(※mono....愛知だけではなく、各地のトリエンナーレ関連記事もココに。)
表現の自由 / 大村秀章 / 愛知県 / 津田大介

+ ニュースサーチ〔あいちトリエンナーレ2019〕









■ NHKが河村市長のプラカ「陛下への侮辱を」「天皇御真影を燃やすな」部分を隠して報道!不自由展 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2019.10.17)」より
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【事実】

10月8日、「あいちトリエンナーレ2019」の「不自由展・その後」再開に対して抗議する河村たかし名古屋市長が掲げるプラカード「日本国民の問う!陛下への侮辱を許すのか!」
同抗議活動参加者のプラカ「天皇御真影を燃やすな!」

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▼10月8日当日のNHK報道▼
10月8日夕方、NHK「ニュース シブ5時」は、「あいちトリエンナーレ2019」の「不自由展・その後」再開に対して抗議する河村たかし名古屋市長が掲げるプラカードの「陛下への侮辱を」部分や同じ抗議活動参加者の「天皇御真影を燃やすな」プラカードを隠蔽(完全カット)して報道!

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 不愉快な気分になる津田大介と東浩紀の動画 – 三者の出来レース 「世に倦む日日(2019-09-27 23:30)」より
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あいちトリエンナーレの問題は、今度さらに揉めて混乱が続く展開になるだろう。最初に結論と立場を言えば、今回の政府による補助金不交付には反対だ。河島伸子が言っているように、全額ではなく瑕疵のあった分だけを減額する措置が適当だったと考える。だが、問題の本質はこういう次元にあるのではない。左翼やマスコミが単純に構図化して批判するような、公権力による表現の自由への介入と圧力という位相へと、一方的に問題を収斂して口を尖らせるのは、今回の事件の本質を見誤らせる付和雷同の議論だろう。早い話、津田大介を芸術監督に起用しなければ、このような問題は生じなかったのである。朝日と左翼は、公権力による表現の自由の侵害という側面を殊更に強調し、また右翼の脅迫や政権の右翼性を前面に押し立て、それを批判する世論を興し、津田大介の責任を曖昧にして救出しようとしている。

私には、報道されている全てが醜悪な出来レースに見える。9月25日に県の検証委が中間報告を出し、翌26日にすぐに萩生田光一が補助金不交付を発表した経緯を見れば、大村秀章が8月から水面下で政府側と調整していたことが容易に窺える。中間報告の文面も、補助金不交付も、内々に互いに事前に意思疎通して了解していたことで、両者の間に齟齬はないのである。大村秀章が大袈裟に「訴訟する」と息巻いて見せているのは、まさに狸芝居の演技であり、裁判の決着まで互いに見通しての口上だろう。大村秀章との間でコトの展開を打ち合わせて決めたのは、萩生田光一や菅儀偉ではなく柴山昌彦である。大村秀章は政府批判の狸芝居をすることで、マスコミや左翼からの批判を逸らし、責任を頬被りして時間を稼ぐことができる。無論、津田大介とも秘密裡に接触しているはずで、中間報告での津田批判の文言や「厳重注意」も出来レースだろう。

安倍政権と大村秀章と津田大介、この三者が欲しい獲物を得るべく動いた結果が、25日の中間報告と26日の補助金不交付の政治であり、「表現の自由への権力の介入」は汚い内実を隠すための綺麗ごとの口実だ。大村秀章と津田大介が欲して求めたのは、自己の地位を守る保身と責任の曖昧化である。安倍政権が欲して求めたのは、左翼的な文化イベントには補助金が出ないぞという既成事実作りであり、地方公共団体と芸術家たちの自粛である。三者とも、まんまと獲物をせしめた、ように見える。山本一郎は、県検証委の中間報告について「責任を津田さん一人におっかぶせて幕引きを図る」図だと言っているが、その見方は当たっていない。検証委が津田大介の責任を本気で追及するのであれば、芸術監督の辞任を求めて当然だろう。その要求を避けているのは、津田大介の責任を詰めれば大村秀章も責任を取らされるからである。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)















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最終更新:2020年06月12日 20:44