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内田樹@levinassien
新城先生に往診に来て頂いて8回目のコロナワクチン接種。前回インフルエンザワクチン接種の時の僕の様子が変だったので「マイコプラズマ肺炎」の疑いを気にされていたのですが、「もう息切れも血中酸素濃度も治りました」と報告したら「抗生物質飲まないのに治ったんですか?」と不思議がられ・・・
午後5:23 · 2024年11月28日

内田樹@levinassien
新城先生が往診してくださってインフルエンザワクチン接種。コロナの8回目は来週です。がん患者がコロナに罹患した場合の重症化リスクについて伺いました。
SNSでの反ワクチンキャンペーンがすさまじいので、医師たちはワクチン接種の有効性を患者に伝えることを自制し始めているとのこと。

内田樹@levinassien
「反ワクチン」カルトはトランプ派の復古主義とも符合するのでしょうね。権藤成卿論書くくらいですから僕も復古主義も小共同体主義も大好きなんですけど、それと「適切な医療は何か」という話はレベルが違います。医療は徹底的に「程度の問題」ですから、真偽や正否の語法で語るべきではありません。

内田樹@levinassien
「程度の問題」を「原理の問題」に自動的に読み換えてしまう思考習慣のことを「原理主義」と呼ぶわけですけれども、これが批判しにくいのは対抗的なものとしての「程度主義」が存在しないからです(「程度の差」を精密に考量する人は決して「主義者」になりませんからね)。
午後6:30 · 2024年11月11日






(※mono....以下内田氏のツイートに賛同するツイートがいくつか続くが、そんなのは略w)

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(※mono....いくつか転記していないが、詳細はブログ記事で)


■ 残念な芸風になった内田樹先生 「木走日記(2015.2.26)」より
(※mono.--前後略、詳細はブログ記事で)
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 さて残念なのは最近の一部ネット言論の劣化であります。


 失礼して一部抜粋。

それにしても、天皇とホワイトハウスしか自民党の「革命」を止める実効的な勢力が存在しないというような時代を生きて>いるうちに迎えることになるとは思ってもみなかった。
 ・・・

 うーん、どうしたのでしょうか最近の内田樹先生のエントリーは。

 芸風がすっかり場末の海外翻訳ブログのようになってしまっています。

 かつての深い洞察力はどこにいってしまわれたのでしょうか?


■ 内田樹の思想 「しっきーのブログ(2014.9.3)」より
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 内田樹(うちだたつる)って知ってる?ひょっとしたら、今最も「影響力」のある思想家かもしれない。神戸女学院大学の教授をしてて、現在は退職して「凱風館」という道場をかまえている。思想家であり、合気道を修める武道家でもある。

 内田樹の思想は好き嫌いが別れると思う。というより、受けつける人は受けつけるし、受けつけない人はまったく受けつけない種類のものだ。内田樹は25歳のときからずっと合気道に打ち込んでいて、身体感覚に根ざした発想で話を展開する。切り口や扱うトピックを変えながら、身体に染み込ませるように同じことを繰り返し言う。彼の本は、まるで道場に通って武道の練習をしているかのような読み心地なのだ。

 内田樹を批判する人も多いが、そういう人の気持ちはわかる。内田樹は「科学的」とされる論の進め方をしていない。科学にとって大事なのは「反証可能性」で、理系だったら同じ実験をして同じ結果がでるか、再現性を確認できるかが何より大事だし、文系だったら引用されてる文献やデータにあたって反論したり違う解釈をすることが可能だということが重要になる。でも内田樹の思想は、そういった「科学的」な手法で捉えにくい部分、身体性とか感覚とか常識を扱っている。誰でもアクセスできるデータではなく、自身の経験と身体性を担保にして語るやり方だから、まあ宗教に近いと言えばそうなのかもしれない。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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 内田樹らしい文章を以下に引用する。
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 内田百閒先生に教えて頂いたことですが、同じものを食べ続けていると「味が決まる」ということがあります。
 百閒先生は、ある時期、昼食にそばを食されることを習慣とされていた。同じ蕎麦屋から毎日同じもり蕎麦を取る。別にうまい品ではない。でも、毎日食べていると「味が決まってくる」。食物を待望する胃袋と嚥下される食物の質量が過不足なくジャストフィットすると、たかがもり蕎麦がいかなる天下の珍味も及ばぬ、極上の滋味と感じられる。たまたま出先で自分ときを迎えたりすると、もういつもの蕎麦が食べたくて我慢できない。先方が気を利かしたつもりで「鰻丼」など取ると、百閒先生はこれを固辞されたそうです。
 快楽はある種の反復性のうちに存ずる。これを洞見と言わずして、何と言いましょう。「同じものばかり求めるファンは怠慢だ」という人がいますけど、それは筋違いですよ。ファンほど快楽の追求に貪欲な存在はありませんから。それこそが「正しいファン」のあり方なんです。

 …やはり「だいたい同じで、ちょっとだけ違う」ということだと思います。トピックは違っても、切り口はいつもと同じ、というものを読者は求めていると思います。少なくとも、ぼくが本を読むときはそうですね。
 ぼくは村上春樹と橋本治と矢作俊彦と村上龍と高橋源一郎のものは新刊が出ると本屋に走って行って買いますけど、みんなほんとうに律儀に「いつもと同じ」ことを書いているんですよね。だから大好きです。
 (疲れすぎて眠れぬ夜のために)
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(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)













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最終更新:2024年12月07日 17:12