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● ペルソナ・ノン・グラータ〔Wikipedia〕
1983年1月 - 中川一郎衆議院議員。1983年1月に、内閣総理大臣の名代として訪米が内定したが、アメリカ合衆国連邦政府から入国拒否を通告された。表向き反共主義を唱えながらも、裏では親ソ政権の樹立を画策していたと、中央情報局の調査で判断されていたからとされる。



■ 26年前の中川一郎怪死事件 「逝きし世の面影(2009.2.24)」より
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1983年1月9日
前年には自民党総裁選に出馬したほどの自民党の大物政治家であり、泥酔会見で国際的に超有名になった中川昭一前財務大臣の実父でもある中川一郎元農相(当時57歳)が宿泊先の札幌パークホテルの浴室で死んでいるのを発見される。
当初、死因は「急性心筋梗塞」と公表された。
ところが、2日後の11日になって、死因は「首吊り自殺」であったことが発覚する。

中川の首吊り自殺は不審な点が多く事件直後から『謀殺』説が囁かれていた。

何しろ(今では珍しくなくなったが)自殺方法が何とも不可解である。
中川一郎は、浴槽に座った状態で、自分の身長よりも遥かに低い高さ1メートル強程度のタオル台の金具に浴衣の紐をかけて首を吊っていた。
警察では、『この方法でも死ぬことは可能』であるとして他殺ではなく自殺と断定、司法解剖もせず早々と二日後には火葬する。

だが、この方法は断末魔の苦しみに耐え『最後の瞬間まで自身の強い意志で死に向かっていかなければならない』という難事業である。
普通人には、このようなことが『人間として可能なのだろうか』?と言う疑問が当然湧いてくる。

+ 続きの記事保全のため全文転記
通常首吊り自殺の場合では、自分の背丈より高い位置に紐を掛けて首をつる。
だから成功する。
これは投身自殺が、自分の背の立たない水深の海なり川なり池に飛び込むから成功するのであり、1メートルほど、腰程度の水深では、溺れ死ぬのが難しいのと同じ理由である。

『北方領土と中川一郎』

政治家中川一郎は、血判事件で有名な自民党内の右翼集団青嵐会の創立メンバーの一人で国粋主義と見られているが、ソ連時代からの党内随一のロシア通である。
長年培っきたロシア人脈(ロシアとの太いパイプ?)は彼の死後に議員秘書だった鈴木宗男に引き継がれる事になる。
対ロシアの最大の懸案は北方領土問題であるが、日ロ(ソ連)の国交回復の過程で歯舞色丹は北海道の付属の諸島であり平和条約(講和条約)締結時の返還がすでに双方で合意されている。
日本側主張は、国後、択捉島などの南千島は、日本がサンフランシスコ条約で放棄した千島列島に含まれず日本固有の領土であるとするものです。
しかし、この論は『白馬は馬に非ず』と言う詭弁中の詭弁で国際的に通用する話ではない。
南千島返還を要求するのであれば、筋道として出発点であるサンフランシスコ講和条約の破棄を宣言するのが道理であろう。
講和条約破棄を宣言し、その上で国後択捉島の南千島だけではなく平和裏に条約で領土となった北千島の日本の権利も主張するのが筋と言うものであろう。
しかしアメリカとの関係でサンフランシスコ条約は守るしかない。
それでは、国後択捉は帰ってこない。
中川一郎は2島返還での平和条約を模索していた。この路線は鈴木宗男に継承され、森元首相や麻生現首相ら自民党中枢でも暗黙裡に認めれているが、長年4島一括返還を主張してきた手前、おおやけに出来ないでいる。

(2年前の松岡利勝農水大臣怪死事件との類似点。)

高さ1メートル以下のドアノブで首吊りした『不可解な松岡農相自殺事件』

最初の報道は、天井の照明器具だったが、次の報道は背が低い人でも手が届く2mの高さの開閉ドアの上端角部分を使って首を吊ったと言うものに変わる。
議員宿舎の天井部分に適当な設備が無かったので室内で首吊り自殺を装うためにはドアしかなかったのか。?
次の報道ではもう少し低くなり、紐を掛けたのはドアの上端ではなく、ドアの蝶番という風に変遷する。
段々低くなる首吊りの位置報道報道だが、真実は、??
マスコミ報道では遂に真実が報道されることは無かったが、何と『ドアのノブ』で首を吊っていた。!!!
こりゃあ不味過ぎる。
幾等なんでも、これではマスコミ報道できない。
空前絶後、常識では難しすぎる、考えられない前代未聞の方法で自殺した現職閣僚。
此れまでは、開閉ドアで首を吊る人は、病室を絶対に動けない重症患者以外では、普通はありえない話です。
其れも、高さが一メートル以下の「ドアノブ」とは。!!絶句。
自殺マニアでもあるまいし、ドアのノブで首を吊る者はいない。

『ハラキリ』

松岡利勝の死に対して、『真のサムライだ』と石原慎太郎が発言していたが、サムライといえばハラキリが有名。
切腹は自殺のように見えても、自殺ではない。
自殺と処刑と他殺の入り混じった日本独自の恐るべき風習。
今回の松岡利勝氏の死亡は自殺でもあり、処刑でもあり、他殺でもあったのではないでしょうか。?

欧米では関係者がなかなか自殺してくれないので暗殺が主流になるが、日本での口封じは「自殺」が主流。
しかし欧米の「暗殺」と、日本の「自殺」は意味が同じで、物事を解決する殆ど同じ現象をさしています。

『松岡農水相変死事件』

網膜には残像効果があり、太陽のような強い光を見ると、目を離しても暫くは其の映像が残る。
記憶にも、同じことが言える。
衝撃的ニュースでは、一度信じたことは人の記憶の中にしばらく残る。
松岡自殺報道でも、この残像効果が働いている。
最初の報道では,[天井の照明器具]で首を吊ったと書いていた。
自殺の衝撃が世間に広まってから開閉ドアの上端に変わり、最後はドアノブを匂わせる。
最後まで、ドアノブと断定して報道しない。
しかし普通に、文章どうり読めばドアのノブで首を吊った事が理解できるが、その様な理解力のある読者は殆どいない。
手品の種と同じ。
普通の、知識人の常識の盲点です。
常識→首を吊るには手の届かない高さが必要→天井の照明器具.→すんなり信じる。
信じてもらったら、後は手品師の思うがまま。
照明器具(3m)→ドアの上端(2m)→ドアの兆番(1・5m)→ドアノブ(1m)と段々と、低くなっていくが誰も気が付かない。
みんなには、最初の記憶の残像が残っている。
最初の、「照明器具の」報道がひどすぎる。
議員会館は新築の最新設備の建物で、我々の住んでいる家とは違い、照明器具を天井から吊るしている筈が無い。
高級ホテルに準じて造られている。
首がつれないように絶対嵌め込み式なんですね。
高級ホテルで一番嫌うのは客室での自殺です。
それで、高層ホテルは嵌め殺し窓で飛び降り自殺できないように、窓が開かない仕掛けになっている。
護憲派のブロガーも良識や常識が邪魔をして「松岡謀殺」を記事にしている人は殆どいない。

『ヘタを売れば殺される。』 (元首相秘書官飯島勲氏によると)

飯島氏は松岡利勝氏とは旧知の仲で「変死」の前日にも一時間以上も電話で話をしていて、慶応病院にも一番に駆けつける。
<>なぜ松岡は死なねばならなかったのか。
水か、事務所経費か、それともヤミ献金がバレたからか。
しかし、その程度のことで死ぬような男ではない。
悪党特有の不貞不貞しさが身上の男なのである。
亀井派きっての武闘派で、おまけに悪い噂が絶えなかったのが、松岡利勝だ。
鈴木宗男とつるんでの「むねむね会」・・・ここをベースに利権団体から汚い金を集めもした。
ヤクザさながらの恫喝ぶりで、霞ヶ関の役人たちから、毛嫌いされる政治家No1なのである。
松岡利勝の強みは、飯嶋勲の背後に控える小泉純一郎の存在だ。
郵政政局の折り、亀井静香を見切り、小泉に忠誠を誓った。
その政治判断が、政界屈指の悪徳政治家を大臣職に押し上げたのだ。
還元水がどうあろうと、事務所経費がどうであろうと、小泉には関心がない。
郵政政局時に勲一等を与えるに相応しい働きぶりをした男。
小泉の、松岡に対する評価はそれだけだ。
風さえ読めれば、政界という大海原を縦横無尽に航海できる。
稀代の悪徳政治家が、それを見事に証明してみせる。

『では、なぜ自殺をせねばならなかったのか。』
そこには、謎と同時に闇がある。
安晋会に連なる闇だ。
安倍内閣の癌とも言えたのが松岡利勝。
自発的に辞めないのなら、更迭すれば良かったのだ。
しかし、辞めさせるとなると、松岡は牙を剥きだして敵対する。
松岡が握っている安倍の弱み、それを武器としてである。

『ならば消すか。』
そう思っても不思議はない。
他殺を自殺に見せかけることなどプロの殺人者なら容易なことなのだ。
が、真相は分からぬままで終わるだろう。
総理特権をフル稼働すれば、全てを藪の中に葬り去ることが出来るからだ。
安倍政権、と言うより安晋会は恐ろしい。
そのことだけが実感できる。
安倍政権は死臭に満ちた政権なのだから。

『ヘタを売れば殺される。』
その意識を多くの議員が共有する。
もの言えば唇寒しで、党内からも閣内からも、笑顔がスッカリ消え去った。
空前絶後とも言える閣僚の変死。
その現実を見せられれば、恐怖感に陥るのも無理はない。


■ 中川一郎氏自殺に追いこんだのは誰か 鈴木宗男氏初めて口を開き反論 「Jcast-news(2010.10.18)」より
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 鈴木宗男・元衆議院議員が故中川一郎氏の自殺の原因を「初めて明かす」とした手記を雑誌に発表した。遺族側は鈴木氏が自殺の引き金になったと主張しているほか、KGBスパイ説、KCIA秘密資金説など様々な説がメディアに流れたが、いずれも間違いだとしている。

 この手記は、故中川昭一衆議院議員の未亡人、中川郁子さんが「文藝春秋」2010年10月号に掲載した「義父中川一郎、昭一『親子連続怪死』の全真相」に反論するために書かれた。

「お前に、俺は殺された。俺は死ぬしかない」

 郁子さんは一郎氏の自殺は精神的変調のためとし、中川氏が鈴木氏に対し「お前に、俺は殺された。俺は死ぬしかない」などと怒鳴り殴っていたというエピソードを紹介し、鈴木氏が自殺の原因と取れる書き方をしている。鈴木氏と中川氏の遺族の主張は真っ向から対立したままで、真相は未だにやぶの中だ。

+ 続き
 鈴木氏の手記は「新潮45」の2010年11月号に「中川一郎先生の名誉のために今、初めて明かす『自殺の原因』」というタイトルで掲載されている。鈴木氏は北海道開発局の工事などを巡り受託収賄で有罪となり収監されるが、国会議員バッジを外したのを機に、27年間ずっと秘めてきた中川氏の自殺の真実を公表すると書いている。鈴木氏は大学在学中から13年以上中川氏の秘書を務めた。

 手記によれば、中川氏の自殺の原因は色々と取り沙汰され、中には「鈴木が(中川)先生を殺した」というものもあった。自殺の2年後に出た「文藝春秋」85年1月号には貞子夫人が死の引き金は鈴木氏だとし、「鈴木、よくも、この俺を刺したな!!お前に、俺は殺された。俺は死ぬしかない」と怒鳴り、20~30回殴り続けた、といった内容の手記を発表。

 同誌2010年10月号では、今度は昭一氏の妻の郁子さんが、貞子さんが明かしたのと同じ光景を目撃した、と書いている。こうした内容について、

「貞子夫人が書いているやり取りは事実に反しており、ましてや郁子さんはその場にいなかったと断言する」
などと反論している。

 では、自殺の原因は何なのか。鈴木氏の手記によれば、中川氏が極度の鬱状態に陥ったのは自殺の前年の1982年11月27日。中川氏は24日の総裁選に出馬し敗れている。27日は福田赳夫元首相宅に総選挙後の挨拶に行き泥酔。福田氏に対し「散々俺を利用しやがって」などと思いの丈をぶちまけたという。そして「俺はやられる」といった被害妄想に襲われるようになった、という。

100万円の裏献金を誰かに暴露されることを恐れた

 「俺はやられる」というのは全日空から中川氏に手渡された100万円の裏献金。それを誰かに暴露されることを恐れたというのだ。いつ報道されるのかとNHKのニュースをチェックするのが日課になっていたという。

 鈴木氏が衆院選に出馬する意志を示したことは中川氏の精神的苦痛にはなったが、出馬をやめたことで円満解決しており、貞子夫人や郁子夫人が書いているような中川氏とのトラブルはなかった、という。そして、自殺に追い込んだ何よりも大きな原因を鈴木氏はこう綴っている。

 貞子夫人は中川氏が鈴木氏に頼りっきりの状態に納得がいかず、「鈴木を切って、次男を秘書にしてください」「鈴木と私とどちらが大切なんですか。鈴木を切れないのなら離婚します」と強く迫ったことや、全日空からの闇献金が中川氏の悩みを深め死に追いやった、という。

 両者の言い分は全く正反対なのである。



















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最終更新:2016年09月22日 19:10