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■ 教祖の失脚 - 公共敵として市民社会から排除され隔離された野間易通 「世に倦む日日(2016.6.8)」より / ※保存
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重複を恐れず、事実を整理しよう。野間易通は、昨年9月3日、静岡地裁の判決によって「凪論」への個人情報晒しと誹謗中傷が不法行為と認定され、慰謝料20万円の支払命令を受けた。これらの行為を合法だと強弁して争った野間易通と神原元の主張は裁判所によって退けられ、本年4月に控訴審で、5月には上告が棄却されて判決が確定した。原告「凪論」が勝訴した。そして、本年6月6日、Twitter社は規則違反者への処罰であるアカウント凍結を野間易通に適用し、コミュニティから野間易通を閉め出した。野間易通は隔離され、これまで暴君のごとく恣に振る舞っていた場所で何も発言できない囚人になった。発言権を奪われた。以上の二つは個別の事案に対する各当局の法的対応の結果だが、これが野間易通の長年の所業に対する審判の結果であり、この男の思想と行動に対する市民社会の評価と結論であることは言うまでもない。野間易通は失脚した。ヘイトスピーチ対策法成立という、現時点で未だしばき隊支持者が多い左翼リベラルの視線から見れば、本人が「栄光」の絶頂に達した瞬間に、過去の悪行の累積によって転げ落ちる顛末となった。しばき隊内部からは、不自然なほど、アカウント凍結解除運動の声が聞こえてこない。しばき隊の幹部たちは事態の進行を見守りつつ、不吉な運命を予感して沈黙を続けている。

野間易通の隔離と不在が続き、カリスマ教組の失脚が既成事実となる過程で、しばき隊がどう変容し、しばき隊を擁護してきた左翼リベラルの重鎮たちがどう変貌するか、政治学の視角から観察と分析を続けたい。


■ 野間易通 徹底批判 「外山恒一と我々団(2015.7月執筆)」より
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   はじめに

 野間易通は2015年現在の日本の社会運動シーンにおける最重要の人物の1人である。
 一時は首相官邸を毎週数万人で包囲した「首都圏反原発連合」の中心メンバーの1人であり、2013年1月に野間を代表として発足した「レイシストをしばき隊」(現「C.R.A.C.」)の活動は、それまで数年にわたって全国各地の路上をいわゆるヘイトスピーチで制圧していたと云っても過言ではない在特会(「在日特権を許さない市民の会」)と初めて互角以上に渡り合った。
 野間のリベラル派としての立場は、ラジカル派である私のそれとは最終的には相容れないものだし、細々した部分から根本的な部分まで多くの批判を持ちつつも、それを全面的に展開することは控え、たまに言及する際にはむしろなるべく好意的であるよう心がけてきたつもりだ。
 ある時期から、野間が突然、ツイッターなどで私に対する揶揄的やがて批判的言及を断続的・間歇的に繰り返すようになり、かつそれらはまったく的外れなものばかりであったが、何度目かの、やたらボルテージの上がった集中的な言及があった際、初めて最小限の反論をおこなった上で、「直接議論すれば意気投合しないまでも問題意識の擦り合わせは可能だろう」し、「ネット上のやりとりで決裂するのはバカバカしいので、いずれ直接」と私の側から“論争”化を打ち切った(2014年10月4日のツイート)。
 その後も野間はやはり時折思い出したかのように私への批判や当てこすり(らしきもの)を繰り返しおこない、私も引き続き“激突”は慎重に回避しつつ、この約9ヶ月間で計数ツイートだけ、野間を牽制する批判的言及をした。
 が、ここにきて私はもう、野間批判を自制することをやめる。反原連やしばき隊の時期と比べて野間が明らかに変質し、日に日に偏狭の度を増しているらしいことを私はずっと残念に思ってきたが、もはやそれはこのまま放置しえないレベルに達している。私は今回、初めて本格的に、野間易通を徹底批判する決意を固めた。
 本稿で私は、野間が(かつてはともかく現在は)在特会やいわゆるヘサヨと“どっちもどっち”であること、野間は(私を含め)批判対象と見なした相手に好んで「サブカル」なるレッテルを投げつけるが、実は他ならぬ野間自身が最も典型的で悪質な「サブカル」であること、2013年以来の在特会vsカウンターの抗争は(一見そうは見えなくとも、また仮に在特会そのものは今後例えば解体されたとしても)本質的には在特会側の勝利に終わりつつあること、などを疑問の余地なく論証することになるだろう。

(※mono.--以下長文につき略、詳細はサイト記事で)





朝方、先生のTL拝見したところ、ろくでなし子さん含め複数人相手に罵詈雑言応酬でした。一度頭冷やした方がいいと思われるのですが、今更無理でしょうね。


(※mono.--以下略)














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最終更新:2020年03月21日 14:01