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独中関係
■ 支那におけるドイツ人気と日本不人気の違いとは 「大和心を語るねずさんのひとりごと(2017.7.10)」より
(※mono....長文につき所々抜き転載。詳細はブログ記事で)
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今日のお話は、結構おもしろいです。
いまの中共は日本に対する対抗国家として成立した国です。
ですから常に反日国です。
従って中共では、「反日であることが正義であり愛国である」と推定されますから、反日行為は無罪です。
これを「愛国無罪」といいます。

ところが、支那人が反日であることは、何もいまにはじまったことではありません。
実はそれは、昭和初期の支那事変の前からすでに始まっています。
ですから支那には、もともと反日がありました。

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戦前戦中の日本人が、支那に対して献身的に一生懸命つくしてきたことは、みなさまご存知のとおりです。
それでも日本は支那人(全部から、とはいいませんが)から嫌われ、襲われました。
そしてその後に誕生した中華人民共和国は反日国となり、日本からの輸入は厳しく制限されたりしています。
たとえば支那を走るタクシーは、ことごとくドイツ製です。
日本車はありません。

支那人は、ドイツが大好きです。
ドイツ人もドイツ国も、そしてドイツ製品が大好きです。
そしてドイツは、支那市場に、戦前も戦後も、もっとも上手に入り込んでいる国です。
さらにドイツは、自らの手を汚すことなく、密かに支那に味方し、日本軍と戦うための軍事指導もドイツがしています。

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ちなみに米英は、支那市場に食い込もうと無償で支那国民党に武器や食料などの物資を送り続けましたが、残念ながら支那人からは何の感謝もされていません。
ところがドイツは、有償で支那国民党に武器を売り、派遣した指導教官にも支那に高額の給料を払わせています。

同じように支那に入り込みながら、
 支那とたいへんに良好な関係を築いた国=ドイツ
 支那に無償で武器や食料を提供しながら感謝もされない国=英米
 支那に嫌われ続けた国=日本
この違いはいったい何なのでしょうか。

ここに気がつくと、支那人が明確に見えてきます。

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順番にお話していきたいと思います。
すこし時計の針を戻します。

明治33年(1900年)です。
この年、支那で義和団事件(ぎわだんじけん)が起こりました。
大規模な外国人排斥運動です。

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そこでドイツがどうしたかというと、支那人との付き合いを、宗教ではなく、武力と商業から入ることにしたのです。
簡単に言うと、ドイツで100円で仕入れた物品を、支那に持っていって200円で売ります。
取引の安全のために、彼らに武器を突きつけます。
とにかく義和団事件の襲撃の際に、鍋や釜まで全部教会から盗んでいったような連中なわけです。
欲は深いし、儲かるとなれば、大喜びで揉み手をしてきます。
しかも見たこともないようなドイツ製のめずらしい産品となれば、それは支那でもそれは飛ぶように売れました。
だから支那人は、200円で買った商品を町で400円で売りました。
当然、売った支那人は大儲けします。
すると、儲けた支那人は、もっと儲けたいから、ドイツ人と友好的な関係を築こうとします。

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つまりドイツは100年前に、支那人を宗教的に教化するのではなく、彼らと商売するという戦略に切り替えたのです。
その結果、支那では「ドイツ人と付き合えば儲かる」という伝説が生まれ、いつしかそれは、支那人にとって、ドイツ人と付き合うことやドイツ製産品を持つことがステータスとなり、蒋介石の国民党も、毛沢東の八路軍も、そして現在の支那共産党政権とも、ドイツとはきわめて良好な関係を保っています。
彼らにとって、ドイツはステータスになったのです。

では、日本はどうでしょうか。

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初期の頃の日本人、つまり、義和団事件のあった明治の終わり頃から大正期にかけての日本人は、民間人は大陸で商売をする人たちであり、軍隊は大陸の治安を諸外国とともに守る人たちでした。
日本軍の規律は正しく、日本軍のいるところでは、犯罪も起きず、支那人たちは安心して暮らすことができたし、日本人の民間人は、ビジネスにやってきていて、それは日本の物産の販売であったり、逆に支那の物産品を輸入のために買ってくれる人たちでした。
ですから、日本人民間人にとって支那人はお客様でしたし、支那人にとっても日本人はお客様です。
対立関係ではなく、協調関係が築かれました。

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ところが昭和4年(1929年)の世界大恐慌のあと、日本にも世界的な不況の波が押し寄せました。

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また、日清戦争以降、東洋の一等国となった日本が、彼らとの間で商業と治安維持を中核としておつきあいをしたことも、賢明なことでした。
ドイツと同じで、利害が一致したからです。

ところが、世界恐慌以降の日本人は、その支那に、農業で入植しました。
しかも当時の日本国内では、政党の国会議員たちは、選挙に受かるために、何事も地元優先の思考しか持っていません。
海を隔てた外地での出来事など、何の票にもならないことですから、関係なかったのです。

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ドイツ人は、最初から銃を突きつけました。
言うことを聞かなければ、すぐに発砲します。支那人の命など、なんとも思っていない。
けれどドイツ人と付き合うと、支那人は儲かるのです
しかも取引の安全は、銃によって守られます。
そしてドイツ人は、商売にのみ関心があって、支那人の土地に手を付けることをしません。
そうなると支那人にとってのイメージは、「ドイツ人は怖いけれど、ドイツ人と付き合うと儲かる。ドイツ人との取引は、コチラが不法なことをしない限り安全」ということになります。
100年経った今でも、ドイツが人気があるわけです。




















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最終更新:2017年07月14日 14:35