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【2010.10.25】裁判員裁判で死刑求刑【東海アマチュア無線地震予知研究会:コピペ】



■ 裁判員裁判で死刑求刑

 【東京都港区で昨年8月、耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=と祖母の無職、鈴木芳江さん=同(78)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた元会社員、林貢二被告(42)の裁判員裁判第5回公判が25日、東京地裁(若園敦雄裁判長)で開かれた。検察側は、「極めて強い殺意に基づく残虐で計画的な犯行」などと述べ、林被告に死刑を求刑した。昨年5月に始まった裁判員制度で初めての死刑求刑となる。】

 「きっこ」をはじめとして、死刑制度の根源的愚劣さをまったく理解できない程度の低い論者がネット上を徘徊しているのも困ったものだが、そうした日本人のお粗末な知的レベルを嘲笑するように、検察がとうとう裁判員裁判に死刑求刑を持ち込んできた。
 もちろん、このことは裁判員裁判が提案された段階で明らかになっていたことで、筆者らが「国家による暴力と殺人の責任を国民に直接すり替えるもの」と、卑劣な権力のホンネに対し繰り返し糾弾してきたものだが、競争主義教育のなかで他人を敵視し、互いに叩き合って人間性を貶めるよう洗脳訓練されている人たちが、どうしても、この欺瞞を理解できないようで、ネット界で死刑や裁判員制度の本質が何をもたらすのか? 追求し糾弾する者は極めて少ない。
 それどころか、反戦・反核・反原発を標榜しながら、他方で死刑制度を支持するという、自己矛盾、知恵遅れとしか言いようのない固陋な錯誤に陥ったまま、物事の本質を理解できないで権力の奴隷人生を自慢するという実に愚かしい人たちが極めて多い。
 「奴隷たちは自らの鎖を自慢する」というが、死刑制度という、日本国民を拘束する権力の奴隷鉄鎖を無批判に支持しているようでは、反核・反原発を言う資格もなく、問題の本質を理解する頭脳さえないことを自ら暴露しているようなものだ。

 もう一度、分かりやすく説明すると、死刑制度の本質は、国民大衆を権力に言いなりに従わせるために、「殺すぞ!」という恫喝を加えて、国民を怯えさせて黙らせるものである。
 「殺す!」という恫喝が、どれほどバカバカしく有効性のないものか、ちょっとまともなアタマなら誰でも分かることだ。だいたい日本では、かなり以前から、年間3万人以上の自殺者を出している。自殺として処理されない事故死なども含めば、おそらく倍以上、年間百万人ちょっとの出生数から見れば、その5%以上が自殺するわけだ。
 潜在的に死を望んでいる人を含めれば、おそらく10%を超えるだろう。生まれきた一割の人が「死にたい」と望み、その半数が目的を達成する。これほどありふれた死が、恫喝や報復として成立するかどうか、これを懲罰、刑罰として設定するそのお粗末な頭脳に呆れるしかない。多くの人が自ら求める死を懲罰として与えても、「めんどくさい自殺でなく殺してもらえるなんて、ありがたい」という感覚になるわけだ。

 「死を与える」という恫喝は脅しとしての効果などない。オレだってカネが尽きたら死ぬしかないわけで、とっくに覚悟してるよ。自殺でも事故死でも病死でも構わないが、死刑になったって何の抵抗もないさ。
 オレには家族もいない、名誉も金もない。オレの死は、裏山のアライグマが道路に飛び出して轢死体になるのと何一つ変わらない。オレが死刑に恐怖心を抱く人間なら、少しは抑止効果もあるかもしれんが、あいにくオレは若い頃から命がけの遊びばかりしてきた。沢登りやロッククライミングに夢中になり、単独、ノーザイルで危険な登攀を繰り返してきた。火炎瓶や催涙弾の飛び交うデモでも、右翼が抜き身の日本刀かざして突進してきても恐怖などなかった。
 今でも、天皇を「タダの人」と宣伝し、平気で過激右翼を名指しで攻撃してるし、「殺す」という脅しを数え切れないほど受けてきた。だが何の恐怖もなく、襲撃されたら差し違えるだけのことと覚悟してる。死など怖くない。先月は、正直、病気で死の危険を感じてた。自分には野垂れ死にがふさわしいと思っている。

 少なくとも、オレには死の恫喝は何の効果もない。逆に死なせてくれるなら感謝だ。たぶん平気で死刑相当の事件を起こせるが、しかし、しない理由は、死刑になる凶悪犯罪に魅力を感じないだけのことだ。国家転覆罪での死刑ならいいかなと思うが。
 こんなわけで、死を覚悟し、刑罰を恐れない人間にとって、こんな脅し刑罰など何一つ意味を持たないで、まさに愚行というしかないのだ。獄中の山口組六代目もタクシー客として何度も話したが、「出入りで相手のタマを取った!」と自慢してたな。ほとんどのヤクザは、殺人をステータスにし、処刑も勲章だと思ってる。だから抑止効果などあるはずがない。
 死刑が多少とも有効とすれば、それは権力に媚びを売って、暴力に怯える臆病者だけだろう。そんな根性のないクズは全体の一割もいないだろう。
 死刑制度を支持して「殺せ!」と喚きまくってるきっこのような連中も、結局、気が小さくて、暴力に対し恐怖に震えるだけで、自分でどうする能力も勇気もない臆病者の自分を正当化したいだけのことだろう。死を覚悟できる者には、死刑など何の意味もないことが体験的に理解できるはずだからだ。

 こんな無意味な死刑制度を要求する連中の正体が、少しは分かるだろうか? 死刑制度を支持する連中は、権力に奴隷として洗脳されているわけで、互いにいがみ合い、殴り合って、「出る杭を刑罰で打つ」という権力のやり方に対して「間違っている!」と正々堂々と主張できない臆病者ばかりなのだ。自分に填められた足枷を自慢している連中だ。
 人間を「殺す」という恐怖心で支配しようとすることの愚劣さを理解できないほど人間性が貶められたゴミどもだ。人を恐怖で支配することの愚かさは、童話「北風と太陽」のなかに語り尽くされている。相手に暴力で無理強いしても、心を頑なに閉ざすだけであり、暴力で強要すれば、恐れて従ったとしても決して本心からでなく、心の底に激しい怒りを蓄積するだけのことだ。それは、いつか立場が逆転したときに爆発するだろう。暴力による強制は報復の連鎖を呼ぶだけだ。

 死刑など社会を正しくし、子供たちの未来をよりよきものに変えることに百害あって一利もない。人を恐怖で支配するな! 人は必ず過ちを犯すものだ。失敗しない人などこの世に一人もいない。誰だって他人を傷つける。しかし、そうした過ちに対し、報復制裁で対処することの愚劣さを考えよ!
 すべての犯罪は病気なのだ。病気は治療するものであって、報復するものではない。正しい心に戻れば、愚行、過ちの何倍もの善行、成果を返してくれるはずだ。

 かといって、人殺し趣味のハンニバルを野放しにすることもできず、社会に危害を与えるうちは拘束することもやむをえない。この場合でも、殺すよりも、強制的に働かせて、社会に貢献させた方が、我々にとってはるかに利益が大きいのは当然だ。もしオレが死刑相当の犯罪をして、死刑判決が降りたなら、めんどくさいことなく早く殺してもらいたいだけで、願ってもないことだ。しかし死ぬまで強制労働なんてまっぴらゴメンだ。これは強烈な抑止効果がある。犯罪者にとって死刑の何十倍も嫌なことになるのだ。
 だからオレは、日本海の孤島に監獄島を作って、完全に人格が変わるまで、危害を与えなくなって社会に貢献できるようになるまで拘束して労働させよと主張しているのだ。

 さて裁判員制度は、権力による死刑の愚行を、国民大衆の責任にすりかえようという狙いだ。実に卑劣な権力の陰謀というしかない。死刑制度は根源的に間違った、まさに愚行中の愚行であり、人間の愚かさをこれほど端的に示すものはなく、これを国民に強制することは、国民奴隷化の洗脳をより強力に深化させる陰謀でしかない。
 長くなったので次回
最終更新:2010年10月26日 13:09