■ パリで「報道の自由を守れ」の集会とデモが歴史的規模で行われた。これから本格的にキリスト教Vsイスラム教過激派の宗教戦争になるかもしれない。 「ミーチャンハーチャン(2015.1.12)」より
(※mono.--あちこち略、詳細はブログ記事で)
/
今回のパリで起こった二つのテロ事件。風刺週刊誌社で12人が無差別射殺、同時にユダヤ教の人達用の販売をしていた店舗に黒人が押入り、4人のユダヤ人を無差別射殺。結果は両犯人は逮捕される前に、フランス警察に射殺をされたのだが。
/
今回の報道で知ったのだが、イスラム系フランス人とネイティブ・フランス人との対立は知っていたが、ユダヤ系フランス人もフランスでは対立の対象になっているらしい。イスラエルにはこのユダヤ系フランス人が移民申請をしているが、政府はこれを認めなかったらしいが、今回のテロ事件でネタニアフ首相は枠を決めて迎い入れる方向にしたと。パレスチナ問題などで、イスラム系フランス人によって、ユダヤ系フランス人は迫害を受けているとか。さらにいまだにフランス人はユダヤ系を差別している事実がある。なぜ今でも、そんなにユダヤ系が嫌われるのか、日本人には理解できない。

前記事でも指摘したが、これは単に”報道の自由”の次元以上にキリスト教国=EU諸国とイスラム教の跳ね返り集団との宗教戦争で、1500年以上前から繰り返し行われてきた戦いが、オバマ米国大統領が、「世界の警察官を辞める」と呟いたことから、ISISやアルカイデやタリバンがまたイスラムの旗を掲げて跋扈し始めたことにも繋がる。

このままでは、残虐な過激な集団による破壊攻撃がこれらキリスト教系国に今回に類するようなテロ攻撃を続ける恐怖の再来だ。英国、ドイツ、フランス、スペインなどの民主主義国家の一番弱いところを突いてくる。

日本のルーピーの言葉ではないが「歴史を学べば、学ぶほど・・・」で、いかにイスラム教とキリスト教の争いが酷かったのか。さらに欧州は世界に先駆けて産業革命が成功して、オスマン帝国などイスラム教国を滅ぼし、さらにアフリカ、インド、東南アジアの国々を植民地にして、その中には当然イスラム教の民族もいたわけで、それらの上に君臨して、搾取をしまくって、現在の欧州の都市が成り立っている。
/
第一次大戦で、ドイツ帝国と組んだオスマン帝国は、今のトルコ以外は、戦勝国の英国とフランスなどの連合軍により、利権争いを経て、シリア・イラク・イランなど人工的国境を引かれて分割され、産出する原油を管理されて来た。その後中東戦争が始まって、もはや当時の連合国の思うようにはならなくなったが。

オスマン帝国の最大の時の領地(1683年時)ほとんどが後世の原油の産出地だった。

だから、イスラム圏民族とすれは、かつてスペインはイスラム王朝に占領されていたが、それを奪還した、これをレコンキスタというが、今はイスラム圏がキリスト圏からの逆レコンキスタ運動をしていると云える。

EU諸国はこの壮絶だった歴史の流れを十分理解しているからこそ、現在のイスラム国を建国するんだというISISやオサマ・ビン・ラディンが組織立ち上げをして、彼の死後も残影を引きずっているアルカイダが関連していたらしいといわれる今回の事件に対して、フランスを中心として立ち上がったわけで、キリスト教国家は団結していることをイスラム教過激派に見せつけるアピールであったと思う。


■ 欧米プロパガンダ報道どっぷりのメディア 欧米だけが世界じゃない 「世相を斬る あいば達也(2015.1.18)」より
/
 イスラム主義が、如何にも悪玉で、キリスト主義が如何にも善玉。こういう言説につき合のは、幾分飽き飽きしてきている。イスラムが悪いのではなく、アルカイダ系のテロ組織が悪いのだと尤もらしい正義論を語りながら、結局は、イスラム圏諸国の人々に憎悪が向くようにしているのは、西側のマスメディアであり、欧米主義の政治家達である。どのような形態を擬するか別にして、西洋文化とイスラム文化の対立を煽る発言であり、大衆(マス)の感情的行動である。

 そもそもマス(大衆、mass)と云うものは、と簡単に書きたいところだが、実は非常に社会学上、難問である。だから、あまり書きたくはないのだが、敢えて書くとしたら、「空気」に抗えない人々、群衆と云うことになる。非常に曖昧な使われ方をするので、一概に括るのは難しい。政治学、社会学などの社会科学分野においては「大衆、mass」は匿名性を帯びた無責任な集団としての意味合いを持ち、顕名性をもつ「市民、citizen」との対比で用いられる。その意味では、愚か者の群れとも言えるが、絶対断言的でもない。
(※mono.--中略)
/
≪ 宗教風刺画「違法の可能性」 ロシア側、報道機関に警告
ロシアの政府機関は16日、信仰心を侮辱するような風刺画をマスコミが掲載することは、法律違反になる可能性があるという見解を示した。名指しは避けているが、フランスのシャルリー・エブド紙に掲載された風刺画を転載しないよう報道機関に求める内容だ。 見解は、連邦通信・情報技術・マスコミ監督庁の公式サイトに掲載された。それによると、「宗教をテーマとした風刺画は、信者の尊厳に対する侮辱や、民族間・宗教間の憎悪の扇動とみなされ、『マスメディア法』や『反過激活動法』に違反する可能性がある」と指摘している。一方で、同庁は過激主義やテロリズムに反対する人たちへの「無条件の連帯」も表明した。
 同庁は宗教風刺について、多民族、多宗教のロシアで何世紀もかけて作られてきた倫理的、道徳的規範に反するとも指摘した。
 パリのテロ事件後、ロシア国営ニュースチャンネルは、シャルリー・エブド紙の表紙にぼかしを入れて放映。主要紙の多くも風刺画の転載は控えている。 ≫(朝日新聞デジタル:モスクワ=駒木明義)
(※mono.--中略)
/
【 イスラム過激派による仏週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ本社銃撃事件は、二つの古い伝統が互いを理解しなかったことから生じた悲劇だ――。芸術学者グリゴリー・レヴィジンはそう考える。】

 イスラム過激派が、言論の自由というヨーロッパの神聖な権利を攻撃した――パリの悲劇をこう解釈するのは正しくないと私は思う。そもそも「シャルリー・エブド」が言論の自由を体現するかのようにみるのが間違いだと思うのだ。もし、そうみなすとすれば、言論の自由は、無意味な卑猥を作り出すために必要であることになる。
 もしあなたが、この雑誌のカリカチュアを見たことがあれば、私が何を言っているか分かるだろう。それらは、芸術的コンセプトからいっても、思想の深みからいっても、また言語表現からいっても、トイレの落書きと似たようなものだ――テーマ的にはもうちょっと広いけれども。いずれにせよ、言論の自由というものは、神と教会について、国家と家族について、偉大な人物と卑小な人間について、下品なことを喋り散らすためにあるのではない。
(※mono.--中略)
/
■ 道化と戦う戦士
 私の考えでは、この事件を「聖なる言論の自由の擁護」に祭り上げてしまうと、かえって事態を深刻化させることになる。われわれは、この戦いを後戻りできないものに変えてしまうだろう。 何と言っても、リヴァイアサンと道化は違うのだ。仮に、或る国家の基礎、機構、憲法が、アラーを穢すために構築されていたことが判明した場合に、それと戦いを挑むというならともかく、道化を殺すために命を捨てるとなると、これはまったく別問題だ。単にもう愚劣である。
 戦士は道化とは戦わない――勝っても名誉にならないからだ。武器を取って、剥き出しの尻に突進するなんて、滑稽ではないか。どんなに切ったり打ったりしても、そこに糞しかないのだから…。

最終更新:2015年01月18日 16:02