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● 王滬寧〔Wikipedia〕
王 滬寧(おう こねい、ワン フーニン、1955年10月6日-)は中華人民共和国の政治哲学者 、政治家。第18期中国共産党中央政治局委員、党中央政策研究室(zh)主任。復旦大学教授。「中南海シンクタンク」と呼ばれる。



■ 右の男、王滬寧(ワン・フーニン) 「二階堂ドットコム(2015.11.12)」より
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この男が中国を割るよ。



★■ 【コラム】王滬寧と北岡伸一(1) 「中央日報(2015.10.26)」より
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ことし9月2日の韓中首脳会談、そして9月25日の米中首脳会談で筆者の視線をひきつけたのは習近平国家主席の両側に同席した側近の姿だった。二つの会談ともに、習主席の両側には政治局員である共産党中央政策研究室主任の王滬寧氏と同中央公務処理庁主任の栗戦書氏が座っていた。

習主席の頭脳役を果たしている王氏は上海・復旦大学教授出身で1995年に党中央政策研究室に移った後は政治局員を対象にした集体(=集団)学習を企画してきた。王氏はまた、江沢民以降の歴代指導者が標ぼうしてきた核心的国家戦略を提示してきた策士としても知られている。習主席が野心的に掲げている「一帯一路」戦略の企画と今後の推進も王氏の所管事項であると推定される。数回にわたる首脳会談の席の配置を通して、新たに中国の政治外交で王氏という戦略家が占める地位について再考することになった。

習主席に王氏という策士がいるとするなら、日本の安倍晋三首相には北岡伸一氏という戦略家がいる。安倍首相は就任以降、国家安全保障戦略の策定や集団的自衛権の容認、終戦70年関連の歴史談話など高度な戦略的判断が求められる懸案に対して専門家諮問会議を構成して彼らの意見を傾聴してきた。北岡氏は東京大学大学院法学政治学研究科教授出身で小泉純一郎首相時代にも国連次席大使などを歴任して日本政治外交に関する諮問を担当した。

北岡氏は安倍首相が組織したすべての諮問機構でも核心的な役割を引き受けてきた。『国家安保戦略書』の中で「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の外交理念や集団的自衛権容認の理論的根拠を提供し、8月に発表した歴史関連談話に侵略戦争の認識とおわび表現が盛り込まれるよう決定的な役割を果たした。ここで押さえておきたいのは、中国や日本の国家指導者は自分たちが推進している国家戦略の策定と実行にあって当代最高の戦略家たちの意見を取り入れ、彼らの補佐を受けながら対内外政策を推進していることだ。集体学習や懇談会等を通して常に各分野の専門家と学習の機会を持っているのはもちろんだ。(中央SUNDAY第450号)

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★■ 【コラム】王滬寧と北岡伸一(2) 「中央日報(2015.10.26)」より
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 では韓国はどうか。伝統的に指導者の学習と政策研究にわれわれ先祖ほど努力を注いできた国はそうない。最近話題になっている映画『思悼』で英祖は世継ぎに臣下からの集中的な書筵(経書の講論をすること)を受けさせただけだけでなく、自身が直接教材を編纂(へんさん)して世継ぎに読ませるようにしたではないか。また、英祖は世継ぎに朝鮮という国は君主が勉強をせず礼法も備えていなければ臣下に権威を発揮することはできない国だと諭す。

 そうだ。われわれは国王に対する経筵(学問・技術を講論すること、また国王と臣下が国政について協議すること)と跡継ぎに対する書筵、そして官吏選抜にあたって科挙等を通して国家指導層が国政に関する学問的基盤を備えた帝王学の伝統が東アジアのどの国よりも強かった。

 このような韓国に、今は果たして中国の王氏や日本の北岡氏のような国家大戦略の方向を指導者と心を通じ合わせながら提示できる帝王学的戦略家の存在がどこにも見当たらない。これまでの首脳会談の席配置や国家政策関連会議の映像などから推察すると、指導者が当代の戦略家と識見を調整しながら国家戦略に関するメッセージを議論する姿もあまり目に入らなかった。11月初めに韓日中首脳会談がソウルで久しぶりに開催される。李克強首相や安倍首相は、必ずや自国の最高戦略家と緻密に調整された会談議題を携えてソウル会談場に臨むだろう。

 この重要な外交舞台でわれわれはいかなる国家戦略と地域協力のメッセージを周辺友好国に伝えることができるだろうか。久しぶりに開催される韓日中協力の歴史的契機を活かしていくためにも、われわれ国家指導者が北東アジア平和協力のために発信すべき政策アジェンダに対して、さまざまな分野の戦略家と深く考える21世紀の経筵の場があることを期待する。

 パク・ヨンジュン)国防大学校安保大学院教授(中央SUNDAY第450号)


★■ 中国国家主席の隣に常に寄り添う王滬寧氏とは何者か 「WSJ(2013.6.5)」より
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 【北京】中国の習近平国家主席が就任後初めてとなる3月の外遊でロシアとアフリカの首脳陣と会談した際、習主席の脇にはいつも眼鏡をかけた堅苦しい感じの人物が寄り添い、熱心に耳を傾け、時々メモを取っていた。習主席が7日に米カリフォルニア州ランチョミラージュでオバマ米大統領と会談する際にも、この人物が同行することだろう。

 たとえ中国でさえも、この人物が、秘密に覆われた中国共産党中央政策研究室の主任、王滬寧(おうこねい)氏(57)だと分かる人は少ないだろう。そして、以前大学教授だった同氏が公の場ではほとんど語らず、古い知人ともほとんど話をせず、外国人と決して関係を持たないことはそれほど意外ではない。

 しかし、共産党の内部者や中国政策の専門家は、同氏は今日の中国で最も影響力のある人物の1人で、過去10年間にわたる内外政策の主要な立案者だとみなしている。さらに、現在では、世界での優位な地位に立つ軍事的にも経済的にも強い国家を思い起こさせる習主席の「中国夢」(チャイナ・ドリーム)政策の重要な立案者だとも考えられている。

 王氏は一時期、米国で学んだ経験もあり、2002年以降は党中央政策研究室の主任を務めている。同氏は、江沢民、胡錦濤、習近平の3人の歴代国家主席のトップ政策顧問とスピーチライターを務めてきた唯一の人物として共産党内で特異な立場にある。

 王氏の影響力は一部には、中国の新保守主義者の創始者としての立場から来ている。こうした新保守主義者たちは、西洋式の民主主義に反対し、独裁的政府と国が後押しする国家主義を支持することにより、1989年以来の中国首脳陣のイデオロギーの屋台骨を提供してきた。王氏はまた、中国共産党のトップ25人のリーダーたちからなる政治局委員の中でただ一人の米国政策の専門家だ。

 このことは、王氏が今週の習主席とオバマ大統領の「非公式」会談で重要な役割を果たす公算が大きいことを意味する。この会談は両氏が外交儀礼を避け、台本なしで広範な話し合いができるよう計画されているが、中国の首脳陣にとってはこうした形式はなじみの薄いものだ。中国の国営テレビは既に、ここ数日間の習主席のカリブ海諸国や中米訪問中に王氏が隣に座っている様子を放映している。

 ある上級外交官は王氏の内政・外交政策での影響力のために、同氏を「カール・ローブとヘンリー・キッシンジャーが一体化した」人物と評した。

 政策決定での王氏の正確な役割は不透明だ。党中央政策研究室はウェブサイトを持たず、広報担当者や公の電話番号もない。王氏に直接コメントをもらおうと連絡を試みたが成功しなかった。

 共産党の内部者や外交関係者、アナリストらによると、王氏の専門性や経験、共産党内での地位の上昇から、王氏は今後10年間にわたる中国の国づくりで重要な役割を果たし、ひょっとしたらそれ以上の役割さえも持つことが示されているという。王氏は昨年11月に昇進して政治局に加わり、2017年に常任委員会(政策決定の最高機関)の一席を獲得する候補者の1人となっている。現在の引退基準が持続する場合には、王氏は27年まで引退する必要がないことになる。


■ 谷内正太郎と王滬寧 「シンシアリーのブログ(2013.1.22)」より
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世界日報が「難世の英雄の側にはいつも策士がいた」という記事を載せました。日本と中国の外交分野での実力者を紹介しています。

(※mono.--前半の谷内正太郎氏関連記事は略、詳細はブログ記事で)
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谷内正太郎は21日、香港で開かれた米·中·日の民間安保対話で自分の色を明らかに現わした。

彼はこの日、ハマダタクジロウ前日本外務省政務次官が代読した演説で、中国が武力を使って尖閣の主権を主張し、国際秩序を破壊していると激しく非難した。

"一つの聞きたいことがある。これがあなたたちが世界に見せたい中国なのか、これを皆さんの後の世代が誇りに思うのだろうか"と言い放った。中国側がこれに反発し、鋭い舌戦になった。


谷内正太郎は東京大学法学部出身で、1969年に外務省に入り、官僚としては最高峰である事務次官まで常勝疾走した。外務省内の代表的な米国通であり、対北朝鮮強硬派であった。 2006年韓日が独島周辺水路調査をめぐり争っていた時、日本側の交渉代表として活動していた。

彼は普段から "戦略的思考"と国益最優先の現実的な外交を強調する。


彼は2005年に来日した韓国の与・野党の政治家たちに、 "米国が韓国を信頼していないようでして、日本は韓国との情報共有及び協力に躊躇してしまいます"と言って、波紋を起こしたことがある。


韓国側の反発が大きくなると、それは誤解だと謝罪した。しかし、彼の妄言は、盧武鉉政権と小泉政権の間の外交力比べが展開されていた状況下で、韓国内を分裂させようとする意図的な挑発と解釈出来る。


当時官房長官だった安倍はこのような谷内の活動を高く評価した。谷内は2008年に引退したが、安倍が政権してから総理室の外交ブレーンとして帰ってきた。安倍が任命した岸田文雄外相が外交経験が浅いせいもあり、谷内正太郎が事実上の外交政策を主導すると現地のマスコミは見ている。




  • 知恵袋、王滬寧(ワン・フーニング)


ワンフーニングは政治家ではなく、国際政治を専攻した学者出身だが、18回党大会で、中国の権力の核心である共産党政治局委員(25人)に進入した。

案の定、王委員は、習近平政府から副総理級に格上げされ、中国の "外交司令塔"に登用されることが確実視されている。

彼は、中国指導部の 「知恵袋(智囊)」と呼ばれている。それもそのはず、趙紫陽の "歩く政治辞典"と呼ばれ、江沢民前主席の "新権威主義論"と三つの代表論 "などの政策樹立を手伝った。

また、胡錦涛主席の "科学的発展観"、習近平時代の "新しい強大国関係論"を構成する際にも核心的な役割を果たした。

一人の人物がこのように多様なスペクトラムの最高指導者たちから策士として登用されたのは非常に異例のことである。


中国通であるギム・フンギュ誠信女子大教授は、 "中国のように派閥的な評価が強く、列国の長たちが激しく競争する状況では、ワンフーニングのように時代を横切って策士の役割をすることはほとんど不可能に近い"、 "彼は中国人であるがうえに世の中に広く知られてはいなかったが、すごい知略と経綸を持っていると思う "と評価した。


王委員は上海復旦に最年少教授任用記録を立てた。 1970年代半ば、上海師範大学でフランス語を勉強しており、1980年代後半、米国カリフォルニア大バークレー校で客員教授を務めた。フランス語が流暢で、西欧の政治に慣れ胡主席が首脳会談や海外歴訪時によく同行したことで有名だ。


ワン・フーニング本人はまだ外交の色を具体的に見せていない。しかし、彼の側近であるプダン学国際問題研究院の沈丁立(ソン・ディンリー)副院長が、最近ある討論会で、 "奇数日は日本が、偶数日には中国が巡回するなどの方法を使って、両国が釣魚島を交互にパトロールする体制を構築しよう "と日中共同支配論を提案し、大きな話題となったことがある。





↑翻訳、ここまでです。↑



パクネ将軍のブレーンは誰がやるんでしょうね。

税務署でどうかな・・・















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最終更新:2015年11月12日 20:23
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