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■ 【読者必読⑥】目に余る池田礼子一家、小和田恒、優美子の公金横領ぶり、無限拡散希望 「伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」(2015.12.23)」より
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2012年(平成24年)
2012.3.3 四日、退院された天皇を皇居でお迎えしたのは秋篠宮ご夫妻と悠仁さまだった。黒田清子さんご夫妻も御所を訪れ、退院を祝ったという。
「皇太子ご一家は合流されませんでした。その前日は小和田ご夫妻が日本を離れオランダに帰るため、東宮御所を訪れ、夕方から十九時頃まで滞在したそうです」(宮内庁関係記者)≪週刊文春3/15号≫
2012.4.18 夕方徳仁外出とすれ違うようなタイミングで東宮御所訪問した両親小和田夫妻と、雅子が歓談≪週刊文春5/3・10号≫
なおその翌日(19日)、春の園遊会(赤坂御苑)を雅子欠席。【翌日シリーズ】
2012.9.15 高級中華料理レストラン富麗華での小和田恒・優美子夫妻金婚式祝いの夕食会に、東宮夫妻ら約10名出席≪週刊文春10/4号 天皇家のご静養には合流せず雅子さま「小和田夫妻金婚式」でとびきりの笑顔≫
なお前日(14日)、東宮御所でのご会釈(勤労奉仕団)とご会釈(人事異動者)を雅子欠席。【翌日シリーズ】
(※mono.--以下、2015.3.24までの記録が続く。詳細はブログ記事で)
@ueharabinn2 @fajiarunyu12 何者かによって削除されてしまった「ドス子の事件簿」の復旧版「Dosuko Wiki」http://t.co/IiIHzxswWS 1993年4月17日記述から pic.twitter.com/gdV0s01cUl
— 那都希 (@natsuki_yuri) 2015, 8月 16
@diebud0319 古い時代は、一族の墓地に当主とその妻などの個人墓が、代ごとに並びます。小和田家の墓の気色悪い点。古い小和田匡利(系図に無い名前)の個人墓を「再利用」し、御影石の土台をつぎはぎして、一族の墓としたことです。普通に小和田家代々の墓として一基作れば良かった。
— 蜜柑 (@kazimierzmicana) 2015, 4月 19
新潟は普通の農家でも簡単に10代くらいさかのぼれる。なのに小和田家は3代前の「金吉」だけ。婚約発表時に士族の小和田家の流れとNHKが伝えたが、本家小和田家はわざわざ「一緒にするな」とばかりに否定。新潟の大庄屋出身の母は「金吉」という名前で士族は無いと笑っていた。
— 蜜柑 (@kazimierzmicana) 2015, 3月 16
誰もがやっているように、普通に小和田家代々の墓として一基作ればいいのに、墓捨て場から古い個人墓石を見つけてきて、再利用した小和田恒氏。日本の伝統(近代の風習含む)や文化に無頓着で、三代しか遡れないコンプレックスが大きかったのだろう。 pic.twitter.com/yJ8y2leqcz
— 蜜柑 (@kazimierzmicana) 2015, 4月 19
室町〜江戸時代からの旧家は一族だけの墓地を持ち、当主とその妻の墓石が、代ごとに並びます。小和田家の墓の気色悪い点。古い小和田匡利(系図に無い名前)の個人墓を「再利用」し、御影石の土台をつぎはぎして、一族の墓としたことです。 pic.twitter.com/nlZHIUdQka
— 蜜柑 (@kazimierzmicana) 2015, 4月 19
小和田家と江頭家の出自 本来の国籍は? http://t.co/RuBSgq4XbI 明らかに異様な墓石。 pic.twitter.com/HnVmRKOmbk
— 護国母さん (@gokokukasan) 2014, 11月 8
■ 日本人必読レポートが週刊新潮(10月9日号)に掲載されています 「水間条項(2014.10.7)」より
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知る人ぞ知る小和田家の情報が発売中の『週刊新潮』(10月9日号)工藤美代子レポート “「皇后美智子さま」の秘録”第18回「正田家と小和田家」に記載されてます。
実際、ここに書かれている情報は承知していましたが、ほとんどの国民は知らないことです。
小生の最新刊『ひと目でわかる「大正・昭和初期」の真実』の41ページに「そして、昭和天皇の侍従長・入江相政の母親は、白蓮の姉・信子でした。」と、入江侍従長に唐突に触れたことに、「????」を感じた方は洞察力が優れていらっしゃいます。保守層の国民にとって入江侍従長で記憶に残っているのは、最初に「小和田雅子さん」が皇太子妃の候補に名前が挙がったとき「小和田家は江戸時代まで家系がたどれない」として、反対され「雅子さん」は候補から外されたのですが、昭和天皇が逝去され入江侍従長が皇居から去ってからまた「小和田雅子さん」が皇太子妃候補に復活したのです。
小生が、入江侍従長のことで、書きたかったことをすべて工藤美代子氏が、論述しています。この工藤美代子氏の連載は単行本になるでしょうが、この号の一部は収録されない可能性がありますので、前々号の本多勝一氏が捏造写真を認めたグラビアページと同じファイルにストックする価値があります。
現在、雑誌に価値のない情報が溢れていますが、歴史的な価値のある記事は、小生もストックしていますが、今回の工藤美代子氏のページはストックしますよ。
まさか、この小和田恒家の秘密が白日の下に晒されるとは思っていませんでした。工藤美代子氏が「墓の件にこれ以上分け入るのは今回は避けたい。」と、記していますが、「墓石を新しくしたとき一部を処分して移設した件」のことなのでしょうが、天皇家に直接係わることですので明らかにするべきだったと思います。
工藤美代子氏は、「関東大震災で朝鮮人虐殺はなかった」とのレポートを『SAPIO』に連載していましたが、単行本は別の出版社が発行していました。また、小生の「朝鮮版朝日新聞の研究」も徳間書店から発行になりました。いま戦前のタブーに斬り込める出版社は限られてますので、興味のある方は今週号の週刊新潮は必読保存版です。
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■ ついに小和田家の秘密 《水間氏の意向により全文掲載条件でネット転載可》 「BBの覚醒記録(2014.10.7)」より
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ネットの一部では(拙ブログ含めて)根強くささやかれ続けていた、小和田家の
出自に関して、週刊新潮がついに触れたようです。出自に関して・・・・・
はっきり言えば、本来の日本人なのか? という強い疑義ですね。
読者の方々からも時折指摘はあり、どんな庶民でも地方に定住していれば、
随分昔まで先祖は遡れるものだ、と。
それが遡れない小和田家。
その禁忌に、保守に圧倒的支持者を持つ水間政憲氏が触れる。
時代にいくらかは風穴が開きつつあることを感じます。
少しでも書けば、それがいかに事実であろうと「不敬」だとして
思考硬直して、事実を告げる者を罵る保守層が存在しています。
今回の水間氏の文章は短いのですが、小和田家の出自への疑問符を提示しています。有り体に申せば、半島出身者ではないかという疑義とも読めます。
墓石の不自然の片鱗にも触れています。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)
【小和田雅子】
■ 雅子妃と実家の税金食いつぶし 「BBの覚醒記録(2014.4.22)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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雅子妃の浪費は個人にとどまらず、小和田一族のたかりもあり東宮に割り振られる
予算の細目を見ていると使徒不明としか言いようのない項目もあり、不透明著しい
有り様です。その一例、儀式用の衣服に年間1700万の出費となっているのですが、
雅子妃は儀式にはいっさい出ず、皇太子はモーニング程度で毎年仕立てる必要は
ありません。ほぼまるまる(に近い)1700万円が不明朗な出費です。
いやはっきり、項目だけ立てた使途不明金で民間なら査察が入るところです。
小は愛子さん運動会見物のため、侍従たちに早朝から並ばせる人件費、
一説には6人x 39000円は=23万円とも。来賓席に行けば済むことを
わざわざ一般席所望で、そのために警護もややこしくなります。
周囲への気配りゼロ。
80人の警護と10台の車を連ねて愛子さんの山中湖校外学習にかかった
費用まで、なぜ国民が負担させられるのでしょう?
本来校外学習に付き添いはいけないのです。
浜中湖の愛子さん遠泳見学も同様。そのために警護を引き連れ、車を連ね
民間の交通を遮断して、国費の乱費。
林真理子という「愛子様は類まれなる美少女におなり」と持ち上げた作家が
「雅子妃はどんどん贅沢をすべき」と、エッセーで擁護論を書き散らしていますが、
贅沢がいけないのではなく、贅沢に見合うお方かどうかということと
日本の皇室の妃が海外にお出ましの時に海外ブランドに身を包み、
和服は拒否という、愚かなさまが批判されているのです。
◆ 【皇室】小和田さん夫妻、娘・雅子さまを追ってオランダへ日本から発っていた(NEWSポストセブン)★2 「まとめ安倍速報(2013.5.10)」より
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1: きのこ記者φ ★:2013/05/09(木) 23:19:56.24 ID:???0
オランダでの王位継承行事ご出席のため、皇太子ご夫妻が日本を出発した4月28日の翌日夜9時半過ぎ、都内の隠れ家的な寿司店を1組の老夫婦が訪れた。
この老夫婦こそ雅子さまのご両親・小和田恆(ひさし)さん(80才)と優美子さん(75才)夫妻だった。
外務省のエリート官僚として事務次官や国連大使などを歴任した恆さんは現在、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所判事を務め、基本的には優美子さんとともに同国で暮らしている。
この日、夫妻は大好きだというお寿司を心ゆくまで堪能すると、「明日、朝10時の飛行機でオランダに戻らなきゃならないの。また夏に帰ってくるわ」と女性客や店主に言い残して店を後にした。
そして翌4月30日、朝7時半過ぎ、小和田邸前に迎えに来たハイヤーに乗り込み、ふたりは娘・雅子さまを追ってオランダへと旅立っていった。
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小和田夫妻 雅子さまを追ってオランダへ日本から発っていた : 女性セブン2013年5月23日号
http://news.mynavi.jp/news/2013/05/09/019/index.html
■ 小和田家の謎・雅子妃の闇 Part1~3 「かけだし鬼女の「今が日本の一大事~よければ一緒に凸しよう!~」(2012.7.27~2013.5.22)」より
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いつまでもアンタッチャブルではいられない!そう、皇太子妃雅子様です。
「雅子妃を!」といくつかコメント欄からご要望いただいておりましたが、
いろいろ警鐘のブログを渡り歩き、を!これも!これも!とやってると、
まあ、長文になりますわな。つか、いろいろ憤怒と驚愕の事実、大杉!アタマくらくらしてきます。
なんで3回シリーズ(←予定←確定)にてお届けしたいと思います。
大河小説っぽく祖父母編、父母編、そして雅子妃編。今回は祖父母編をお届けします。
内側から次々と皇室を破壊してくれる雅子さんは皇室を否定する人々にとって重宝な存在だと思われる。
紀子様の名誉を守るためにも皇室のためにも日本のためにも雅子さんの出自をはっきりとさせるべきだと思う。
「富田メモ」で「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に
「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答
反対の理由は、チッソ(雅子さん祖父)、男性関係の他に血筋も関係しているのではと言われている。
当時のお妃候補の中で家系図の無い家は小和田家のみ。
宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。
そのとき、部落開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)
そのため、身元調査は打ち切りになった。
(※ 以下大変な長文につき、詳細はブログ本文で。)