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今日のベトナム経済隆盛の陰には、太平洋戦争以前から彼の国を支え続けた日本人の姿があった。知られざる日本とベトナムのつながりを当事者たちの言葉からたどる。



玉居子精宏
たまいこ・あきひろ 1976年、神奈川県生まれ。フリーランスの編集・ライター。大学卒業後、出版社に勤務。退社後は大東亜戦争中のベトナムに存在した日本の外地校「南洋学院」に注目し、「仏印・ベトナムと日本のかかわり」をテーマに取材を続ける。2005年、ホーチミン市(旧サイゴン)に移住。現在は「ベトナム残留日本兵」への聞き取りにも力を注ぐ。



unknown (unknown)
2017-03-02 23:04:57
新聞の番組欄には、ベトナムを訪問中の天皇陛下が、枯葉剤の犠牲になったベトちゃん、ドクちゃんのベトちゃんに会ったという見出しが書かれていたが、果たして、本当にその場面は、テレビで放送されたのだろうか?私は、見損なってしまったが。(その時間に、テレビを視聴することができなかったから。)
ベトちゃん、ドクちゃんの問題に一番触れてほしくないのは、アメリカだろう。現大統領のトランプ大統領は、そのアメリカの暗部を隠そうとしていなくても、日本のマスコミを支配しているグループ(軍産複合体?)がそんなベトナム戦争で、アメリカ軍が撒いた枯葉剤の犠牲者であるベトちゃんドクちゃんの話題に触れられたくないはずだ。ちなみに、枯葉剤の影響により、結合した状態で生まれたベトちゃんドクちゃんは、何年か前に、結合部分を剥がす、分離手術を受けたが、この分離手術により、ドクちゃんは死亡している。ベドちゃんを救うために、ドクちゃんが犠牲になったともいえる。そんなベトナム戦争の暗部をアメリカが日本のテレビで報道することを許可するだろうか?するわけがない。その人身御供に森村学園がなっているともいえるかな。

unknown (unknown)
2017-03-02 22:46:31
天皇陛下のベトナム訪問を報道させないために、アッキーナ事件を報道していると、バアルさんが分析されているが、俺もそう感じる。今、一番に重要なニュースといえば、ベトナム訪問中の天皇陛下の話題のはずなのに、テレビをつければ、森本学園のニュースばかりだ。俺は、こんなニュース(森本学園関連のニュース)なんて、どうでもいいんだ!天皇陛下がベトナムで、どのように歓されているのか、その様子が見たいのに、一向にテレビでは報道されない。しかし、今、俺は思いついた!!天皇陛下のベトナム訪問について、詳しく報道されては困るのは、ベトナム戦争で、アメリカが北ベトナムと戦って、悪名高き枯葉剤を巻いたり、残虐な行為を行ったことがバレるアメリカと韓国だ!アメリカだけでなく、このベトナム戦争に参戦した韓国軍は、現地のベトナムで、大変な残虐な行為を行った。現地の ベトナム人女性を強姦して殺害したりした。このとき、強姦されて生まれてきたベトナム人と韓国人のハーフの子供がライダハンである。このようなベトナム戦争の暗部を知られたくないのは、アメリカと韓国である。
アメリカと韓国に支配された日本のマスコミが、このような理由から、天皇陛下のベトナム訪問に触れたくないのはよくわかる。なんたって、このアメリカ軍&韓国軍と戦ったのは、現地(ベトナム)に残って、ベトナムの独立を支持し、助けた日本人の兵隊さんたち(軍人)たちなんだからな。北ベトナムの軍を組織することを手伝ったのは、現地(第2次大戦中は、南部仏印と呼ばれた、今のベトナム)に残った日本兵の皆さんである。北ベトナムがアメリカ軍と韓国軍に勝利したのは、旧日本軍が、北ベトナムを助けたからである。

こ、これは、 (バアルのような者)
2017-03-02 21:21:10
<>東南アジアでのビッグゲームで日本の希望の要となるベトナム

これは、アッキード事件盛り上げる(そして天皇陛下の動きを
報道させない)のはロシアも歓迎というゴーサインか?
日本が地球の裏側に居るヤクザ者に貢ぐのをやめてご近所とうまく
やれる未来を作るために必要な事ならば個人として関心無くても
アッキード事件盛り上げるのに協力しちゃうよ。
私は地球に愛国心をもつ愛国者なのだ。

Unknown (Unknown)
2017-03-02 18:50:56
https://jp.sputniknews.com/opinion/201703023389818/
東南アジアでのビッグゲームで日本の希望の要となるベトナム



■ 天皇皇后両陛下ベトナムご訪問  日越軍事同盟?&残留日本兵が歴史教科書に載る日 「祖国創生(2017.3.3)」より
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天皇皇后両陛下がベトナムご訪問された。かねてからのベトナム政府からの招請にお応えになられたとのこと。
タイミング的には、日越軍事同盟?を中共に印象づけることになるだろう。
―― 参考情報 ――――――――――
歴史に翻弄された残留日本兵のベトナム人妻、夫の軍服を巻いた枕を抱き眠る
http://www.viet-jo.com/news/social/170228122336.html

ベトナム訪問の両陛下、残留日本兵の妻子と面会 (必見!)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2996201.html

残留元日本兵の妻、スアンさん「ご訪問うれしい」…感謝の涙
http://www.sankei.com/life/news/170302/lif1703020058-n1.html

【ベトナム国民絶賛!!】ベトナム残留の元日本兵家族との面会に込めた【天皇皇后両陛下】の行動と想いに感動!【皇室・天皇】海外の反応
https://www.youtube.com/watch?v=ZbGaXo6Hv0w

(※mono....中略、詳細はブログ記事で)

文献情報的に、集められるものを揃えてみた。
―― 参考情報 ――――――――――
インドシナ残留日本兵の研究 - 防衛研究所
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200203/06.pdf

ベトナム秘史に生きる日本人
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0906.php

日本とベトナムの仲…独立戦争で共にフランス軍と戦った残留日本兵たち
http://blog.goo.ne.jp/irukanoutada11/e/b5a0a78142449dca7190b13dfcb5eb5e

日本軍がかかわったベトナムの独立戦争
http://www.sanspo.com/geino/news/20141015/sot14101515300014-n1.html

ベトナム独立のために戦った日本人将兵がいたことを忘れるな
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1552580.html

クァンガイ陸軍士官学校 - ベトナムの戦士を育み共に闘った9年間
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784870151635
―――――――――――――――――

(※mono....以下続くも略、詳細はブログ記事で)



★ 歴史に翻弄された残留日本兵のベトナム人妻、夫の軍服を巻いた枕を抱き眠る 「ベトナムニュース(2017.2.28)」より
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 「これは主人なんです」。グエン・ティ・スアンさん(94歳)はベトナムの国旗を巻き付けた枕を指差して言う。国旗の下には日本の軍服が折り畳まれて巻き付けられており、スアンさんは毎晩この枕と一緒に眠るのだ。

 2月28日からベトナムをご訪問される天皇、皇后両陛下はハノイ市で残留日本兵の妻らとご懇談される予定で、スアンさんも残留日本兵の妻の1人だ。

 スアンさんの夫は第二次世界大戦後に日本へ帰国したままベトナムへは戻ってこなかった。残留日本兵とベトナム人女性の家族は日本とベトナム両国間の歴史の荒波に翻弄されてきた。

 1940年代に日本軍がベトナムの一部地域を占領したことについて、依然として多くのベトナム人が嫌悪感を抱いている一方で、日本軍による占領はフランスのインドシナ植民地支配を終わりに向かわせる足がかりとなったと据える人もいる。

 当時のベトナムでは日本軍とフランス軍の占領により数百万人のベトナム人が餓死し、一方ではスアンさんのように日本兵と家庭を築く者もいた。「彼はベトナム語がとても上手で、ベトナム語の歌も唄えたんですよ」とスアンさんは夫に思いをはせる。
+ 続き
 スアンさんと夫は1945年に日本軍の降伏後に結婚した。当時インドシナには約10万人の日本兵が駐屯しており、スアンさんの夫を始め約600人の日本兵がベトナムに残留し、ベトナム独立同盟会(ベトミン)として第一次インドシナ戦争に参戦した。

 約半数の残留日本兵が戦死や病死し、第一次インドシナ戦争が終結した1954年には生存していた残留日本兵の一部が帰国を余儀なくされた。

 1954年に1回目の残留日本兵引き揚げがあり、スアンさんの夫を含む71人が日本へ帰国したが、家族の同伴は許されなかった。1961年の2回目の引き揚げでは妻子の同伴が許されたものの、複数のベトナム人女性との間に子供を儲けていた者も多く、取り残された女性や子供もいたという。

 残留日本兵を父親に持つグエン・ティ・バンさん(63歳)は「父は必ず迎えに来ると約束をしましたが、約束を果たすことができませんでした」と語る。父親は復員して7年後に亡くなった。

 ベトナム戦争勃発後は、日本が米国と同盟国であったことから残留日本兵とベトナム人妻の家族は苦境にさらされた。状況が好転したのは1975年以降のことで、冷戦終結後は日本とベトナムの両国関係も急速に改善されていった。

 スアンさんは夫が帰国しても再婚することはなく女手一つで子供を育てた。2005年にスアンさんの夫は日本の家族を連れてベトナムを訪れ、スアンさんとの再会を果たした。

 スアンさんは当時のことをこう振り返る。「一度だけでも彼と再会できたので思い残すことはありません。過去は過去です。前に進む時が来たのです」。

 1月の安倍晋三首相のベトナム訪問に続き、この度の両陛下のベトナムご訪問は両国にとって非常に意義深いものとなるだろう。


★ 天皇皇后両陛下 ベトナムで旧日本軍兵士の家族と面会 「NHK(2017.3.2)」より
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ベトナムを公式訪問している天皇皇后両陛下は2日、ベトナムで終戦を迎え、その後も現地に残った旧日本軍の兵士の家族たちと面会されました。
ベトナムでの滞在3日目となる両陛下は、現地時間の午前10時すぎ、11世紀にベトナム最古の大学が置かれた首都ハノイの史跡、「文廟」を訪ねられました。ここでは、かつて日本で学んだベトナム人の元留学生や、日本で看護師や介護士として働くことを目指している学生たち20人余りと懇談し、両陛下は、終始にこやかな様子で、「日本語の勉強はどうですか」などと声をかけられていました。

介護福祉士の候補生として、ことし5月に日本に渡る、レー・スアン・チュンさん(24)は「日本のお年寄りを助けて、両国の架け橋になりたいです。天皇陛下から『待っていますよ』と励ましていただき、頑張ろうと思いました」と話していました。

続いて両陛下は宿泊先のホテルで、第2次世界大戦中に、当時のフランス領インドシナに進駐し、ベトナムで終戦を迎えた旧日本軍の兵士、「残留日本兵」の妻や子どもたちと面会されました。

+ 続き
残留日本兵は、終戦後も現地に残ってベトナム人とともに、フランスとの独立戦争に加わるなどしましたが、政治体制の変化などもあって、1950年代以降、多くが日本に帰国し、ベトナムに残った家族は生き別れになりました。

家族たちは経済的に苦しく、さまざまな差別にも直面したということで、宮内庁によりますと、両陛下は訪問前に家族たちのことを知り、面会を望まれたということです。

両陛下から「本当に長い間、苦労されましたね」とか、「くれぐれもお元気でね」などと、いたわりの言葉をかけられ、涙を流す人もいました。

妊娠中に夫が日本に帰国し、3人の子どもたちを女手一つで育てたというグエン・ティ・スアンさん(93)は「長年の戦争でさまざまな困難に遭いましたが、ご高齢の両陛下がわざわざベトナムを訪問して、私たちに会っていただき感謝しています。両陛下がこれからもお元気でいてくださることを祈っています」と話していました。

ベトナム残留日本兵の家族 厳しい生活


第2次世界大戦中、日本軍は中国への物資の支援ルートを絶とうと、1940年以降、フランス領インドシナに進駐し、終戦当時も10万人近くの日本兵が現在のベトナムにいたとされています。

終戦後、そのほとんどが日本に引き揚げましたが、一部の兵士は現地に残り、植民地支配を続けようとしたフランスからの独立を目指す「べトミン」に合流し、教官としてベトナム人の訓練にあたったり、フランス軍との戦闘に加わったりしたということです。こうした残留日本兵は当時、数百人いたと見られています。

しかし、1949年に中華人民共和国が誕生すると、べトミンは中国から大規模な支援を受けるようになり、それまでべトミンとともに戦っていた残留日本兵は、次第に居場所がなくなったと元日本兵は証言しています。

残留日本兵の多くはベトナムの女性と結婚し、家庭を築いていましたが、こうした状況の変化を受けて、そのほとんどが1954年以降、帰国することになりました。元日本兵によりますと、帰国にあたって妻子を連れて行くことはベトナム政府が許さず、多くの家族が日本とベトナムの間で離れ離れになってしまったということです。

さらにベトナム戦争が始まると、西側陣営の一員と見られていた日本に対する反感も強まり、残された妻や子はさまざまな嫌がらせを受けたり、就職などでも差別されたりするなど、厳しい生活を送ってきました。

こうしたことからベトナムに残された家族は最近まで、過去を積極的には明らかにせず、また、日本に戻った残留日本兵たちも同様だったため、戦後、日本とベトナムの間で引き裂かれた家族がいるという事実は、ほとんど知られていませんでした。


★ 「日本への信頼失わなかったベトナム」「揺るぎない友人に」特別大使の杉良太郎さん 「産経ニュース(2017.2.28)」より
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 天皇、皇后両陛下のベトナムご訪問にあたり、同国と日本の両国で特別大使を務める俳優の杉良太郎さん(72)は、ご訪問を機に両国が「揺るぎない友人」となることを期待している。

 杉さんが初めてベトナムを訪問したのは1989年。西側諸国の歌手としては初のコンサートをハノイで開き、「戦後間もない途上国」との印象を受けた。
+ 続き
 このとき面会したド・ムオイ首相(当時)から「戦後の日本の復興は我々のお手本だ。世界で一番、日本語が話せる国になりたい」と言われた。「日本への信頼を風化させてはならない」と感じた杉さんは6年後の95年、日本文化と日本語を教える「日本語センター」をハノイに設立。併せて孤児や盲学校の支援も進めており、これまで計101人と養子縁組し、大学卒業まで物心両面で支えている。杉さんが招かれている1日の晩餐会では、盲学校の生徒が演奏を披露する予定だ。

 昨年11月に文化功労者を招いて開かれた茶会では、陛下から「最近のベトナムはどうですか」と声をかけられた。杉さんは「ご訪問は歴史的なこと。経済や政治を超え、その重みを受け取る力をベトナムは持っている」と力を込めた。

■ ベトナム秘史にいきる「日本人」:玉居子精宏 「草思社」より
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今日のベトナム経済隆盛の陰には、太平洋戦争以前から彼の国を支え続けた日本人の姿があった。知られざる日本とベトナムのつながりを当事者たちの言葉からたどる。



玉居子精宏
たまいこ・あきひろ 1976年、神奈川県生まれ。フリーランスの編集・ライター。大学卒業後、出版社に勤務。退社後は大東亜戦争中のベトナムに存在した日本の外地校「南洋学院」に注目し、「仏印・ベトナムと日本のかかわり」をテーマに取材を続ける。2005年、ホーチミン市(旧サイゴン)に移住。現在は「ベトナム残留日本兵」への聞き取りにも力を注ぐ。


■ 安倍首相の靖国参拝に対するベトナム人の反応=「ファシスト日本」と歴史的バランス感覚 「同天(2014.1.19)」より
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 2013年12月26日、日本の安倍首相が靖国神社を参拝し、それに中国、韓国、さらに今回はアメリカ大使館も「失望」との言葉を使ってその行為への遺憾の意を表したことが話題となっています。

 実はと言いますか、ベトナムだって第2次世界大戦においては日本に占領された歴史のある国、ベトナムの独立は実は「日本から」の独立だったという経緯もあり、ベトナムの歴史教科書ではその時代の日本を「ファシスト日本」として厳しく書いています。歴史的立場は中韓にも近いはずのベトナム、今回の安倍首相靖国神社参拝をどう受け止めているのでしょうか?
(※ 後略、詳細はサイト記事で)

最終更新:2017年03月03日 17:54