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● ジョー・オダネル〔Wikipedia〕
ジョー・オダネル(ジョー・オドネルとも。Joe O'Donnell、Joseph Roger O'Donnell、1922年5月7日 - 2007年8月9日)は、米国文化情報局に勤務した米国の記録映像作家、フォトジャーナリスト及び写真家。ペンシルベニア州ジョンズタウン生まれ。最も有名な作品として、1945年と1946年に日本の長崎及び広島における原爆投下直後の状況を、米海兵隊の写真家として撮影した一群の記録写真がある。
2007年、テネシー州ナッシュビルにて没。命日は奇しくも8月9日『長崎原爆忌』である。
2007年、日本の皇后陛下は、オダネルが従軍中の長崎で撮った「焼き場に立つ少年」の新聞への掲載が、その年に印象に残ったことの一つとして言及されている






■ 「焼き場に立つ少年」とそれを撮ったジョー・オダネル氏 「荒んでいく世界(2011.11.25)」より
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昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた少年。

男の子は泣いちゃいけない、精いっぱい、涙をこらえて、直立不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた少年。こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライだったのです。(ちいさくても強いサムライより


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必死で悲しみをこらえている様子に胸がはりさけそうになりました。この写真を撮ったのは、米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。氏はこの写真に次のようなコメントを残されています。




佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。

少年の様子はあきらかに違っていました。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。足は裸足です。

少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。

男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。
(インタビュー・上田勢子)
[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

(※mono.--以下略、該当ブログは更新されていませんので、いつ消えるは分りません。詳細は是非ブログでお読みください。)


■ ジョー・オダネルを支えた二人の少年 「あるがままの自分を取り戻す(2010.8.9)」より
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本日長崎に原爆が投下された日、8月9日午前11時02分黙祷を捧げました。
外では蝉が夏を盛りと啼いています。

長崎といえば、ジョー・オダネルによる写真「焼き場に立つ少年」が有名です。

そのジョー・オダネルと息子タイグ・オダネルの物語をご紹介します。
「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNGASAKI」(NHKスペシャル2008年8月7日放映)から。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)













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最終更新:2016年06月01日 19:56
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