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ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon, 1923年10月25日 - 2012年12月30日)は、ウィーン生まれでウクライナ系ユダヤ人(ロシア統治時代)の父母を持ち、少女時代に日本で育った米国国籍の舞台芸術監督、フェミニスト。1946年の日本国憲法制定に関わった人物として知られており、このうち2012年まで存命した唯一の人物であった。

 22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草で人権条項作成に関与した。 日本では憲法24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった。戦後はニューヨークに居を構え、ジャパン・ソサエティ、アジア・ソサエティのプロデューサー・ディレクターとして世界の民俗芸能を米国に紹介。アジア・ソサエティを退職後、パフォーミング・アーティストを集めて世界中を公演するキャラバン(文化交流事業)の実現を目指した。
2012年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去[2][3]。89歳没。




★ 訃報:日本国憲法起草のベアテ・シロタ・ゴードンさん死去 「毎日新聞(2013.1.1)」より (※ 太字はmonosepiaによる)
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 【ニューヨーク草野和彦】第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)民政局員として日本国憲法の男女平等などの条項を起草した米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのため、ニューヨーク市内の自宅で死亡した。89歳だった。親族が毎日新聞に明らかにした。
 ゴードンさんは生前、「日本の憲法は米国の憲法より素晴らしい。決して『押しつけ』ではない」と主張し、9条(戦争放棄)を含む改憲の動きに反対していた。親族は、故人への供花をする代わりに、作家の大江健三郎さんらが設立した「9条の会」への寄付などを呼びかけている。
 1923年、ウィーン生まれ。有名ピアニストだった父が東京音楽学校(現東京芸大)に招かれたことに伴い、一家で来日。5〜15歳まで東京で暮らした。米国の大学に進学後に太平洋戦争が開戦。ニューヨークで米タイム誌に勤務していたころ、日本に残った両親の無事を知ってGHQの民間人要員に応募、45年に再来日した。
 25人の民政局員の中では最年少の22歳だった。憲法起草委員会では人権部門を担当。10年間の日本生活で、貧しい家の少女の身売りなどを見知っていたことから、女性の地位向上を提案。14条(法の下の平等)や24条(両性の平等)に反映された。
 米国に戻った後もしばしば講演などで来日。00年5月2日には国会の憲法調査会で意見陳述し、「日本国憲法は世界に誇るモデルだから50年以上も改正されなかった。他の国にその精神を広げてほしい」と訴えた。
 また、ニューヨークの日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」などに勤務し、狂言の野村万蔵さん、版画家の棟方志功さん、茶道の千宗室さんらを米国で紹介。文化の橋渡し役としても活躍した。


■ 戦後ニッポン「男女平等」の光と影 ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去に思う 「Yahoo!ニュース〔木村 正人〕(2013.1.3)」より
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ベアテさんの発案で盛り込まれた日本国憲法24条は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」とうたっている。
(※ 中略)
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米国側と日本側両方の通訳をしていたベアテさんに対する日本側の印象は良く、GHQ民政局ケーディス大佐はそれを利用して、「ベアテ・シロタさんは女性の権利を心から望んでいるので、それを可決しましょう」と日本側に提案した。ベアテさんが男女平等の草案を書いたことを知らなかった日本側はびっくりして、「それではケーディス大佐が言う通りにしましょう」と同意し、現在の24条が固まった。

ベアテさんがいなければ、日本の「男女平等」がどうなっていたかわからない。その意味で、ベアテさんは日本にとって「男女平等」の母と呼ぶにふさわしい

こうした光の部分に比べて、「男女平等」が戦後日本に落とした影の部分についてはあまり知られていない。
(※ 以下略。)

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■ ベアテ・シロタ・ゴードンと占領期の日本女性:吉原真里 「BLOGOS(2013.1.3)」より (※ 前後略。)
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また、訃報・追悼文という文章の性質上、こうした内容になるのはやむをえないのかも知れません。が、アメリカ=アジア関係史・ジェンダー研究に携わるものとしては、まるで彼女がひとりで日本女性の権利拡大をもたらしたかのような書き方にはちょっと疑問が。日本でも戦前からさまざまな日本人の知識人や活動家による女性運動の歴史があったのだし、また、憲法24条によって日本社会で性の平等が実現したわけでもない。








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最終更新:2013年01月08日 21:41