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★ 韓国・朴槿恵大統領の「陰の実力者」崔順実氏を緊急逮捕 「国民の皆さん、許して下さい」 「ハフィントンポスト(2016.10.31)」より
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【UPDATE】2016/11/01 10:20
朴槿恵大統領から国政や外交に関する文書を渡され、人事などに介入したとして問題になっている朴氏の知人女性・崔順実(チェ・スンシル)氏が10月31日午後3時、ソウル中央地検に出頭した。

地検は10月31日深夜、崔順実氏を緊急逮捕した。崔氏の出頭前に大規模な証拠隠滅を図った形跡があり、本人が心身共に不安定なことから踏み切ったとみられる。韓国の刑事訴訟法の規定に伴い、48時間以内に正式な拘束令状を請求する方針という。

出頭時、黒い帽子を目深にかぶった崔氏は、手を口でおさえ、詰めかけた大勢の報道陣らにもみくちゃにされながら地検庁舎に入った。ハフポスト韓国版によると、エレベーターの前で「国民の皆さん、許して下さい。申し訳ありません。死に値する罪を犯しました」と述べたという。

検察当局は、崔氏の知人が多数理事に就任していた文化財団「ミル」と「Kスポーツ財団」の設立経緯や、両財団が企業などから800億ウォン(約73億円)の多額の寄付を受けた背景について調べている。崔氏が財団を私物化していた可能性や、崔氏の個人企業を通じて、両財団の資金を流用したのではないかとみて調べている。

野党「共に民主党」は、崔氏が朴大統領から演説文や外交関連文書などを事前に受け取っていたことが、大統領記録物管理法違反や刑法の公務員秘密漏洩罪、財団の寄付を巡る疑惑は特定経済犯罪加重処罰法や犯罪収益隠匿規制・処罰法に違反するとして、31日に告発状を検察に提出した。

崔氏は、大統領を陰で操る実力者としてメディアを賑わせて以降、ドイツに逃亡していたが、30日早朝に韓国に帰国していた。

韓国紙「世界日報」は10月27日付で、ドイツ滞在中の崔氏のインタビューとする記事を掲載。「大きな問題だと思わなかった。国家機密だとも思わなかった」「記憶があいまいだ」と、朴氏に介入したとの疑惑を否定していた。

大統領を陰で操る実力者と言われた崔氏が検察の捜査に応じたことで、朴大統領は一段と厳しい立場に追い込まれた。捜査で実態がどこまで明らかになるのかが当面の焦点となる。

大統領は、青瓦台(大統領府)の10人いる首席秘書官や、側近と呼ばれた秘書官を更迭して、人心一新をはかることで危機を打開し、残り1年4カ月の任期を乗り切る構えだが、与野党からは、大統領が任命した現首相の交代を求める声も出ている。

大統領支持率が10%台に落ち込む中、29日夜のソウルの集会には約3万人(主催者発表)が参加して「朴槿恵退陣」を叫んだ。国民の怒りは沸騰しており、朴大統領が世論に抗して乗り切れるのかは不透明だ。


★ 「韓国のラスプーチン」朴槿恵大統領を陰で操る謎の女性・崔順実氏とは? 「ハフィントンポスト(2016.10.26)」より
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韓国・朴槿恵大統領から、演説文や機密に関する文書などを事前に受け取り、青瓦台(大統領府)の人事にも介入していたとされる女性、崔順実(チェ・スンシル)氏。

アメリカのニューヨークタイムズは10月24日、朴槿恵氏との個人的関係を利用して、大企業から財団に巨額の金を寄付させた崔氏を、「まるでラスプーチン(のように報じられている)」とたとえた。

崔順実氏とは、いったい誰なのか。

話は2014年にさかのぼる。304人の死者・行方不明者を出した大型旅客船セウォル号沈没事故を巡り、産経新聞の加藤達也・ソウル支局長(当時)の書いたコラムが、名誉毀損にあたるとして起訴され、刑事裁判になった(のちに無罪判決が確定)。

コラムで問題となったのは、朴大統領が事故の発生直後に、ある男性と密会していたという内容だったが、のちにこの男性が、一民間人の立場で青瓦台(大統領府)の人事に深く介入しているという疑惑が報道された。この男性は1998年から2004年まで、国会議員だった朴槿恵氏の個人秘書室長を務めていたチョン・ユンフェ氏だ。

このチョン・ユンフェ氏の元妻が、崔順実氏だ。

崔順実氏は、新興宗教団体「大韓救国宣教会」の総裁だった崔太敏(チェ・テミン)牧師の5番目の娘だ。

崔太敏氏は1974年、妻を銃撃事件で失った朴正熙大統領に接近し、娘の朴槿恵氏を名誉総裁に担いだ。ここから、朴槿恵氏と、崔順実氏の娘同士の関係が始まったとみられる。

1977年以降、崔太敏氏は、忠孝や礼儀の重要さを説く国民啓蒙運動「新しい心(セマウム)を持つ運動」を韓国全土で展開(農村近代化運動の「セマウル」とは違う)、全国各地の自治体や学校に支部ができ、数万人が参加する大規模な運動だった。ファーストレディー役を務めていた朴槿恵氏は「セマウム奉仕団」総裁として、運動の「顔」の役割を果たした。
【参考記事】韓国の朴槿恵大統領、知人女性に演説文など事前流出 スキャンダルで最大の窮地に

崔太敏氏の人物像は謎に包まれており、権力と癒着して不正蓄財を重ねた疑惑が指摘されてきた。1979年10月26日、朴正熙氏は中央情報室長の金載圭に暗殺されたが、金載圭の弁護人は控訴審で「崔太敏氏の疑惑について朴正熙大統領に進言したが、聞き入れなかった」ことが暗殺の動機の一因だったと主張した。

朴正熙大統領の暗殺後、朴槿恵氏は事実上の隠遁生活を余儀なくされたが、崔太敏氏と崔順実氏は朴槿恵氏の財団「陸英財団」をともに運営するなど、朴槿恵氏を支え続けた。朴槿恵氏は「崔順実氏は、昔、私が苦しいときに助けてくれた縁」と表現しており、信頼の深さを物語る。

長らく隠遁していた朴槿恵氏は1998年、国会議員に初当選し、政治の表舞台に復帰する。このとき、個人秘書室長に据えたのが、崔順実氏の夫だったチョン・ユンフェ氏だった。朴槿恵氏の政界の側近も、このときに形作られた。

朴槿恵氏が大統領に就任後、崔順実氏との深すぎる関係が表面化し始める。典型的な例が、崔順実氏の娘を巡る騒動だった。

崔氏の娘、チョン・ユラ氏は乗馬の有力選手だったが、2014年の仁川アジア大会代表を決める2013年4月の大会で2位となり代表入りを逃した。その翌月、青瓦台(大統領府)は「乗馬協会を監査しろ」と文化体育省に命じる。「協会もチョン・ユラ氏も問題があった」という報告書を作成した課長と、上司の局長は、朴大統領が直接、更迭を指示したという。

文化体育省の許可で設立された「文化財団ミル」と「Kスポーツ財団」の理事長や理事に、崔氏の知人が多数就任し、韓国企業が計800億ウォン(約73億円)を出資していたことが報じられている。存在自体あまり知られていない2つの財団に企業が巨額の資金を拠出したことに、青瓦台の圧力があったのではないかと疑われている。

先の産経コラムの事件も、当初から「無理やりな起訴」と言われていたにもかかわらず、検察当局が起訴に踏み切った背景に、崔順実氏の存在があった可能性もある。

疑惑が報じられ、崔氏とその娘は行方をくらませている。ドイツで豪邸住まいをしているという説もあるが、真偽は分からない。

















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最終更新:2016年11月01日 16:50