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◆ 【緊急速報】 トルコがロシア潰しの最終手段、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡を封鎖キタ━━━━!! いよいよ戦争状態へ!! 「あじあにゅーす2ちゃんねる(2015.12.1)」より
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【サヨク速報】 ボスポラス海峡封鎖キタ━ヽ( ゚∀゚)ノ┌┛)`Д゚)・;'━ッ!!

Beehive_Effect Rc @dovernjtaurus 18:55 - 2015年11月30日

BREAKING NEWS #Turkey blocked the straits November 30th
https://twitter.com/dovernjtaurus/status/671266360962523136

【スレタイの元ネタ】
CatNA @CatNewsAgency 23:32 - 2015年11月30日

トルコがダーダネルス海峡、ボスポラス海峡封鎖
戦争かな?
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/671335990116679680



★ トルコが黒海の海峡封鎖となれば、海洋法の基本原則に違反、ロシア人専門家の見解 「スプートニク(2015.11.27)」より
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ロシアのスホイ24の撃墜事件後、ロシアとトルコの関係は急速に緊張化している。トルコは更に状況をエスカレートさせ、ロシアに対し、黒海のダーダネルス海峡、ボスフォラス海峡を封鎖するのではないかとの懸念がささやかれている。だが海上の権利に詳しい専門家らは、こうした事態の発展は非常に考えにくいとの見解を表している。

ロシア科学アカデミー国家と権利研究所の主任学術研究員、ヴァシーリー・グツリャク教授はラジオ「スプートニク」からのインタビューに答え、トルコは黒海の海峡封鎖には走らないだろうとして、次のように語っている。

「理論上はこうしたことは確かに可能だ。つまり物理的にはトルコは、トルコの海峡だと自負する黒海の海峡を封鎖することはできる。これに相当するのはボスフォラス海峡とダーダネルス海峡、それをつなぐマルマラ海だ。
だが黒海の海峡の『鍵』、その法体制を調整しているのは1936年に採択されたモントルー条約だ。(この問題についての)モントルー条約の意義は、トルコは自己裁量で黒海海峡を取り上げ、封鎖してしまうことが出来ない点にある。それはモントルー条約がこうした事態の可能性を明確に見越しており、トルコが黒海海峡を通過しようという船舶の帰属する国家と戦争当事者である場合のみ、封鎖が可能だとしているからだ。これが1点。
見方を変えれば、モントルー条約が失効したとしても、これは形成された国際法の実践や国際的な習慣に合わせて効力を持ち続けており、黒海の海峡は国際的な海峡だと捉えられている。それは自国領内にこの海峡がある諸国は自国の裁量でこれを取り上げ、封鎖することはできない。最悪の場合、これは国際的な航行にとっての損失を意味する。いかなる国もこういう行動はとらない。それは報復を受けかねないからだ。
私はトルコが一方的にこうした行為に及ぶとは思わない。それは、繰り返すが、これは単なる条約違反をこえて、国際的な海洋法の基本原則に違反するからだ。」


■ ”冷戦”が続く黒海 ロシアとNATOの駆け引きの場に 「The New Standard(2015.9.28)」より
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黒海は地政学的に重要な位置にある。現在6カ国(ロシア、ウクライナ、ブルガリア、ルーマニア、トルコ、グルジア)が黒海に面して存在している。

ソ連の崩壊後、米国は北大西洋条約機構(NATO)を通して黒海の支配を目論んでいるという。それまでの黒海は、ソ連と、その影響力の配下にある諸国とトルコが平穏な均衡を保っていた。黒海は戦略的に重要な位置を占めるからである。

黒海は、嘗てソ連が指揮下のワルシャワ条約機構とトルコが属するNATOの二つの勢力圏の間に挟まれた外洋に繋がる海として存在していた。ワルシャワ条約機構のメンバー国は黒海沿岸の70%を占め、トルコの30%を占めるNATO勢力に勝っていた。

その一方で、戦略的にはボスポラス海峡とダーダネルス海峡を領有するトルコが属するNATOの方が優位な位置にあった。なぜなら、この二つの海峡を封鎖すれば、黒海は外洋と繋がらなくなるからである。即ち、ウクライナ、ブルガリア、ルーマニア、グルジアは外洋に出る経路が閉ざされ、完全に内陸国となってしまう。そして、クリミアのセバストポリに基地をもつロシア艦隊も孤立することになる。

+ 続き
上述6カ国の背後には、黒海に直接面していないが、黒海の存在に大きく影響を受けている国としてアゼルバイジャン、アルメリア、モルダビアがある。そして、これらの国には独立を求めて活動している自治州の存在がある。

モルダビアの沿ドニエストル自治州、グルジアのアブハチアと南オセチア自治州、アゼルバイジャンとアルメリアの間のナゴルノ・カラバフ自治州がそれぞれ独立を目指して、地理的に所属している国と紛争を抱えている。これらの自治州の市民は、その大半が親ロシア派である。即ち、独立国家となれば、ロシアの影響下に入ることを望んでいる国だ。

1991年のソ連の崩壊によって、黒海を挟んでの両勢力の均衡が崩れ始めるのである。ブルガリアとルーマニアはワルシャワ条約機構からNATOに移った。この2カ国には米国の駐屯基地も既にある。グルジアもNATOに加盟する姿勢をもっており、米国は2002年からそれに応える動きをしていた。

しかし2008年にロシアとグルジアが抱える南オセチア問題で紛争になったため、今のところ加盟は見送られている。しかし、同国の2つの港、スクミとポチには既にロシア艦隊が自由に寄港出来るようになっているという。

そして、ウクライナでは、クリミアはロシアに併合されたものの、それ以外の地域では紛争が続いている。ウクライナ紛争がこれからどのような展開になるが不明であるが、ロシアは親ロシア派のルガンスク地方とドネスク地方を手放す意向は毛頭ない。

かつてワルシャワ条約機構に属していた、黒海を囲む国がNATOに加わる中、今度はNATO加盟のトルコが、ロシアと黒海の海底を通して天然ガスのトルコへの輸入パイプラインの建設に合意した。しかし、米国がその後トルコに圧力を掛けて、この計画を中断させている。天然ガスパイプラインを通してトルコとロシアとがより緊密な関係になれば、地政学的に米国は完全に不利になる。

一方、NATOに加盟を望んでいるウクライナが黒海の海底油田の開発に関心を示している。しかし、それがトルコの領域に関係しているため、トルコは反対している。

そして黒海を挟んでの両勢力の拮抗が激しくなる中で、カスピ海の天然ガスと石油をヨーロッパに輸送する経路も黒海を挟む地域の情勢に依存するようになっている。

スコットランドのジャーナリストであるニール・アチャーソン氏が、「黒海を囲む国同士は統一されたり分離したりしたが、信頼し合うというよりも嫌悪していたふしもある」と指摘し、「黒海から受ける印象は悲しく、それぞれが異なった文化への不信をもち、それが永久になくなることがないようだ」と述べている。また、米政治学者のジョージ・フリードマン氏は、「黒海は米国の対ウクライナとシリア・イラクの作戦上の重心となるべきである」という。その理由として、「戦略上、黒海はこの2つの地域の中心的位置にあることからだ」と指摘している。




■ 日露戦争の時、トルコが日本を助けるため封鎖した海峡の名前を教えてください。 「Yahoo!知恵袋」より
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ベストアンサーに選ばれた回答

mt7180さん 編集あり2013/3/3021:00:38
黒海と地中海を結ぶ地中海側ダーダネルス海峡です。

日露戦争に日本が勝ったことを一番喜んだ国は英国に次ぎトルコ帝国で
自国がロシアに勝ったように国を挙げて日本の勝利を喜んでくれたらしいです。

余談ですが

歴史的な背景として
元来ロシア帝国は黒海から地中海進出を目指しており
オスマン帝国時代から続くトルコとは犬猿の仲で
有名なクリミア戦争などを含め10回以上の戦争を繰り返します
1877年の露土戦争においてオスマン帝国はバルカン半島に対する影響力を失います

日本とトルコの関わり
1890年オスマン帝国皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きます。

この事故で、特使を含む518名が死亡、
生存者69名は地元民の手厚い救護により一命を取り留めます。
また、遭難者の遺体を引き上げ丁重に葬ったそうです。
その遭難者たちは明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられ
日本にもオスマン帝国にも大きな衝撃を与えます。

この話を聞いた民間人「山田寅次郎」が、
新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義援金5000円(1億円相当)を集め、
1892年に義援金を携えトルコに渡たり
オスマン帝国の外相を訪問し義捐金を手渡します。

遠い日本から民間人が義捐金を携え
自らやってきたことがイスタンブルの人々に知れわたると熱烈な歓迎を受け
オスマン帝国皇帝ハミル2世に拝謁する機会を得ます。

会見で、オスマン帝国皇帝ハミル2世は
「命がけで救って頂いたのみならず、義援金。これは受け取る訳にはいかない」
それに対し山田は、
「これは私個人のお金ではなく日本人皆の総意です。 私も持って帰る訳にはいきません。」と返します。

皇帝は大いに喜び、その義援金で山田に日本学校の設立を希望。
山田寅次郎はそれを受けトルコに残り、
トルコの陸・海軍の士官に日本語及び日本の精神や文化について教える士官学校の教師になります。
後のトルコ共和国の初代大統領ケマル・パシャも片言の日本語が話せ、直接山田から教えを受けたとされます。

第二次世界大戦でも日本に宣戦布告を最後まで行わなかった僅かな国の一つで
現在でも日本に新赴任したトルコ大使は天皇から任命状を受け取ると、真っ先に赴任の挨拶に行くのは串本町だそうです。

気が向いたら
トルコの律儀さや山田寅次郎を調べて見てください。
















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最終更新:2015年12月01日 21:27
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