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ブログサーチ〔神州不滅特別攻撃隊〕 |
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このTVドラマよりも、私がもっと感動したのは、インターネットで放送の三日前の8月13日、東京都世田谷区下馬にある世田谷山観音寺にある「神州不滅特別攻撃隊の碑」の前で、堀北と成宮が揃って撮った写真であった。私が、この「神州不滅特別攻撃隊の碑」に白菊と線香を携えて最初に参拝したのは、一九七〇年八月だったように思うので、そうであれば私は25歳だった。
女優の堀北は26歳、俳優の成宮は33歳なので、ほぼ同じ年齢での両名の碑参は、何かしら世代間継承できたかのようなほっとする安堵感が私を包んだ。堀北真希は、この碑参のあと、こう語っている。
「ドラマの撮影に入る前にもここに来てお参りさせてもらっていたんですけど、今回無事に撮影が終わったと、いい報告ができてよかったと思います」
「(三日後の放映について)私達にとっても、視聴して下さる方にとっても、心に響くものが大きいと思います。戦争を知らない私達の世代にとって、自分が学んだ事を後世に伝えていくということが大事だと思います」
(※mono....以下副題を転記。および少々記事引用)
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真正の英雄で崇高な英霊を抹殺した、公刊戦史『戦史叢書』の犯罪
防衛庁が国民の税金で大東亜戦争の公刊戦史をまとめあげる作業は、当然のことで、このこと自体は、何一つ非難されるべきものではない。問題は、国家的な歴史学的な研究であるべきこの事業において、私的な人間関係が優先されて多くの改竄や歪曲がなされたことだ。特に、生き残った陸軍・海軍の高官たちは、自分たちの非が暴かれないよう、防衛研究所戦史室にあれこれと注文をして、いや正しくは圧力をかけて、歴史事実の改竄・歪曲のほか、厖大な(「なかった」ことにする)歴史の空白化を行った。
陸軍の中でも満洲や関東軍に関係した元・陸軍高官はとりわけひどかった。この理由は、生き残った関東軍の高官の多くはソ連工作員でコミュニストだったためだ。
(※mono....続きは略)
一般通念「八月十九日は、終戦後」こそ、国際法に違背するトンデモ謬説
つまり、満洲の関東軍総司令官が、八月十六日の大陸令第1382号に従って停戦を70万人の全部隊に命じたが、それはソ連軍が戦闘を停止した場合に限るもので、ソ連軍が在満洲の一般邦人への殺害を残虐に行っている最中に、停戦する方が国際法に違背する。国際法は、在外の邦人保護の権利と義務を主権国家の軍隊に附与しており、邦人を守るための戦闘は合法である。それ以上に、軍隊には在外自国民を保護しなければならない義務がある。
TVドラマで、邦人保護を問い質す成宮寛貴に上官の大虎山分屯隊隊長(箕輪三郎・陸軍中尉)である杉本哲太が、「大陸令が出た以上、邦人保護の自衛はできない」と回答していたが、国際法上は全くの間違いである。邦人保護の軍事力の行使は、自衛の軍事力の行使とは並列的に別のものであり、「邦人保護」は「自衛」ではないからだ。関東軍の総参謀長の秦彦三郎やエリート参謀の瀬島龍三などは、この在外邦人保護の軍事力の行使を、あろうことか禁止し、ソ連軍による一般邦人殺戮を助長する前代未聞の暴挙を敢行したのである。
(※mono....続きは略)
特攻は、命令してはならず、あくまでも“自主”が本義
そもそも特攻とは、英訳がsuicide attackであるように自殺攻撃戦法。つまり、特攻とは、軍人が戦場において個人的に選択するもの。上官が命令する軍制度としては決して設けてはならないもの。この意味で、上官の命令のない「神州不滅特別攻撃隊11名」こそは、特攻のあるべき本来の姿であった。
(※mono....続きは略)
ソ連と通謀するばかりか、ソ連軍の完全な下部機関だった関東軍総参謀部
TVドラマで、杉本哲太が、8月9日払暁からソ連軍が160万という巨大兵員と戦車・自走砲6千輌をもって満ソ国境を怒涛のごとく攻めて来ているのに、関東軍総参謀部が対ソ防衛戦闘開始の命令を出さないことに怒ってるシーンがあった。これは歴史事実に正確。ソ連の本格的な満洲侵攻は、実は東部で宣戦布告二日前の8月7日に開始されていた。瀬島龍三らの参謀部はソ連に協力して、この事態すら関東軍の全部隊に知らせず秘匿してあげた。
(※mono....続きは略)
世田谷観音に参拝しないのは、安倍晋三の本性が“愛国心ゼロ”だからだ──共産党主宰の広島/長崎/沖縄ではなく、8月の慰霊は世田谷観音である
テレビ朝日のドラマ「妻と飛んだ特攻兵」を、首相の安倍晋三が視聴したかどうかには関心が無い。あのおバカ頭では、視ても何の感興も湧くこともないだろう。
安倍晋三は、靖国神社には何か偏頗な思い入れがある。吉田松蔭が祀られているからかも知れない。戦場の勇者に対する本心から慰霊の精神が安倍にあるかどうかについては、怪しい。もしそうなら、戦場の勇者を愚弄し侮辱するA級戦犯の合祀に嫌悪感情を持つはず。民族系の票が目当てである可能性も否定できない。
そこで、安倍が本心から戦場の勇者への感謝と鎮魂の慰霊をせんとする精神があるのであれば、安倍は(一票にもならない)世田谷観音に詣でて、「神州不滅特別攻撃隊」の碑に、8月19日、私と同じく白菊と線香を手向けるべきであろう。特攻の青年・少年ほど清で純な戦士はいない。
特に、谷藤徹夫少尉の辞世の句は、思わず落涙する。出撃前夜の作である。
国敗れて山河なし 生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ
(※mono....続きは略、詳細はサイト記事で)
【動画】

…十一機の特攻機は、一機ずつ滑走を開始した。そのとき特操二期生の堀江一郎少尉が一機を指さして叫んだ。
「あの飛行機に女が乗っているぞ!」
1945年8月19日、妻を、恋人を乗せて、満州の基地から大空へと飛び立った特攻兵たちがいた。戦争は終わったというのに、なぜ彼らは特攻機に乗ったのか。そしてなぜ女たちは、生きることを捨てて、愛する者とともに死ぬことを選んだのか。
(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で)
「満州に特攻隊があったのを知っていますか?」
(※mono....詳細はサイト記事で)
単なる自殺行為ではない
とにかく恐山の麓に行き、谷藤姓の人を探そうと、同年の冬に下北半島を訪れた。幸運にも、そこで谷藤徹夫の妹の娘、つまり徹夫の姪がむつ市に存命であるという情報にすぐに辿り着くことができた。親族に逢う前にまず谷藤家のお墓参りをしようと思い立った。雪が降りしきる中、田部川沿いにある古刹、円通寺で谷藤家の墓誌を目にした瞬間、身体が打ち震えた。
昭和二十年八月十九日没 谷藤徹夫 行年 二十四歳
昭和二十年八月十九日没 谷藤朝子 行年 二十六歳
谷藤徹夫・朝子という若い夫婦の命日は、紛れもなく昭和20年8月19日だったのだ。二人の壮絶な人生が急にリアリティーをもって立ち上がるように感じた。
墓参りをしたその足で、谷藤徹夫の姪の小原真知子さんを訪問した。彼女は母親から、徹夫やその妻、朝子の人柄などを伝え聞いていた。そして、私が訪れるちょうど数日前に、谷藤徹夫の弟、勝夫さんがかつて経営していた映画館や住んでいた家が取り壊しになり、徹夫の遺品がたくさん出てきたところだということを小原さんから聞いた。
「豊田さんがまるで見計らったようにいらしたので驚きました」
この不思議なタイミングに私は運命のようなものを感じ、この事実を追い求める覚悟を改めて決め、取材にのめり込んでいった。
徹夫は、なぜ特攻機に朝子を乗せたのか。そもそも二人は、どうして戦争が終わったはずの8月19日に特攻を行ったのか。
終戦直後の満州では、日ソ中立条約を一方的に破って攻め込んできたソ連軍により、日本人居留民の大虐殺が繰り広げられていた。特に女性はソ連兵から凌辱の限りを尽くされていた。しかし満州駐留の日本陸軍「関東軍」は降伏命令に従い、同胞を見捨ててソ連軍との戦闘を放棄した。
その時、関東軍総司令部の降伏命令に背き、ソ連軍と戦うと決断した男たちがいた。満州南部の大虎山飛行場に駐屯していた谷藤徹夫ら11人の飛行兵である。
彼らは旅館で密議を重ねてソ連戦車隊への特攻作戦を計画し、自らを「神州不滅特別攻撃隊」と命名した。たとえそれが、獰猛な虎への小蜂の一刺しであったとしても、ソ連軍が特攻攻撃を受けるのは初めてである。「日本兵を怒らせると次々に特攻してくる」と心理的に動揺し、ソ連軍の進撃が一時的に止まれば、日本人居留民の逃避の時間を少しでも稼げる。徹夫たちはそのために、自らの命を犠牲にすると決断したのだ。
前日に夫から特攻の決意を告げられた朝子は、「私も連れていってください」と哀願した。ソ連兵から辱めを受け、仮に命を落とさずに済んだとしても、一生消えることのない疵を負うくらいなら、最愛の夫とともに敵軍に突撃して果てたいという新妻の切なる願いを徹夫は受け入れた。
そして、11人の特攻兵とともに朝子は散った。大虎山飛行場での目撃証言によれば、朝子は白いワンピース姿で特攻機に乗り込んだという。
戦後のうのうと生き残った元軍幹部は、「あれは命令による特攻ではないから、単なる自殺行為だ」と蔑み、女性を同乗させたことを「軍紀違反」と非難した。彼、彼女らは戦犯同然の扱いを受け、戦没者に名を連ねることも許されなかった。そのため遺族は世間体を気にして、葬式さえ挙げていなかった。
だが、満州で同じ部隊だった戦友たちの尽力により、終戦から22年後の昭和42年、東京・世田谷観音に神州不滅特攻隊の慰霊碑が建立された。その後、厚生省(当時)が戦没者と認定し、谷藤徹夫ら11人の特攻兵は靖国神社に祀られた。
それから50年近い月日が流れ、彼らの供養を続けてきた遺族や戦友の大半が他界した。谷藤家においても徹夫と朝子を直接に知る親族はいなくなった。戦争に巻き込まれた若い夫婦の悲劇が世に伝わっていないことに、遺族や戦友はさぞ無念を感じていたことだろう。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)
【書籍】

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最終更新:2019年02月21日 12:23