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● 第442連隊戦闘団〔Wikipedia〕
第442連隊戦闘団(だい442れんたいせんとうだん 英: The 442nd Regimental Combat Team)は、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊規模の部隊である。士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる



■ 日本人収容施設 「Michael Yon JP(2016.2.25)」より
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日本人収容所での生活 : 46枚の写真 by アンセル・アダムズ

信じられない物語がここにある。我々の祖国 米国は、第二次大戦中、約12万人の日本人を収容所に送った。財産のみならず商売や仕事までも奪われた彼らは、身の回りの物だけを持って収容所に向かった。米国市民であり、アメリカ人だったというのに。

米国の犯罪的仕打ちにも関わらず、彼らの多くの若者は米軍に入隊し第422連隊で戦った。私の友人の一人は、今、ハワイの第422連隊の士官であるが、彼によると、入隊したばかりの若い兵士はまず、第422連隊の輝かしい歴史を教えられるそうである。

第442連隊は規模は大きくないものの、米軍の歴史上、もっとも勇猛を馳せたことで有名な部隊となった。米国名誉勲章をはじめ、その他多くの栄誉ある勲章を受けている。かつて、友人の退役軍人と私はロサンゼルスにある422連隊記念館を訪れたことがある。もしもあなたがロサンゼルスにいたら、是非442連隊の記念館を訪れて静かな時間を過ごしてほしい。多くを学べるであろう。

米国を代表してアメリカ在住日本人に謝罪したのは、1988年、ロナルド・レーガン大統領だった。彼は立派な大統領だった。

http://www.businessinsider.com/ansel-adams-internment-camp-photos-2013-8 (※mono.--46枚の日本人収容所の写真あり)

(※mono.--以下英文略)


■ 米最強442連隊の大和魂…激戦地に赴いた日系2世 「東アジア黙示録(2015.5.5)」より
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半数が生きて故郷に戻ることはなかった…欧州戦線の白人兵を驚愕させた日系2世部隊の伝説的な戦い。訪米の最後に安倍首相が対面した442連隊の元兵士達は、紛れもないサムライだった。
(※mono.--写真略)
日系人が多く暮らす米ロサンゼルスのリトル・トーキョー。その一角に、「ゴー・フォー・ブローク・メモリアル」という一風変わった名前の記念碑がある。Go For Broke 当たって砕けろ…

米両院会議での歴史的な演説を終えた安倍首相は5月1日午後、ロサンゼルスに入った。地元日系人との会合に続き、昭恵夫人を伴って訪れたのが「ゴー・フォー・ブローク・メモリアル」だった。
(※mono.--写真略)
安倍首相夫妻は、厳かに記念碑の前に歩み出ると、白百合や菊をあしらった花輪を捧げた。遠い異国の地での激戦から70年以上が経っていた。セレモニーに参列した元兵士の1人は、こう語った。

「日本の総理大臣がここに立ち寄ってくれるまで長い時間がかかった。それでも、過去に敵として戦ったという事実がありながら、安倍首相は私たちに会いに来てくれた。本当に良かった」
(※mono.--写真略)
握りしめた右手に左手を添えて、安倍首相は労いの言葉をかけた。式典に参列した元兵士たちの満ち足りたような表情。そして安倍首相も、今回の訪米で一番の笑顔を見せていた。
(※mono.--写真略)
「第二次世界大戦での日系人部隊の勇敢な戦いぶりは、今でも語り伝えられています」

安倍首相は翌日付の公式FBに、そう記した。422連隊を筆頭にした日系人部隊の戦いは、米国のみならず欧州各地でも、深く記憶に刻まされている。彼らは常に最前線の悲惨な戦場にいた。

大東亜戦争の開戦後、収容施設に押し込められた約12万人の在米移民。鉄条網の内から大勢の日系2世の若者が戦場へと向かい、そして多くが、2度と家族の待つ家に帰ることはなかった…

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)






















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最終更新:2016年02月26日 07:44