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■ 「ネットが社会を分断」は不正解、10万人の調査結果が明かす真相 「全国新聞ネット(2019/11/20 07:00) 」より
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 読むに堪えない罵詈雑言がはびこるインターネットの世界。意見や表現をめぐり「炎上」という言葉が目立つようになって久しい。自由にものを言えるはずのネット上では、SNSなどを通した過激な意見同士の殴り合いが日常茶飯事で、人々の分断は深まるばかり。安倍政権の対韓輸出管理や、日本赤十字社がポスターで採用した女性のアニメキャラクターの是非をめぐるネット論争は、最近の顕著な例だろう。しかし、驚くべきことに、ネットの世界ではむしろ穏健な人が増えている。10万人の調査で分かったのは、意外な結果だった。どういうことなのか。『ネットは社会を分断しない』(角川新書)の著者の一人、慶応大経済学部の田中辰雄教授(計量経済学)に、解説してもらった。

■「ネトウヨ」「パヨク」過激な意見の応酬
(※mono....略)
■「ネットが社会分断」説が説明できぬ大きな事実
(※mono....略)
■SNSの利用開始、意見の変化はあるのか
 そもそも「ネットを利用すると意見が過激化し、分断が進む」という現象は、本当にあるのだろうか。これを確かめるため、回答者10万人に対し、6カ月後に再度同じ調査を行った。6カ月の間にSNSやブログ等のネットメディアの利用を開始した人がわずかながらいるので、その人たちの意見の変化を見れば、ネットのせいで分断が進むかどうかが調べられる。
 10万人のうち、再度調査ができたのは5万人で、そのうち、フェイスブックを始めたのは251人、ツイッターを始めた人が536人、ブログを読み始めた人が1659人いた。その人たちの分断度合いがネットを利用していない人に比べて上がったかどうかを見たのが、図2である。見てわかる通り、いずれもマイナスである。ネットメディアの利用開始とともに過激になるのではなく、逆に穏健になったことになる。


■荒れるネットの世界で、驚きの「4割」という数字
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 日本の分断 - 可視化されない分断、「パヨク」と「ネトウヨ」 「世に倦む日日(2019-11-13 23:30)」より
米国の分断は深く、欧州の分断も深い。社会が二つに分断され、対立する双方は相手の言葉も通じないほど不信と拒絶が極まった状態にある。ウォーレン支持者とトランプ支持者とでは、向き合ってもまともな議論にはならず、誹謗中傷を飛ばし合う、いわゆる negative campaign の応酬にならざるを得ない。米国人の得意な discussion や debate を展開し合う関係にならない。民主主義のお手本の国である英国でも、EU離脱に賛成派と反対派とではほとんど互いを理解する余地がないほど溝が深まっていて、説得とか妥協とかいう民主政治の契機が消えてしまっている。だが、どうやら日本も、そうした分断が激しくなっていて、欧米と似た政治的様相にあることを強く感じる。日本の場合はその現象形態が特殊で、欧米のように可視化されないのである。可視化されないけれど、社会が二つに分断され、コミュニケーション不能になっている/

■日本の分断
日本の分断がどういうものかというと、単純に言えば、親安倍と反安倍の対立、親右翼と非右翼の間の緊張と相克ということになるだろう。日本の分断というものを強く感じさせられ、その日本的な特殊性を考えさせられたのは、9日の「国民祭典」と10日の祝賀御列の儀をテレビを見てである。「国民祭典」はまさしく日本会議(極右)のイベントで、戦前日本の体制復活を賞揚し示威するものだった。国家神道がこの国のスタンダードな体制思想であることを、国民に確認させ、国民に教育する壮絶なイデオロギー祭典だった。あの映像を見て、気分が悪くなった嫌悪感を感じた者は多かったはずだ。普通の、戦後の社会科教育を学校で受け、日本国憲法の理念を常識として身につけている中高年ならば、仰天して腰を抜かすような不気味な政治的場面の進行に見え、正視に耐えられなかったり、恐怖感を覚えるという反応だっただろう。

だが、あの映像こそが日本の真善美の神髄であり、国家の正義だと信じる者は非常に多いのである。また、その価値観をNHK(有働と谷原)がオーソライズし、中立的で国民的なものだと納得づける正統性の根拠を与えているため、テレビの前の一般国民はその価値観の噴射の前でどうしようもなく、その現実を認めざるを得ない。反発ができないのなら、順応するか、沈黙するかしかない。「国民祭典」を拒絶する者は、それを肯定する者から見て、「パヨク」とレッテル貼りして唾棄する対象である。他方、「国民祭典」に狂喜している者は、それを否定する者から見て、「ネトウヨ」と軽蔑する無知で傲慢な表象である。「パヨク」と「ネトウヨ」。言語のコミュニケーション不能な二者間の対立が深まっていて、中間の地平がなくなり、個々が両陣営のどちらかに所属せざるを得なくなっている。そして、日本の場合は、欧米と違って、NHKなどマスコミが親安倍の陣営にあるため、「ネトウヨ」の側が多数派となり、「中立」の表象を奪い取ってしまう。

■可視化されない分断
■安倍支持が多数となる世論調査の意味
いろいろな原因はあるけれど、日本人が嘗てのような市民的主体性を持てなくなっている点に、注目を当てなくてはいけないと私は思う。自立的な市民としての基盤と自信を失っているため、巨大な力の前で沈黙してしまい、抗えず、諦めて流されざるを得ないのだ。著名な左派系の学者や文化人たちが、「国民祭典」の悪夢と狂気を前にして無言なのは、言葉を放っても、影響が広がって効果が波及する市民社会がないからである。言葉が通らないからであり、言葉を受け止める知的市民の確かな世界がないからだ。今、そこにあるのは、単に敵認定した相手に脊髄反射で「ネトウヨ」「レイシスト」の語を投げつけ、暴力の正義で威勢を張るだけの、貧相で粗野なしばき隊の左翼世界なのである。言葉は薄っぺらな「ヘイト」と「マイノリティ」しかなく、「安倍やめろ」のワンフレーズしかない。知識と能力がない。右の「ネトウヨ」を左に持ってきただけの相似形のパターン。凶暴な彼らは、少し複雑な分析と考察が入ると、それを「妄想」だの「陰謀論」だのと切り捨てる。


今の左翼は思考の持続力がなく想像力がない。貧すれば鈍するという諺があるが、日本人は貧して鈍してしまった。世界中がそうなのかもしれない。新自由主義によって中産階級が没落し、中産階級の生き方ができなくなってしまったため、余裕のある柔軟で健全な思考力を失った。そうなると、視野が狭くなり、不満の捌け口を求めたくなり、自前の思考と認識で踏ん張ることができなくなる。長いものに巻かれやすくなり、自分より弱い者を攻撃して精神の均衡を保持する習性に陥る。

■ 「学歴」という最大の分断 大卒と高卒で違う日本が見えている 「BUZZFEEDNews」より
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日本は学歴で分断される社会になっている。さまざまな「格差」の根にあるのも学歴……。分断から共生へ、舵をきれるのか?

(※mono....詳細はサイト記事で)

18歳で引かれる分断線

大卒と非大卒 それぞれ偏った「日本」が見えている

大卒は勘違いしがち、学歴=学校歴ではない

出席した結婚式、そこが大卒ばかりなら偏った人間関係になっている

学歴が再生産されていく

低学歴は自己責任、というウソ

「格差」を押しつけられる高卒 下流、絶望……

学歴で分断から共生へ どの「格差」が問題なのか?

「高卒者にだけ高いリスクを押しつける社会は、もう持たない」

「貧困と学歴が結びつくのは、学歴が足りないから、ではなく、貧困対策が足りないからです。そこを間違えてはいけない」
「格差も同じです。奨学金を出すのもいいのですが、生まれ育った家庭の文化的影響は0にはなりません。解決しないといけないのは、分断によって大卒だけが有利になる社会であって、全員が大卒になる社会ではないのです」

(※mono....以下略)















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最終更新:2019年11月20日 19:55
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