音楽 / 楽曲

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ほたるのひかり 蛍の光
1 ほたるのひかり、まどのゆき、ふみよむつきひ、かさねつゝ、いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。 蛍の光、窓の雪、書読む月日、重ねつゝ、何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く。
2 とまるもゆくも、かぎりとて、かたみにおもふ、ちよろづの、こゝろのはしを、ひとことに、さきくとばかり、うたふなり。 止まるも行くも、限りとて、互に思ふ、千万の、心の端を、一言に、幸くと許り、歌ふなり。
3 つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとほく、へだつとも、そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため。 筑紫の極み、陸の奥、海山遠く、隔つとも、その真心は、隔て無く、一つに尽くせ、国の為。
4 ちしまのおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり。いたらんくにに、いさおしく、つとめよわがせ、つゝがなく。 千島の奥も、沖繩も、八洲の内の、護りなり、至らん国に、勲しく、努めよ我が兄、恙無く。





【どえらいもんを聞いた話】

四国護国神社巡りの二日目、高知黒潮ホテルに泊まり、隣接している日帰り温泉に入浴できるとのことだったので閉館ギリギリにひとっ風呂浴びた。
風呂から出ると、館内には蛍の光が流れており、閉館の準備が進んでいたが、一節を聴いて耳を疑った。

なんと3番の歌詞が流れていたからだ。『ええーっ!』と思いながら聴き続けると、4番までしっかり流れてまた1番からループしていた。

『蛍の光』は明治14年に小学校唱歌として発表されたが、実は4番まで歌詞がある。
3番と4番は日本の領土がどこからどこまでなのかを明確に示し、『国の為、皆で力を合わせて守りましょう』という歌詞だ。

しかし敗戦後に3番と4番は教科書から消され、現代日本人は存在すら知らない人が多い。(『われは海の子』も実は7番まであるが、今は3番までしか歌われない)

そんな背景があるので、3番4番を歌っている音源を聴くのは初めてだった。
この音源はどこのものか知りたくて知りたくてウズウズしてしまい、意を決して店員さんに聞いてみた。

『あの、すみません、つかぬことを伺いますがこの蛍の光はCDですか?』
『えっ、有線だと思いますけど』
『えっ、有線でこれが流れてるんですか?』
『えっ?』
『少し勉強をしている者なのですが、3番4番の歌つきの音源はとても珍しいので、もしCDだったらジャケットを見せていただきたいと思ったのです』
『(困惑)多分有線だと思うんですが、私はよくわからないので、わかる者がもうすぐくるので少しお待ちください』

困惑する店員さん。すまん。
聞くと、この店員さんは12年ほどお勤めだが、来た時からこの音源は流していて、この温泉は20年ほど前からやっているとのこと。
3番4番は意図的に消されたものなので、有線で流しているとは考えにくい。

しばらくすると別の店員さんがやってきて、
『ああ、これはCDですよ』と、CDを取り出して見せてくれた。生憎ジャケットは紛失してないそうだが、CDの表面を見ると23年前に発売された『式典・儀式の音楽』という実用シリーズでBGM用に作られたもののようだ。

『これは貴重ですよ!』

と興奮する私。店員さんは苦笑いだったが『また聴きに来て下さい』と優しく言ってくださった。

部屋に帰り、すぐさまCDを探してみたところ、コレかな?と思うものを中古で発見。とりあえずポチった。
今日それが届いたので早速開けてみるとビンゴ!

TSUTAYA八戸ノ里店のレンタル落ちでケースも割れていて、入荷して短期間でレンタル終了していた。まぁ、誰も借りなかったのは理解できる。
ジャケットの冊子は曲の説明など一切なく、式典儀式の種類や作法、運営方法などの指南がつらつらと書かれていた。

しかし、これを作った人の意図がどんなものであったか想像するだけで胸熱。そして4番の歌い方で、単語の途中で伸ばす音をどこにするかを悩み、多分こっちだろうと決め打ちして歌っていた部分が正解だったこともまた嬉しい私であった。
いやぁ、どこで何に出会うか分からんもんだね。
これが人生よな。

蛍の光の歌詞、解説、歌唱ビデオはツリーに貼っておきます。





















Uploaded on Sep 17, 2010
SakuraSoTV | 2010年08月15日 【8・15特別番組】歌い継がれる軍歌の心[桜H22/8/14] 4/5より
4番の歌詞の「千島の奥も沖縄も」は日清日露戦争のあとは文部省によって「台湾の果て­も 樺太も 」と改変されたそうです。これが昭和20年の敗戦でこれらの領土を失ったあと、歌われ­なくなってしまった主たる原因ではないでしょうか。もちろん日教組教育のせいでもあり­ますが。
なお、3番の「筑紫の極み、陸(みち)の奥」は4番と同じく日本の辺境という意味では­ありません。江戸時代の歌学者の伝統をひく作詞者の稲垣千頴は、万葉の時代、北九州の­辺境に出征してゆく防人たちが、主として「みちのく」(東北地方)出身者であったこと­から、「防人の歌」には別れ別れになった夫や妻あるいは恋人どうしが相手を恋うる歌が­多いことをふまえていて、遠く離れた男女の思いも含まれていると解すべきです。























































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最終更新:2025年05月15日 16:23