今や雑誌・テレビに引っ張りだこのピケティ教授。だが、彼の著書で、現在日本で13万部のベストセラーとなっている『21世紀の資本』を読破した強者はどれほどいるだろうか。何せ注釈を抜きにしても608ページに及ぶ専門用語をちりばめた大著である。実のところ、多くの人が読み切れていないのではないか。
そこで、どんな内容なのかを押さえておくため、単純明快な図解を試みた。ここに示した6つの図に目を通せば、『21世紀の資本』を直感的に理解できるはずだ。
(※mono.--以下大幅に略、詳細はサイト記事で)
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ピケティ本『21世紀の資本』は、この図11枚で理解できる 「現代ビジネス(2014.12.29)」より
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トマ・ピケティの『21世紀の資本』が好評である。筆者は、kindle版の英語版を読んだが、山形浩生さんらの丁寧な日本語訳もある。ネットの上でpdf版を探せばある。この年末年始の休みに読むにはちょうどいい本だ。
『21世紀の資本』は反成長でも反インフレでもない
本書は、分厚い学術書であるが、そのタイトルから、マルクスの資本論の再来を彷彿させる。しかし、ピケティ自身がいうとおり、本書はマルクス経済学ではなく、標準的な成長理論を使った、ごくふつうの経済学である。
本書は、政策提言を除けば、反成長でも反インフレでもなく、政治的な左も右もない。もし本書を政策提言のみを強調したりして、政治的な左の宣伝として引用していたら、あまり本書を読んでいないといえよう。
(※mono.--以下長文につき略、詳細はサイト記事で)
- 世界で大論争、大著『21世紀の資本論』で考える良い不平等と悪い不平等 フランス人経済学者トマ・ピケティ氏が起こした波紋
- データ不備の指摘は本筋にあまり影響がない
- ピケティの論点とは?
- 「資本収益率は、経済成長率より常に大きい」
- 『21世紀の資本論』の批判的評価
- 最高税率引き下げが高成長につながった可能性
- 再考・なぜ不平等は問題なのか?
- 公正、正義、平等を気にする動物として進化した人間
- 良い不平等と悪い不平等
- 20世紀からの2つの遺産
- 「ノブレス・オブリージュ政策」の提案
- 参考になるビル&メリンダ・ゲイツ財団
- 「悪い不平等」を是正する施策の実現を
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ピケティの近著『21世紀の資本論』は金融資本主義の根底を揺るがす 「世相を斬る あいば達也(2014.5.20)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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本日は、「現代ビジネス」に目から鱗のような記事が載っていた。筆者も充分に咀嚼し切れていないが、以下に引用することで今夜のコラムに代えさせてもらう。はっきりしている事実は、アベノミクスが時代遅れで、グローバル経済下では、成立しえない経済政策、トリクルダウン現象期待政策なのだ。ここ数日の東証日経平均は、筆者の読み通り(植草氏の読みだが)、着実に低迷の色を濃くしている。空売りに掛ける筆者にしてみると、極めて良好な流れである。1万3000台でも利が出るが、まだまだ欲張るつもりだ(笑)。
≪ ポール・クルーグマン「ピケティ・パニック」---格差問題の言及者に「マルクス主義」のレッテルを貼る保守派はこれにまっとうに対抗できるのか?
保守派が怯える『21世紀の資本論』 フランスの経済学者トマ・ピケティの近著『21世紀の資本論』は、正真正銘の一大現象だ。これまでもベストセラーになった経済書はあったが、ピケティ氏の貢献は他のベスセラーの経済書とは一線を画す、議論の根本を覆すような本格的なものと言える。そして保守派の人々は、すっかり怯えている。
そのため、アメリカン・エンタープライズ研究所のジェームス・ペトクーカスは「ナショナル・レビュー」誌の中で、ピケティ氏の理論をこのままにしておけば「学者の間に広がり、将来、すべての政策上の論争で繰り広げられる政治的な経済情勢を塗り替えることになる」ので論破しなければならないと警告している。
まあ、頑張ってやってみることだ。この論争に関して特筆すべきは、これまでのところ、右派の人々はピケティ氏の論文に対して実質的な反撃がまったくできていないという点だ。きちんと反撃するかわりに、反応はすべて中傷の類ばかりである。特にピケティ氏をはじめ、所得および富の格差を重要な問題と考え る人に対しては、誰であれマルクス主義者のレッテルを貼る。
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ピケティ『21世紀の資本論』はなぜ論争を呼んでいるのか/齋藤精一郎「世界経済の行方、日本の復活」 「nikkei BPnet(2014.5.20)」より
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春の珍事なのでしょうか。フランスの経済学者トマ・ピケティの大著『Le capital au XXIe siècle』の英訳『Capital in Twenty-First Century』(21世紀の資本論)が3月米国で発売されるや、米アマゾンで売上ランキングのトップに躍り出ました。ニューヨークタイムズ紙のベストセラー欄に掲載されたほか、国連での講演や米財務長官との会談など米欧の言論界の話題をさらっています。
世界は「第2のベルエポック」に入った?
ハードな経済学専門書であるにもかかわらず、一般読者を巻き込み、ピケティは一躍ロックスター並みの扱いになるという異例の事態で、そのインパクトは世界に広がっています。この21世紀版『資本論』は、新しいマルクスの出現を意味するのでしょうか。ピケティはまだ日本ではそれほど注目されていませんが、その世界的影響力を考えると、今後、日本国内でも大きな話題となることは間違いありません。
ピケティの主張を一言で結論すると、現在は「第2のベルエポック」に入っているということになります。ベルエポック(フランス語でBelle Époque、良き時代という意味)とは、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ、特にパリにおいて華やかで平和な時代が開花したことを指します。クリミア戦争や普仏戦争の後、第一次世界大戦が起きるまでの間は、ヨーロッパでは珍しく大きな戦争が起きませんでした。
同時期に南北戦争の後遺症を修復した米国でも華やかで平和な時代が開花し、「金ぴか時代(Gilded Age)」と呼ばれました。フランスではエッフェル塔が完成し、印象派が起こりました。米国ではT型フォードが誕生し、ロックフェラーが台頭しています。この時代は文化が爛熟した一方で、富(資産)と所得が一部の階層に集中し、不平等が非常に拡大した時代でもありました。
(後略、詳細はサイト記事で)
フランスの経済学者でパリ・スクール・オブ・エコノミクスの教授、トマ・ピケティ氏の新刊書『21世紀の資本論』(Capital in the Twenty-First Century)が欧米で話題を呼んでいる。700ページにわたるこの著作では格差の拡大が避けられないと結論づけられているが、日本もこの流れの例外ではないという。
日本は長年にわたって比較的平等な社会を誇っており、ピケティ教授の母国フランスとともに、米国と比べて貧富の格差がかなり小さかった。ただ、教授は向こう数十年にわたり、日本でも格差が広がると主張している。
こうした結論は、安倍晋三首相の政策議論に一石を投じそうだ。法人税率の引き下げや消費増税など、安倍首相の推進する成長戦略が格差拡大を後押しする可能性がある。
残念なことに、ピケティ教授の著作が日本語に翻訳されるまでしばらく時間がかかる。日本での版権を持つみすず書房は、翻訳者の手配が最近終わったばかりで、まだ日本語版の出版日程は決まっていないと話した。フランスの出版社Editions du Seuilによると、日本語版は2017年3月に出版されるという。
ピケティ教授の主張の核心は、21世紀には小さな経済エリート集団に富が集中するため貧富の格差が拡大するというもの。これについて、米国や欧州では経済学者やジャーナリストらの間で議論が沸騰している。
日本の読者のためにピケティ教授の著作から主なポイントを列挙してみよう。同書には19世紀までさかのぼった日本の税務書類などから集められたデータが含まれている。
格差は新しい問題ではない。欧州との文化的相違にかかわらず、日本では20世紀初頭に欧州と同じくらい高い水準の格差が存在していた。ここでは一握りの富裕層が国民所得の大部分を独占していた。教授は著作の中で「所得構造と所得格差の両面で、日本が欧州とまったく同じ“古い世界”だったことを、あらゆる証拠が示している」と指摘。二つの世界大戦を経て格差は急速に縮小したが、これは戦争がエリートの富の大部分を破壊してしまったからだ。
日本では富裕層がゆっくりと富を拡大させている。日本では過去20年間にわたってじわりと富の集中が進んできたが、米国ほどの大きさではなかった。現在、日本の高所得層の上位1%が占める国民所得シェアは約9%に上り、1980年代の7%から2ポイント拡大。フランスやドイツ、スウェーデンは日本とほぼ同じペースでシェアが拡大したが、米国ではこれが10-15ポイント上昇した。高所得層の上位0.1%が占める国民所得のシェアは今の日本では2.5%ほどで、1980年代初めの1.5%から拡大したが、またしても拡大ペースは米国に追いつかなかった。
今後は日本も安穏としていられない。ピケティ教授は、日本と欧州を取り巻く潮流を無視することはできないと警告。教授によると「それどころか(日本と欧州が持つ)軌道はいくつかの点で米国と似通っており、10年から20年遅れている」という。「この現象が、米国の懸念するマクロ経済面での重大事となって表面化するまで待つべきではない」と教授は指摘する。
ピケティ教授の著作を読んだ数少ない日本人の中に、経済学者でブロガーの池田信夫氏がいる。池田氏は人気の高い言論プラットフォーム「アゴラ」を運営。同氏は最近、5月7日から全4回にわたる『21世紀の資本論』読書セミナーの広告を掲載した。受講料は2万円(女性と学生は1万円)。定員は20名だったが早くも35人が登録して、現在は応募を締め切っている。
池田氏は「すごい勢いで申し込みがきたのでびっくりした。これはきわめてアカデミックで難しい本なのに」と話す。出席者の多数が30代から40代のビジネスマンだという。
池田氏は、企業がキャッシュをため込んで賃上げを抑制していることを理由の一つに挙げ、ピケティ教授の著作が次第に日本との関連性を増してくると指摘。「もしかしたらこれから日本でも、普通の労働者と企業との間で階層間の格差が広がってくるかもしれない。ピケティは日本でも受けると思う」と話した。
カール・マルクスの『資本論』の初版が1867年に出版された時、原文のドイツ語版が1000部売れるのに5年かかった。マルクスの『資本論』は20年間英語に翻訳されず、本紙(英エコノミスト)は1907年まで、同著に言及するのが適切だと考えなかった。
それに比べると、トマ・ピケティ氏の『Capital in the Twenty-First Century(21世紀の資本論)』は一夜にして世間を沸かせた。もともとフランス語で出版された(本誌が最初に批評したのは、この時)、所得と富の分配に関する分厚学術書は、3月に英訳版が登場してからベストセラーになった。米国では、フィクションを含め、アマゾンで最もよく売れている本だ。
本書の成功は、適切な時に適切なテーマについて書かれたことと大きく関係している。不平等は、特に米国で、突如として熱い話題になった。米国人は何年もの間、持てる者と持たざる者との格差をヨーロッパ人の強迫観念として片付けてきたが、ウォール街の行き過ぎに駆り立てられて、突如として富裕層と再分配について語るようになっている。
そのため、富の集中の高まりは資本主義に付き物の現象だと主張し、累進的な解決策として富に対する世界的な税を勧める本書が魅力的なのだ。
超ベストセラーの3つの貢献
この『資本論』は当然ながら、左派をとりこにし、右派を激高させ、大衆の意識の中で経済学に刺激を持たせた。だが、ピケティ氏が実際に不平等に関する議論の基調を定めたとしたら、世界はその分貧しくなるだろう。というのも、19世紀の同名の著作と同様、ピケティ氏の『資本論』は素晴らしい学識を含んでいるが、行動の指針としては大きな欠陥があるからだ。
『資本論』は、全577ページの中で3つの大きな貢献をしている。
まず、不平等を測定するために他者に先駆け租税統計を利用したピケティ氏は、特に欧州と米国における、過去300年間の所得と富の進化を丹念に記録した。そうすることで、1914年前後から1970年代にかけての期間が、所得格差と富の蓄積(年間国民所得との比較)が劇的に縮減した歴史的な異常値だったことを示している。1970年代以降は、富と所得格差がともに20世紀以前の標準に向かって再び増加、拡大している。
これらの統計には確かにいくつかの混乱が見られるが、この研究は、目を見張る成果によって富の歴史の理解を一変させている。例えば、フランスの相続財産の年間評価額が国内総生産(GDP)比で1950年代の5%未満から約15%まで3倍に増え、25%という19世紀のピークからそれほど大きくかけ離れていない水準に達していることを誰が知っていただろう。実証研究の作品として、本書は紛れもなく素晴らしいものだ。
(※ 中略)
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あら捜し
ここから問題が始まる。というのは、この富の集中の高まりが不可避であるだけでなく、最も重要な事柄であると仮定した政策提言を行っていることがピケティ氏の3つ目の貢献だからだ。
ピケティ氏は、資本に対する世界的な累進課税(0.1%から始まり、最も多額の資産に対する税率が恐らく最大10%に達する年間課税)を処方箋として示している。50万ドル前後を超える所得に対して、80%という懲罰的な税率も提言している。
ここで『資本論』は左の方向に流れ、信頼性を失う。ピケティ氏は(例えば成長を高めることよりも)富の集中を和らげることがなぜ優先事項であるべきなのかを、説明しているというよりは、強く主張している。自らの再配分主義的な計画に伴うトレードオフやコストはほとんど認めていない。
大方のエコノミストや良識、それに多くのフランスの実業家は、所得と富に対する高い税率は起業家とリスクテークの意欲を減退させると主張するだろう。ピケティ氏は、この点をまるで気にも留めず片付けている。
そして、ピケティ氏の「やるべきこと」のリストは、富裕層に課税することに焦点を当てているという点で、奇妙なほど偏狭だ。「少額債券」から民間貯蓄口座の政府の上乗せに至るまで、資本の所有を広げる様々な方法を無視している。一部の資本税は、21世紀の賢明な政策のツールキットにうまく当てはまる可能性がある(特に相続税)が、それらは広範囲にわたる繁栄を保証する唯一の方法でもなければ、主要な方法でさえない。
富裕層に重い税を課すことに焦点を当てるピケティ氏の姿勢には、学識ではなく、社会主義者のイデオロギーじみたところがある。これで『資本論』がベストセラーになっている説明がつくのかもしれない。だが、本書は行動への青写真としてはお粗末だ。
ある日、「ピケティの本が売れてる!」と言うから(それじゃためしに読んでみるべ)と思い、アマゾンに注文した。
(※ 中略)
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それじゃピケティは『21世紀の資本論』の中で何を主張しているか? これはひとことでまとめると:
資本のリターンが生産や所得の成長率を超える場合、資本主義下では格差が拡大しやすい。それは19世紀にも見られた現象だが、いま、21世紀にも再現しようとしている。これがおきてしまうと能力や努力に報いる社会をむしばみ、民主主義の基盤を揺るがしかねない
ということだ。
このように「自分は教養がある」ということをアピールしたい人にはピケティを読むことをお奨めするわけだが、逆にピケティを読みこなすには教養がなければ苦しいかも知れない。経済学の知識は、必要ない。
これはどうしてかというと、ピケティは意図的に精緻で末梢にこだわりすぎる経済モデルの援用を極力避け、簡単な概念で大上段に構えた根本的な議論を展開しようと心掛けているからだ。
そのため女性の読者や経済学部以外の学生でもわかるようにバルザックやジェーン・オースティンがしばしば引用されている。逆に言えば『高慢と偏見』や『マンスフィールドパーク』を読んだことない無教養な読者は、ピケティが何をしゃべっているのか理解できないだろう。
ミスター・ダーシー(『高慢と偏見』の登場人物)やサー・トーマス(同『マンスフィールドパーク』)という、小説の中の登場キャラの名前を聞いただけで(ああ、アレね)とピンとこないようだと、ピケティを読むのは苦しい。
ピケティの『21世紀の資本論』が経済学の新しい境地を切り拓いたか? と言われると、うーんと言葉に詰まる。でもこれは社会現象か? と聞かれたら、ことしの流行であることには間違いない。
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ピケティ、資本主義と民主主義:エドソール 「もうすぐ北風が強くなる(2014.4.27)」より
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2013/1/27の記事「金持ちは税金を、労働者は公正な賃金を:クルーグマン」ではクルーグマンによるピケティの紹介を掲載しました。
資本主義経済は放置すれば資本のみが肥大化して労働者との格差が無限に拡大する。過剰蓄積が勤労階級の窮乏化を招くことで循環恐慌を作り出す。
このこと自体は早くも19世紀末から現象的に確認されてきたことだ。
「経済成長が富を作り、いずれその富が循環して勤労大衆の豊かさに波及する。」などという資本家に都合の良い「俗説」は何の根拠もない。
300年にわたる税務データを分析した結果はその逆であることを示している。
ピケティらは両大戦間と戦後冷戦期が資本の正常な「発展」としては「異常な期間」であったこと。
正常な資本主義の「発展」は経済成長以上の相乗的な資本蓄積を必至とするので、格差は無限に拡大し続け生活水準の下落と恐慌に至ること。
を明らかにした。
「国民経済」は強力な所得の再分配によって、公正を図ることによって持続する。
そうでなければ、放置すれば国民経済は崩壊する。
(※ 攻略、詳細はブログ記事で)
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タイラー・コーエン「トマ・ピケティに賛成できない理由」/「大著の読み方」 「経済学101(2014.4.22)」より
(※ 前後略)
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2.ピケティの論旨をざっくりまとめると「資本収益率は逓減しない」ということだ。これは本当にそれほどにしっかりとした予測だろうか。今後例えば50年や100年でどの要素の収益が減ってどれが減らないのかということについて、私たちには大したことは分からない。この先20年の傾向について予測をすることすら十分難しい。注意:その本の中の多くの点においてピケティは二股をかけている。つまり、たくさんの警句を連ねる一方で基本的なモデルにも立ち戻り、そして彼や彼の擁護者は都合のいい時に警句を引用する。
3.資本収益率がなぜ減らないのかというピケティの理由付けは、かなり特殊である上に資本のうちのわずかな部分に限定されている。彼は非常に豊かな人たちによるものや新興経済への海外投資における、先端金融管理技術に触れている。この二つのいずれも資本の大部分を占めてはいないし、したがって全体としての資本収益はそこまで堅調なものではない可能性がある。それに、先のどちらの技術もこの先数十年あるいはそれ以降において特に成功するかどうかも定かではない。さて、この二つの要素が、収益低減という基本論理、さらには効率的市場仮説に従っている他の要素に勝ると考える特別の理由はあるだろうか。正確に言えば、それはありうるかもしれない。でもそこまで及ばないかもしれない。いずれにせよこれは純粋な推論であって、ピケティの論旨全体はそこに依って立っている。
4.私たちが目にしている実際の所得格差は、ほとんどが労働所得についてであって資本所得ではない。これはピケティの論理とすんなり整合するものではないし、ほぼ間違いなく一切整合しない。
5.ピケティは実業家を不労所得者に変換している。資本が高い収益をもたらすのは、大きなリスクがあるからだ(国債の実質リターンは、歴史の長い期間を通じて全然大きくない)。それなのにこの本の主要な論旨においてリスクの概念はほとんど考慮されていない。リスクを導入した途端、再び資本収益の長期における結末は確実とは程遠いものになる。実のところこの本は全編に渡ってリスクに関するものになるべきなのに、書いてあるのは不労所得者についてだ。
結局のところ、この本のメインの論旨は二つの(間違った)主張にもとづいている。一つは資本収益が他の要素と比較して高い上に逓減せず、r > gという論理がこの先の経済史の支配的な説明として支持するに十分なほど確かになるということ。第二に、それが実質賃金の大幅な上昇なしに起きるということ。
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最終更新:2015年03月05日 19:03