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■ 百年目の五四と愛国主義 「2019年5月 4日(イヴァン・ウィルのブログ)」より
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 今日(2019年5月4日)は、中国で「五四運動」(1919年)が起きてから百年目の日に当たります。「五四運動」は、第一次世界大戦の終戦処理を議論するベルサイユ会議において、かつてドイツが支配し第一次世界大戦中に日本が支配下に入れていた山東半島について、中国は戦争が終われば当然中国に返還されるものと認識していたのに対し、列強各国は日本がドイツの権益を引き継いで戦後も支配を続けることを認めたことから、怒った中国の学生や民衆が1919年5月4日に始めた大衆運動です。この「五四運動」は、反帝国主義、反日、反軍閥政府、反買弁資本家(=列強各国と協力する中国の民族資本家)の性質を持っていました。この「五四運動」は2年前に起きたロシア革命(1917年)の影響を受けていて、この運動の中の反資本主義の部分が発展して二年後の1921年の中国共産党結党に繋がることから、現在の中国では「五四運動」は共産主義革命の始点となった民衆運動として重要視されています。「五四運動」は、1919年5月4日に北京大学の学生が天安門へ向けてデモを始めたことから始まるのですが、学生デモの出発点となった当時の北京大学紅楼(故宮北門の約400m東にあった)の前の道路は今でも「五四大街(ウースーターチェ)」と呼ばれています。

 こういった経緯があることから、5月4日は中国では「青年節」と呼ばれています。「五四運動」は中国共産党結党へ向けての重要な民衆運動であったし、共産主義革命運動は青年による旧体制に対する反発を重要なエネルギー源として発展してきましたから、歴代の中国共産党政権は「青年節」を重要視してきました。

(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で)
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 しかし、これは私の個人的な印象ですが、習近平主席の時代になってからこの「五四青年節」の扱いが軽くなったような気がしています(このブログの2015年5月10日付け記事「対華21か条要求受諾100周年より対独戦勝利70周年」、2016年5月7日付け記事「習近平体制は『五四運動』ではなく『中華帝国』を目指すのか」参照)。さらに今年(2019年)の年頭の辞で習近平主席は「去年(2018年)は改革開放40周年、今年(2019年)は中華人民共和国建国70周年」と言及したのに「今年は五四運動100周年」とは言及しませんでした。これついて、私は、習近平氏が袁世凱に代表される軍閥政治のような強権的政権を目指し、「青年による既存の体制への批判」を嫌っていることから、「五四青年節」は重要視する気持ちにはなれないからではないか、と考えています。

 しかし、五四運動を軽視することは、中国共産党の結党の歴史から言ってあり得ないので、やはり100年目の記念日が近づくと、習近平氏も「五四運動100周年」についていろいろ発言するようになりました。(※mono....続く中ほど略、詳細はサイト記事で)

 現在の先進各国の民主主義の実情を見てみると、中国の青年たちが「民主主義を目指すべきだ」と感じているかどうかいささか自信がないのですが、青年による社会改革のエネルギーを用いて革命を進めてきた中国共産党が今は青年に対して体制改革に向けて動いてはならないと訴えている現状については「時の流れ」を感じます。今、中国の青年たちは、どのような未来を夢見ているのでしょうか。「愛国とは中国共産党を愛することだ」と言われて「そうだ、その通りだ」と感じているのでしょうか。「世界はきみたちのものだ。またわたしたちのものだ。だが、結局、きみたちのものだ。」という毛沢東の言葉は実に味わい深い言葉だと私は今でも思っています。


★ 習主席「青年は党とともに歩め」 五・四運動100周年で - 民主化運動の再燃を警戒、当局は厳戒態勢 「日本経済新聞(2019/4/30 18:23)」より
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【北京=羽田野主】中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は30日、反帝国主義・反日運動が始まった「五・四運動」の100周年の大会を人民大会堂で開いた。習氏は「五・四運動の核心は愛国主義だ」と演説した。今年は民主化運動が最高潮に達した「天安門事件」から30周年の節目でもある。習指導部は民主化運動の再燃を警戒し、厳戒態勢を敷く構えだ。

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習氏は「愛国主義の本質は国と党への愛を堅持することだ」と強調した。「新時代を担う青年は党の言うことを聞き、党とともに歩まなくてはならない」と指摘した。人民大会堂には習氏の母校の清華大学や北京大学の学生、国有企業に勤める若者らが集められた。

1919年の五・四運動は中国共産党の原点ともいえる出来事だ。初代総書記になる陳独秀らが参加し、2年後の共産党の結成につながった。党内でも五・四運動の役割は高く評価されてきた。

歴代の中国指導者にとって五・四運動の記念日をどう迎えるかは悩ましい問題でもある。

30年前には胡耀邦元総書記の死去をきっかけに民主化を求めるデモ活動が拡大した。学生らは五・四運動の記念日に合わせて5月4日に天安門広場で大規模な集会を開いた。噴き上がる民主化要求を当局は6月4日、武力で制圧した。世界中を驚かせた天安門事件だ。

五・四運動の礼賛は若者たちの民主化要求に火が付く可能性をはらむ。逆に党内で五・四運動を軽んじたと受け止められれば、習氏の求心力は低下しかねない。習指導部は100周年記念日を迎えるに当たり周到に準備した。

習氏は4月19日に共産党幹部を集めて勉強会を開いた。「五・四運動は中国の近現代史上、重大事件だ」と指摘。「その精神の研究を強化すべきだ」と強調した。党内を引き締めた。

中国メディアは中国当局が5月1日から4日まで天安門広場の近くの駅を閉鎖すると一斉に報じた。不測の事態に備え厳戒態勢を敷く構えだ。当局の警戒ぶりをあらかじめ伝え、学生運動などを封じ込める狙いもあったとみられる。

習指導部は今回の演説の日程を5月4日ではなく、4月30日にした。5月1日の労働節(メーデー)を1~4日までの大型連休にする異例の措置もとった。「5月4日に政治的な関心が集まらないようにした」との見方がある。


対日関係でも配慮した。習氏は30日の演説で五・四運動が起きる一つのきっかけとなった日本への言及を抑えた。習指導部は米中通商摩擦のさなかで日本とは関係改善を急ぐ方針だ。6月には大阪で開くG20(20カ国・地域)首脳会議に習氏自らが出席する。中日関係の波風はできるだけ立てたくないのが本音とみられる。















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最終更新:2019年05月09日 16:06