前回、イタリア人による移民礼賛論の危うさをを取り上げた。長くイタリアで暮らし、イタリアの生活と文化、歴史について日本人の中でもっとも詳しい一人である塩野七生氏の「移民への対処」論を紹介したい。

2008年12月号の月刊「文藝春秋」に載ったエッセイと同時期のナンバー715号に掲載された記事だが、今でも十分に通用する。筆者は塩野さんの考えにほぼ全面的に賛成である。

塩野さんは「純粋培養だけでは、いずれは衰弱する。異分子による刺激は常に活気を取り戻すには最適な手段」として、有能な外国人の日本への移住を歓迎する。

だが、当時、日本では移民を一千万人受け入れると言い出した。塩野さんは「これくらい、バカな政策はない」と一蹴する。理由は以下の如し。

<移民政策では先行していたのがイギリスやドイツやフランスやイタリアだが、これらの国の現状を見てほしい。今では移民受け入れに積極的であったゆえに苦労が絶えない。ヨーロッパ人がアメリカへの移民であった百年前とは、事情が変わったのである。以前は移住先の国の言葉を習得し法律を守るのは当たり前と思われていたが、今はまったくそうではない。移り住んだ国に同化するよりも、その国の中に自分たちのための治外法権区域を作ることのほうに熱心な感じだ>

移民がその国に問題なく定住する大きな条件はその国の言葉を自由に話し、生活習慣を身につけることである。さらに、その生活習慣をこよなく愛することが大きい。

そうした外人はしばしばテレビなどに出演し、流暢な日本語とユーモアで日本人に親しみをもたらす。彼らが日本に愛着を感じている事は話しぶりや身振りで良くわかる。日本人そのもののような所作をする人々も珍しくない。

私はこうした外国人の存在を大いに歓迎する。中には日本人に帰化した者も少なくない。

だが、自分たちの言葉を話し続け、生活の文化も持ち込み、さらに自分たちの治外法権区域を作れば、その国の国民との摩擦、争いが多発しないはずがない。塩野さんは言う。

<これが現状である以上、今の日本の選択すべき道は、一つしかないように思われる。深く静かに潜行してきたこれまでの厳しい移民政策を、これ以後も黙ってつづけることなのだ。来られては困る人々を、なるべく人目に立たずに排除するために>

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)










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最終更新:2016年09月27日 17:01