● 憲法無効論〔Wikipedia〕
憲法無効論は日本国憲法の制憲過程に重大な瑕疵があり無効であるとするもの、あるいはサンフランシスコ講和条約締結にともない自動失効しているとするものの総称であり、法理論としては前者が取り上げられ現代の憲法改正論議において論じられることが多いが、当初は後者の視点からの論であった。

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■ 【新無効論】講和条約説 「日本国憲法」は憲法として無効です!
「日本国憲法」が帝国憲法の下位規範として有効であることを主張します。無効憲法正当化の自己欺瞞の時代はもうそろそろ終わりにしましょう。
  ▲ 【新無効論】日本国憲法無効宣言【もくじ】



■ 「祓庭復憲」現行憲法無効宣言:南出 喜久治 「【新無効論】講和条約説 「日本国憲法」は憲法として無効です!(2012.12.3)」より
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 この現行憲法の制定は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の断行と並び、日本解体を企図したGHQの占領政策における車の両輪とも云うべき二大方針として敢行され、日本国家と帝國憲法を「悪」とし、連合国とその草案にかかる現行憲法を「善」と決めつけた徹底的な洗脳と恫喝の結果であることは、今や疑う余地のない歴史的真実であります。
 東京裁判については、これが国際法に違反する無効な裁判であることは国際社会や国際法学者の間においても定着した考えとなりました。
 ところが、現行憲法についてはどうでしょうか。この憲法の矛盾は日増しに増幅されて、社会・政治の混乱と道義・教育の荒廃は目に余るものがあり、その元凶がこの憲法であることは周知のとおりであります。
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 ポツダム宣言における日本軍の無条件降伏条項(第十三項)と武装解除条項(第九項)は、それぞれ現行憲法第九条第二項後段(交戦権否認)と同項前段(戦力不保持)の各規定にそのまま承継されているため、現行憲法が有効であるとする説を前提とすれば、自衛隊は確実に「違憲」の存在であります。これは、有効説による必然的帰結であるにもかかわらず、詭弁を用いて「合憲」と主張する人々がいます。現行憲法は、「非武装・非独立」の日本において、ポツダム宣言と降伏文書を憲法的に反映しようと企図したものであり、「自衛権」そのものを「否定」したことは明らかです。連合国が非武装・非独立の国家の憲法に、「戦力」は勿論のこと、「自衛権」など認めてくれるはずがなかったのです。

 しかし、国防上の要請から、自衛隊が「必要不可欠」であるとの認識は正当です。しかし、だからと言って現行憲法からすれば「合憲」ではないのです。現行憲法を有効とする限り、自衛隊はあくまでも違憲の存在です。この点は、反日主義者の論理(現行憲法の論理)が絶対に正しいのです。有効説に立つ限り、反日主義者の論理の方が道義的であり、「合憲論者」は明らかに反道義的であります現行憲法を有効としながら自衛隊を合憲とするような厚顔無恥な詭弁こそが、日本の伝統的な道義を退廃させ教育を荒廃させてきたことは明らかです。憲法を守らない大人の言い付けを子供が守るはずがありません。
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(※ 以下、ブログ記事サブタイトルのみ)
〇 現行憲法が絶対無効であることの理由

一 改正限界超越による限界
二 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」違反  
三 軍事占領下における憲法改正の無効性
四 帝國憲法第七十五条違反
五 憲法改正義務の不存在
六 法的連続性の保障声明違反
七 根本規範堅持の宣明
八 憲法改正発議権の侵害
九 「帝國憲法発布勅語」違反
十 政治的意志形成の瑕疵
十一 改正条項の不明確性
十二 帝國議会審議手続の重大な瑕疵


■ 簡単で安心!「新無効論」実施手順で~す。 「【新無効論】講和条約説 「日本国憲法」は憲法として無効です!(2008.1.16)」より
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日本国憲法無効論は心情的にはとっても支持できるんですね。
でもね現実的にはなかなか難しい問題がありそうです。
60年もあの憲法でやってきてしまったのですから。
それに、現実に「日本国憲法」が世の中を支えているのですから、
それを無効扱いなんて、できっこないですよね。

この↑意見をおっしゃる方の気持ちはよくわかります。
『日本国憲法無効論』という名を聞くと、
よく間違われるのは、
日本国憲法を「無効にする」理論だと思われること。
もうひとつは、
戦後の60年の国の歩み(実績)をチャラにして否定する理論だと思われること。


そうじゃないの?
と関心を持っていただければ、こちらとしてはしめたものです。
それがこれからお話したい「新無効論」なのです。

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■ 日本国憲法の誕生-4/ポツダム宣言違反 「【新無効論】講和条約説 「日本国憲法」は憲法として無効です!(2007.3.30)」より


■ 決定版・憲法無効論は破綻した論理 「谷田川惣のコラムブック」より
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憲法無効論は、法理論としては破綻しているが、

       政治論としては理解できるところがある。

       占領中に憲法を改正させられたことは納得がいかない。

       しかも、その内容が平和憲法なる偽善に満ちたものだ。

       あるとき私は、旧皇族の竹田恒泰氏に対して

       次のようなことを口にしたことがあった。


       しかし、理不尽であっても、昭和天皇と共に苦難を乗り越えてきたのであるから、

       現行憲法を受け入れた先人たちの思いを受け止め、

       また新たに乗り越えていくべきではないでしょうか。


       すると竹田氏の表情がすっと変化し、強い口調で

       「ぼくは理不尽ということは断固として認めないです」と仰せになり、

       私は凍り付いた。

       なんと言葉を返していいかわからなくなったのだ。

       自分では占領中に憲法を改正させられたことは理不尽だと思っていたけど、

       そんなことよりも、とにかくただ固まってしまった。


       そのあと、自宅でしばらく考え込んだ。

       そして、身の回りにあった本を手に取り、もう一度、当時の状況を見つめてみた。

       すると、昭和天皇の一つの御製が目にとまった


       うれしくも国の掟のさだまりて

              あけゆく空のごとくもあるかな


       現行憲法施行に際し、お詠みになられたものだ。

       わが国は世界でも唯一の君民一体の国柄である。

       天皇陛下は、ただ国民の安寧だけをお祈りになっておられる。

       現行憲法にある昭和天皇の上諭には、


       朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、

     定まるに至ったことを、深くよろこび、

     枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による

     帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、

     ここにこれを公布せしめる。


       こういったものは無理矢理つくらされたものだと思っていたが、

       いま、昭和天皇は本心から「深くよろこび」とお思いになっていたのではないかと

       畏れ多くも考えるようになった。


       以前に竹田恒泰氏から、天皇陛下の和歌というのは、

       “神々とのつながり”であるという話を聞いた。

       昭和天皇が理不尽と思っておられたのであれば、

       このような御製をお詠みになるはずがない。

       昭和天皇は新しい憲法が制定されたことを、

       和歌によって皇祖皇宗にご報告されたのだ。

       その中身に嘘があるはずがない。

       陛下のお心には常に民のことしかない。

       敗戦により民が飢えている状況は、耐えられないことだったのではないか。

       二千年の歴史・伝統に基づく国体が変更していないのであれば、

       GHQの草案であろうと、何であろうと、使えるものは使って、

       一刻も早く復興に向けて歩んでいきたいとお考えだったのではないかと、

       畏れながら拝察することができる。

       まさに「よころんで」現行憲法を迎えられたのではないか。


       私が竹田氏の言葉に理屈抜きで凍り付いたのは、

       そのお姿に昭和天皇が重なって見えたからではないだろうか。

       理不尽と考えるのは、臣民の理屈である。

       日本は君民一体の国である以上、臣民の理屈だけで考えるのは、

       それもまた国民主権思想の害悪ではないだろうか。

       日本人は天皇と共に苦難を乗り越えて歩んできたのだ。

       その現実を受け入れ、一歩一歩、未来に向けて進んでいくべきではないだろうか。

       本当の意味での保守の精神とは、現実から目を背けるのではなく、

       現実に向き合うことであると考える。







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最終更新:2012年12月12日 10:52