名付けたもの。

(※ 前後、大幅に省略。)



 ・いまは「TPP」、「TPP」と大騒ぎしているが、私が昨年の6月に
菅直人政権の”未来”は?:おそらく日本経済破綻、日本破滅!
をメモした時には、だれもその意味が理解できなかったに違いない。これぞ私の超予言能力の権化ですナ。その最後にこうメモしておいた。
そんなわけで、私の個人的予想(私の妄想)では、管政権で日本は終焉するのではないか、という気がする。要するに、ギリシャのようにいよいよ「経済破綻」するのである。いま日本人は目先の損得勘定から将来の損をするという感性の持ち主ばかりとなり、日本から金がどんどん流出しているというから(「黄金の国、今は昔?」 金の海外流出、過去最高 値上がりで個人が売却)、これは本当に危ない。もっとも、そういう金もその後暴落させるとイルミナティーのインサイダーは言っているから、どっちもどっちだろうが。

まあ、菅直人政権誕生の目的とは、ズバリ、「ネバダ・リポート」のシナリオ通りの日本社会を作り出すことなのである。(日本がIMFの管理下に??(小野盛司))いよいよ、イルミナティーの日本つぶしが最終段階に入って来たということである。そして、以下のようなルールが問答無用で適用される。

(※ 後半、相当量省略。ロバート・ゼーリック、キッシンジャーの名前も出てきます。)

■ ショック・ドクトリン 「私の闇の奥(2011.9.21)」より

 ・1970年カナダ生まれの女性ジャーナリスト、評論家、実践運動家でもあるナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(幾島幸子・村上由見子 訳,上巻下巻、岩波書店、2011年9月)が出版されました。多数の人々に読んでもらいたい本です。原著は
Naomi Klein, THE SHOCK DOCTRINE : THE RISE OF DISASTER CAPITALISM (2007)で、いま1200円ほどで買えます。

(※ 中ほど、相当略)

 ・ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』の訳書について、一つ、残念なことがあります。原書巻末の謝辞(ACKNOWLEDMENTS) が訳出されていないことです。これを省いた訳者と編集者の判断は十分推察できます。詳しすぎるし、長過ぎる。日本の一般読者に親しみのない名前が多すぎる─といった理由からでしょう。しかし、私見では、この数頁から著者ナオミ・クラインという女性の真性のイメージが見事に浮かび上がってきます。他人の紹介の到底及ぶところではありません。日本人読者にも親しい名前も沢山出て来ます。一つだけ選びましょう。
■ When I read and reread the work of Eduardo Galeano I feel as if everything has been said. (エドウアルド・ガレアーノの著作を読み返す度に、すでにすべてのことが言われてしまっているかのような想いがする。)








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最終更新:2013年10月04日 06:25