ちょっと今、調べています。まだまだ拾います。
症状のことは先天性白皮症(せんてんせいはくひしょう)・先天性色素欠乏症・白子症などと、個体のことは白化個体・白子(しらこ・しろこ) [1]などとも呼ぶ。またアルビノの個体を生じることを白化(はくか・はっか)とか白化現象という。
また、植物学の分野においては、光合成色素を合成できない突然変異個体のことを指す用語として用いられる[2] 。このような個体は独立栄養が営めないため、種子中の栄養を使い切ってしまった時点で枯死することになる。
枕にこぼしたヨダレのように、アフリカの中央部から人類は広がっていったんだ。
この時点で人種というものは存在しないが、勢力図が拡大する上で環境による個性が生まれた。赤道直下で肌色が濃いものや、北上する上で肌色が徐々に薄まったものなどの個性である。
その個性が出てきた中で、「アルビノ種」という変異体が生まれた。
目の色素が残っているので完全なアルビノ種ではないが(白変種、白子)、この個体の多くは、当時のホモサピエンス生息地は紫外線が強い環境下であったため、その動物社会という組織の中で、迫害を受けた。
つまり、これが差別の始まりである。
差別を受けた個体は、共同体を作るようになり、その中で種の固定化が行われた。愛玩動物や熱帯魚、農作物などで現在も行われることと同じことが人間で行われたわけである。数代も掛け合わせて種を固定化するという作業ですね。
差別が、そうなる特殊な環境下を作り上げたわけだ。
これが、白人の誕生であり、ここで初めて「人種」という区分けが生まれた。
反論として遺伝的に白人種が生まれたとは考えられるか?それも違う。
白人種と黒人種のハーフである次期大統領を見ればわかるとおり、白人形質は圧倒的な劣勢遺伝である。
そもそもコーカソイド=白人人種郡の起源はモンゴルやキルギスが発祥の地とされている。日本人などのモンゴロイドとルーツは同じことになるが、こんな状況で優性遺伝でもない白人種が確立されたとされる説が主流となってい(※ ママ 「し」の誤記?)まっているわけである。
イヌイットなどでもわかるとおり、寒い地方へ行ったから肌色素が薄くなったわけではない。
【回答】より
- ヨーロッパ民族というのは白人種であるが、白人種というのは人類最初の被差別民族だったというのが私の考えである(高野信夫著「黒人→白人→黄色人」がその基礎になっている)。
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- どちらかというと、「アルビノが忌み嫌われ…」云々というおとぎ話をどこで仕入れられたのかに興味がありますが、「白いから追い払われた」のではなく(それではそもそも日差しの強い赤道近くで生き延びるコト自体ができません)、生存域を拡大した結果北方にたどり着いた人々が、紫外線の少ない北方に適応するためにより退色の薄いものを選択した結果、白人種になった、と考えるのが妥当です。
(※ 生き延びることは出来ない、と言っているが、現在もアフリカで生まれ生活しているアルビノに関してはどう考えるのだろうか、成人している人々も大勢いるようだが・・・)
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- 最近では一元的発祥説が有力になっています。更に遺伝学の方面からも一元的発祥説を補強する研究も盛んです。B型肝炎ウィルスの起源からみた人類移動の歴史のような研究も進められ、非常に興味深い展開を示しています。
しかし、このような人類の発祥・起源説の展開と人種の優秀性とか、アルビノとかを結びつけて考えるのは、全く根拠のない虚妄説としか云えません。
そもそも後者のような観念が生まれたのは、たかだか千年、最長見積もっても二千年と遡ることはありません。
対して人類の発祥は600万年レベルの進化の歴史です。
両者を同一レベルで結びつけて考えること自体、虚妄といえないでしょうか。
後者のような観念が生まれたのは・・・以降が理解できません。アルビノという観念が生まれたのは・・・、という事でしょうか?観念が生まれたのがいつか、という事ではなく事実だけに興味があるのですが・・・。
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- とりあえず、「白人」と「アルビノ」は全然違うものだ、ということをまず認識されると良いかと思います。
白人とアルビノが全然違うとなぜ言えるのか、を教えて下さい。素朴な疑問として程度の違いはあれアルビノと白人が同じような身体的特性を持っているのではないか?と思えます。つまり突然変異的(アルビノ的)に生まれた白人種が追放され、環境に適応していくうちに逞しくなったのでは、と考えたのです。別に科学的根拠や思想背景がある訳ではないので間違っているなら間違っているで明確な否定が欲しいだけです。
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「退化」か「進化」か 「アルビノについてのマニアックな知識をひけらかすブログ(2011.9.19)」より
- おそらく高野はビュフォンの「退化の理論」を知らなかっただろうと僕が考えた理由は、皮膚の色の変化を「進化」と表現するか「退化」と表現するかの違いです。ビュフォンは、白い肌の人たちから始まった人類が気候に応じて白→黄色→黒と変化していったプロセスを「退化」ととらえています⇒。このプロセス自体は「白人起源論」と矛盾しないというか、「退化」ととらえておけば「白人」たちにとっても別に都合悪くありません。この「退化の理論」は、五大人種を提唱したことで有名な形質人類学の創始者・ブールメンバッハには影響を与えた模様ですが(ポリアコフ 1985: 230)、ラマルクやダーウィンがどうだったかは僕は知りません。
- 関係ありません。アルビノは現に黒人にも黄色人種にも多くいます。
目立つというのもありますが、未だに「アルビノの人の臓器を食べる不老になる」など迷信が残り、人身売買で高く売れるため被害者が絶え間せん。
白人で色素がとても薄い方はアルビノではなく(染色体異常)、「亜メラニン」というのが多く身体に存在するからです。人にはメラニンと亜メラニン二つのメラニンがあります。
- 白子は2~3万人に1人しか発生しないので、とてもではないが集団を形成することはない。ただ、上にあげた本では、なぜか白子が大量発生したとある。もう古い本なので見てはいないが、そのようなことは起こるとは考えにくいし、証拠もないと思う。
また、白子は色素がないので紫外線の影響を強く受け、最初に人類が住んでいたアフリカでの生存は難しい。また、白子は視覚障害を持つ場合がほとんどであり、生存し、さらに子供を作り育てるということが、原始時代に可能であったとは考えにくい。
今では、宇宙人、地底王国、超能力などと共に、トンデモ学説とみなされているかもしれないが、私も仕方がないと思う。
【上記エントリーに対するコメントから】
- 人類の起源はアフリカ単一起源だと考えます。白人種が初めから存在したような他地域起源説はヨーロッパ製世界史ではないでしょうか。
- しかし、アフリカ東部だけがアルビノ比率が異常に高い理由については、何も解っていません。一説には、アフリカにおけるこのようなアルビノ種の人々は差別。迫害を受けた歴史を持ち、隔離された人々がアフリカを出て拡散した人類の系譜であるとの話があります。しかし、アルビノのみの集団が生き残り拡散適応した、というには少し無理があるように想います。
- 現生人類は多地域進化と同時に幾度もの混血を得て現在に至るので、その意味においても純粋な白人というもの自体が作られた定義に過ぎない事も、付け加えておく必要があるでしょう。
- 同緯度にも関わらず、肌の色が違う民族がいる。ということに対して、水蒸気説が考えられます。 上記の追求で肌の色はUV-Bに大きく影響を受けることがわかっています。 UV-Bは短波でオゾン層だけでなく雲や霧等の水蒸気にも反射し拡散します。 そこで、やはり肌色の地域差というのは、気候=地形的特徴に関係があると考えています。
- ドイツと同じ緯度というと、モンゴル高原からバイカル湖周辺に当たる。
モンゴル高原は草原であるから、降水量は少なく、湿度は低い。ということは、水蒸気に吸収されず、高緯度でもそれなりに日射は強いということになる。モンゴル人は(乾燥地帯なので)あまりお風呂に入らないので、赤っぽい皮膚をしているのかと思っていたが、日射が強いからか。
- 岸田秀の歴史観を一言でいえば「目には目を」です。彼は同じ方法論で日本と中国、韓国の現状についても分析しています。何と中国と北朝鮮はかつての大日本帝国が“目指した”白人勢力からのアジア開放を受け継いでおり、本質的には同じだというのです。さすがにこれには抵抗を感じます。
勿論岸田秀の主張にも一理あることは認めざるを得ませんし、何を指摘しても「無意識ではそうなのだ」と言われるような気がします。しかし、日本がアジア開放を言い出したのは戦争が始まってからであって、当時の日本人も最初からそれを目標にしていたわけではありません。アジア開放はそれを正当化するための後付の理屈の筈です。
岸田秀は経済や思想だけでは歴史は語れないと言っています。もっともです。歴史は縄のように様々な事情が絡み合っているものだと想います。しかし、私には岸田秀は唯幻論だけで歴史を語ろうとしているように思えるのです。 By 鞘町流市
- 準トンデモ本黒いアテナをネタに、岸田がどうしようもない歴史妄想を垂れ流すだけの、ホンッと情けない本。なんでも、アフリカではみんな黒人だったんだけど、その中に白人が生まれたので差別されちゃって、それでその人たちはアフリカを逃げてヨーロッパにでかけたんだって。だからいまの白人はその時のうらみで、仕返しに黒人差別するんだってさ。
あほくさ。
- 別の言い方をすると、各論点のサマリーとコメントに留めておけばいいのに、彼にとっては関心や関係性があるのだろうが、普通の知識人には関係のない話が諸処にぐちゃぐちゃと脈絡なく書き込まれてこれが辟易とするにはする。特に、黒人の一部がアルビノ(白子)となって白人が発生した説については、事実上本書と関係ないので、そのあたりは笑ってスルーして読むといいだろう。
とはいえ、岸田の思い入れの側からこの本を読むと、特に、近代日本史の関連で読むと、実に奇妙な味わいのある本ではある。率直にいうと、ある種の狂気のようなどろっとした迫力があってかなり気持ち悪い。ただ、この部分に本書の真価があるという評価もあってもいいのかもしれない。私は率直に言うと、その部分については触れたくない。それとかなり率直に言うと、本書は高校生とかあるいは現代では大学生か、そのレベルのお子様に読ませるにはかなり危険な本だと思う。岸田はある経緯を経てああいう知的怪物になったのだが、その怪物性だけを若い知性に移植しがちな強さが本書にはある。
- 誤った歴史観なら誤ったものとして残せばいいと思うのですが、誤っていないからマッカーサーは本を回収して燃やしたのだ。しかしこのような事は文明国が行うべき事ではなく、アメリカでは進化論すら否定するキリスト教原理主義の国なのだ。だからこそ安倍総理の「戦後レジームの脱却」ということは歴史を書き換えであるとアメリカは警戒したのだ。
ヨーロッパ人やアメリカ人が、このようにアジア・アフリカで傍若無人な振る舞いを続けてきたのは、古代においては白人は被差別民族であり奴隷として使われた怨念があるからだと「黒いアテナ」では言う。スペインやポルトガルの船はイスラムやアフリカの船を見かけるや襲いかかり、アフリカやアジアの王国を次々と滅ぼしていった。なぜ白人国家がこのように凶暴なのかは遠い過去の怨念があったからだろう。
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最終更新:2012年06月20日 19:18