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kiss my ass 「 独りファシズム (2013.10.31)」より



■ kiss my ass 「 独りファシズム (2013.10.31)」より
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もはや国家の再生などあり得ないのだと思う。

紀元70年、イスラエルはローマ軍に包囲され終焉を迎えるのだが、その際ラビ・ ヨハナンがローマ皇帝ティトゥスとの交渉に臨み、学校施設を残すことを降伏条件としたのであり、つまりユダヤは「学問が祖国である」という思想によって民族体系を維持してきたわけだ。

対しニホンは外国勢力に要求されるまま「経済特区構想」と称し学校の民営化を推進し、4万人規模で公立校の教員を削減しようとしているのだが、それは本来的に涵養(人格を育む)の場である教育施設にアングロサクソン型のマーケット・メカニズムを導入することを意味し、つまるところ国民精神の解体を示唆するのである。

ハリケーン・カトリーナにより壊滅状態に陥ったニューオリンズは、混乱に乗じ学校を民営化し、生徒の70%以上を占める貧困層の復学を拒否したのであり、このように教育は医療と福祉に並び、絶対に資本論理を展開してはならないカテゴリーなのだ。

経済グループの要請に従い人間を偏差値というメルクマール(指標)に落とし込むだけでなく、さらには教育機会のバウチャー(商品券)化により高学歴を富裕層に集中させるのであり、つまり学校の民営化とは格差の固定により「社会的流動性(Social Mobility)」(貧困層が努力によって社会上位に入る機会)を断つというヘゲモニー・プロジェクト(覇権戦略)の一環なのである。

そのうえ文科省は言語中枢の形成期にある9歳児から英語教育を実施するというのだから、それは事実上の同化政策(支配民族が植民地原住民に対し、自分たちと同じ文化を強制する)と捉えるべきだろう。

すでに米国はインフラや行政、消防署や刑務所、ついには治安や軍事に至るまで民営化を実施し、それ自体が莫大な投機市場を形成しているとおり、ニホンにおける公的機関の株式会社化もまたグローバル資本の教唆によるのだろう。繰り返すが、大震災と原発事故の混乱に乗じ「平時では不可能な経済改革を一挙に達成する」というショック・ドクトリンが実践されているわけだ

オリックスの宮内氏がPFI(Private Finance Initiative=企業の公共施設運営)というスキームで高知医療センターを株式会社したとおり、この国においては外圧が社会強制力なのである。一連の規制緩和は国政議会ではなく「年次改革要望書」(日米経済調和対話)というアジェンダに基づいて進行しているのであり、今後そのような内政干渉がTPPによって過激化することは語るまでもない。

さらに「経済特区構想」では労働規制の緩和も謳われているのだが、さしづめ「特区」などというものは現代の租界であり、占領者が跋扈する治外法権区域のようなものだろう。そもそも小泉改革を起点として年収200万円以下の労働者は1000万人を突破しているのであり、この状態でさらに低所得者を増産しようというのだから、それは内需の破壊と全く同義なのである。

つまるところ「有効需要(個人消費と設備投資)の創出」という政治機能が外国人によって無化されているのであり、マルコムXの至言とおり「抑圧する者にルールを作らせてはならない」のだ。

本来的にこのような主張は自分のような左派リベラル(あえて規定すればだけれど)によるのではなく、右派コンサバティブによって展開されるべきなのだが、ニホンの右翼というのはかくも腐乱しているのであり、進行する破局を感知する最低限の知性も持ち得ないのであり、そもそも成員の大半はニホンジンですらないのであり、在日者がビジネスとして愛国を騙っているだけのこことだろう。

「グローバリゼーションとナショナリズムは相反するのではなく共犯関係にある」という定理からすれば、国家危機の傍観は合議によるのであり、右翼集団もまたマス・メディアと同じく多国籍資本の支配装置である。

あらためて我々の体系は透明な戦時下にあり、国民経済の城壁は多国籍企業軍に包囲され、開門を迫られている状態と言えるだろう。

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どれほど経済市場が破壊され、国民資産が略奪されたとしても、国家精神が残存するのであれば次世代に再生を託すこともできるだろうが、彼らの構想どおり教育すらレッセフェール(欲望主義経済)によって破壊されるのであれば、それはCultural Cleansing(文化浄化)なのであり本質としてEthnic Cleansing(民族浄化)なのであり、この体系は「必然的な結末」を迎えるしかないのだと思う。

換言するならば、我々は教育という最後のアイデンティティを解除されようとしているのだ。

「国家」はすでに存在しないのであり、個々は構造を解かれた原子に等しいのであり、帰属しているものは法治も国境もない始原的な部族社会にまで頽廃した領土の残片に過ぎないのであり、やがてそれも人類史に存在したあまたの民族体系と同じく、優越する文明によって解体され消滅していくのだろう。













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最終更新:2013年10月31日 16:37