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(※mono....動画保存済)


■ 「新しい生活様式」というファシズムには屈しない 「Newsweek(2020年07月27日(月)17時40分)」より
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<コロナ感染予防の名の下に求められる日常生活のニューノーマルを無批判に受け入れ、それに従わない者を叩く風潮に物申す>

(※mono....前中後略、詳細はサイト記事で)
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最も恐怖を感じるのは「新しい日常」下で行われる野球観戦や興行等で、「大きな声を出さない」などの禁止ルールの新設である。私は野球に全然詳しくないが、野球場で観客がヤジを飛ばすのは試合の花である。飛沫が拡散するからダメだというが、コロナ禍における感染源が飛沫「だけ」に求められるかどうかの科学的根拠はあいまいである。どんなに興奮する試合でも、どんなにエキサイトする興行でも「一言も発せず、泣き笑いもせず黙ってみていろ」とでもいうのだろうか。私はすわ、カンボジアの独裁者、ポル・ポトの言葉を思い出す。

「泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ」
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私はポル・ポトの異常な政策と新しい生活様式を一緒くたにするつもりはない。つもりはないが、笑ってもいけない、泣いてもいけない、大声を出してはいけない──と人々の行動を既定しがんじがらめにする風潮に、ほとんど誰も「それは非人間的であり、人間の豊かさを毀損する行為だ」と声を上げないのが不思議だ。
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大衆が大衆を鞭打つ社会
手洗い、うがいの励行は良い。これはコロナ禍以前からあらゆる感染症対策の第一歩として実行されてきたからだ。手指のアルコール消毒も、肌荒れやアレルギーの危険性はあるが、ある程度科学的である。マスク着用は、すでにコロナに感染している感染者からさらに感染が拡大することを抑止するものとしては受け入れられるべきだ。

しかしお上やメディアの言う新しい生活様式といういわば私権制限には、私たちは異を唱えてよい。いや、民主社会ならこうした風潮に異を唱える人間が小なれど居るのが健全である。しかし猫も杓子もコロナを口実にこの巨大な同調圧力に追従しようとしている。実に情けない。

永田町を見れば、自民党麻生派のパーティーには人がごった返し、到底「密」を避けているようには思えない。政治家は良くて人民はだめ、という矛盾は通用しない。この国の人はいつからお上に対し徹底的に弱く、そして大衆が大衆に対して鞭打つ社会になったのだろうか。

私はなんといわれようとも、物書きとしてこの風潮に抗する。この連載を始めるにあたり、この意気込みは私の所信表明のようなものだからである。古臭い、アナログだ、ニューノーマルに対応できていない、と石を投げられても良い。世の風潮を疑う事、定説を批判すること、権威に従順ではないことが知性涵養の第一歩である。こういう人間が世の中に一人や二人いなければ民主社会は崩壊し、翼賛体制、すなわち「ニューノーマル」などという横文字に仮託されたある種のファシズムがあっという間にびまんするだろう。

右へ習え、お上が言っているから、みんながそうしているから──。そんな理由では私は他者に絶対に追従したくない。私の人生は私自身が自決する。「ニューノーマル」を受け入れない、或いは受け入れがたい、という人生もまた私が決定するのである。















最終更新:2020年11月28日 17:36