+ ブログサーチ #blogsearch
+ ニュースサーチ

+ 動画と記事
/
2015/03/11 に公開
東日本大震災4周年の追悼式での「天皇陛下のおことば」を全編ノーカットでお届けしま­す。
記事の続き、その他のニュースはコチラから!
[テレ朝news] http://www.tv-asahi.co.jp/ann/



■ 3.11 東日本大震災 あれから4年 被災地に行ってきました
/
2015/03/09 に公開
2015.3.8 東日本大震災 被災地に行ってきました。
東京ではもう過去の話になりつつあるけど
現地はまだまだ真っ最中。
そのことを忘れちゃいけない。
なにもできないけれど
「忘れない」ことだけはしよう。

■4年前に訪れた時の様子
http://youtu.be/4MhaTFHK7wc


2015/03/10 に公開 https://www.youtube.com/watch?v=coK9OBbzDhs
東日本大震災が発生してから、11日で丸4年。共同通信社は10日までに、被災地をヘ­リコプターなどで上空から撮影。震災直後などの映像と比較した。

Aerial footage shot by Kyodo News shows the coastal areas in northeastern Japan immediately after they were hit by the deadly earthquake and Tsunami on March 11, 2011, and their current states four years later. The disaster left more than 18,000 people dead or missing.


■ 東日本大震災から4年 「Annex to a house(2015.3.11)」より
/
これを書くと結構炎上しそうなのだが、僕自身はそろそろ辟易としている。
................................................................................................
東日本大震災と原発事故発生から4年 風化を懸念
3月11日 4時20分
東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所事故の発生から、11日で4年となります。全国でおよそ22万9000人が避難生活を余儀なくされていますが、復興がなかなか進まないなか、被災した人の間では震災や原発事故への関心が薄れていく「風化」を懸念する声が強まっています。
................................................................................................
確かに、震災の教訓は生かしていくべきだと思う。だけど、記憶というモノは風化するものではないのかね?

とはいえ、先ずは被災され、生活を取り戻そうと尽力されている方にはエールを送りたい。そして、命を落とされた方には冥福を祈ろうと思う。

で、最近はテレビ番組でも割とこの手の話がガンガンと放映されているようなのだけれど、個人的には華麗にスルー。
(※mono.--中略)
/
一番やっていけないのは、神話化、タブー化である。
例えば、「安全神話」とあれほど原発を攻撃しながら、一方で、あれだけの地震や津波に曝されながらも、福島第1原発以外の原子力発電所には被害を出した原発(それなりに修理を要した所もあったようだが)が無かったことは正当に評価されないというのは、些か公平性に欠けるのでは無いか?
(※mono.--中略)
/
震災を奇貨として、東北を作り替える。それこそが求められるべき道なのだろうと、その様に思う。そうした意味では、いつまでも大震災の感傷に囚われ続けるべきでは無い。


■ 止まったままの時計! 「スーさんのブログ!(2015.3.11)」より
/
今日はあの東日本大震災から4年になります・・・・・
先ほどサイレンとともに1分間の黙とうを捧げました・・・・・
我が家の時計もあの時以来2時46分に止まった状態で保存しています。

あの時この時間迄
何事もなく幸せに過ごしていた多くの皆さんのことを思うと
手をつけることができません。

震度6弱の地震でも落ちることなく、少し傾いただけのこの時計は
震災の語り部的な存在として残して置きたいと思います。
(※mono.--後略。止まったままの時計の写真はブログ記事で)


■ 東日本大震災から4年、国難の時にわかる真の友好国。 「さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう(2015.3.10)」より
/
あの東日本大震災から4年目を迎えます。
私事ではありますが、あの大震災の時に我が地域は震度6強の大きな揺れで、東北ほど大きくはなかったですが津波の被害なども出て、ライフラインもガソリンも食料も不足する事態が生じました。海上からの物資は港が破壊されて不可能であり、陸送は高速道路は通行止めでありました。津波の被害の大きかった東北3県が注目される中、まるで忘れ去られた孤島のような状態になっていました。

しかし、あの震災直後にブログ仲間が静岡や愛知、神奈川から物資や燃料や水を積んで駆け付けてくれたり、送ってくれたりしてくれたのです。あらためて心より感謝申し上げます。建設業を経営しているため、3月11日の夕方から災害への出動要請があり、本格的には12日からガソリンも食事もない中で、飲まず食わずで作業に当たっていました。今思うと社員の皆さんには自分の家が崩れたり、家族も大変な中、地域のために自らを顧みずに復旧作業を優先していたことは誇りに思うところです。

さて、東日本大震災から4年を迎え、11日にインドネシアのスマトラ島の州都バンダアチェでは日本の犠牲者を追悼する記念式典が行われるそうであります。

また、台湾からの義援金は200億円もあり、東北の観光推進機構では台湾にあらためて感謝を伝えました。
さらには3月4日には台湾のメディア関係者は福島県相馬市を訪れ、災害公営住宅の入居者などから台湾の復興支援への感謝の声が出ました。施設に住んでいる女性は「住むところがあるのは台湾のおかげ」と手をしっかり握ったそうです。

一方、韓国はあの大震災で日本の不幸を「お祝い」し、集めた義援金の8割を日本に送らずに竹島の活動に回すと発表。そして韓国のりや韓国の飲料水を送って来ましたが、これは衛生的にも非常に危険であり、一緒の食品テロでありました。

国が本当に困難な時にも反日を続ける国と、歴史から絆を大切にする友好すべき国とに明確に判断できるのです。


★ 「原発避難なければ」=福島でも追悼式-東日本大震災4年 「時事ドットコム(2015.3.11)」より
/
 東京電力福島第1原発事故で全町避難中の福島県浪江町は、避難先の同県二本松市で追悼式を開いた。同県本宮市の仮設住宅で暮らす西村ユキエさん(80)は長男が津波の犠牲に。「4年間、泣いてばかりいて、ゆっくり眠れたことはない」と涙を流しながら話した。
 遺族代表として追悼の辞を読み上げた高野里瑚さん(19)は、11日午前に浪江町請戸地区で不明者捜索に参加し、祖父母宅があった場所に花を供えた。「震災の風化を感じる。忘れてはいけないと思いながら献花した」。現在は首都圏の大学に通い、医療関係の技師を目指す。「福島の人の健康を支えていきたい」と将来の夢を語った。

 福島市では県主催の追悼式があった。遺族代表の村井良一さん(63)が住んでいた富岡町は全域が避難指示区域となり、親類や知人を頼って県内を転々とするうち、病弱だった父が亡くなった。村井さんは「避難生活がなければ、もっと長生きできたのではないか」と悔しそうに話した。(2015/03/11-17:44)
















.
最終更新:2015年03月11日 18:50