改憲論議や第2次大戦前後の歴史論争に顕著だが、昨今、分かりやすい正義やスッキリした結論が求められがちである。ビジネスの世界も同様で、つい先日まで正義とされていたアメリカ式市場主義が、今は逆に格差社会を助長すると悪者にされつつある。そういった単純な善悪が求められる時にこそ、この本を薦めたい。

 著者の岸田秀は30年前、『ものぐさ精神分析』という書を発表。同書はシリーズ化し、一世を風靡した。

 フロイトの精神分析理論は一般的に個人向けのものと思われているが、著者はそれを国や民族のような大きな人間集団に当てはめる。人間は本能の壊れた動物であり、その状態で現実を生きるには共同幻想をもって補完するしかない。それが文化といわれるものの正体であり、宗教もイデオロギーもすべて共同幻想にすぎない。著者はそういった考えを「唯幻論」とよび、それを歴史に当てはめる「史的唯幻論」を説いた。

 たとえば、『ものぐさ精神分析』では、こういう問いが立てられる。

「60年前、なぜ日本はアメリカを相手に無謀ともいえる戦争を行ったのか?」

 それは、「幕末にアメリカに無理やり開国されたから」。これが「史的唯幻論」から導きだされる答えだ。また、

「アメリカは、なぜ遠い国(当時はベトナムを指した)まで行って余計な戦争をするのか?」

 という問いの答えは、「彼らがインディアンの土地を奪って国を作ったから。国の成り立ちが他国民の略奪だった彼らは、その罪悪感を正当化するため、他の国におせっかいをし続けなくてはいられない」というもの。

 詳細は、『ものぐさ精神分析』を読んでいただきたい。その快刀乱麻を断つがごとき論理展開は、牽強付会スレスレながら、目からウロコが何十枚も落ちる快感を読者にあたえるであろう。
◆ギリシャ文明は、アジア・アフリカ文明の影響下に?

今回採りあげた本は、その岸田秀の最新刊である。内容は、英国人歴史学者マーティン・バナールの『黒いアテナ』の解説が主になっている。

 『黒いアテナ』とは何か。それは、「ヨーロッパ文明の元祖といわれるギリシャ文明が、実はオリジナルなものではなく、アジア・アフリカの文明の影響を色濃く受けたものだ」と主張した歴史書である。この本はヨーロッパ文明至上主義的な歴史学会に大きな衝撃を与えた。余談だが、最近亡くなった作家の小田実も死の直前まで注目していた。

 原著が出たのが1980年代。2巻目の後、最近、やっと1巻目が翻訳され、ざっと目を通しただけでも非常に興味深い内容だと分かる。

 しかし、困ったことにやたらと分厚い。1巻だけで約600ページ。どういう理由か別の出版社から出ている2巻目は上下に別れていて、両方ともに500ページで計1000ページ。合計1600ページになるというとんでもない大著だ。それにどうやら全4巻らしい。正直言って、多忙なビジネスマンには手が出ない。

 本著『嘘だらけの~』は、そんな大著とそれに対する反論や再反論を、全部まとめてコンパクトに解説してくれている。しかも、岸田節ともいえる「史的唯幻論」のオマケつきだ。その部分を簡単にまとめると、以下のようになる。

バナールは「ギリシャ文明はヨーロッパオリジナルではない」というが、そもそもギリシャ文明と今のヨーロッパ文明は無関係である。ギリシャ人だったアリストテレスの著作をヨーロッパの古典とするのは、孔子の『論語』を日本の古典と称するに等しい。他人のものを自分のものとするのは一種の横領である。

 このへんは岸田秀の面目躍如といったところか。非常に分かりやすく印象に残るたとえである。

 ヨーロッパの人間は、アジアやアフリカを植民地にして、悲惨の極地に追い込んだ非常に残酷な民族である。その残酷さは他に類を見ない。なぜここまで残酷なのか。それは、遥か遠い過去に、白人が黒人に差別されたからであろう。色が白いのを理由に差別され、豊かなアフリカ大陸を追い出された。その被差別の記憶が後のアジア・アフリカ人への差別につながり、ナチスはその最も極端な形なのだ。
◆アーリア人、皇国史観、東京裁判史観、唯幻論も疑わしい

前の戦争で、ナチスが金髪碧眼のアーリア人をもっとも優秀な民族とし、ユダヤ人を劣等民族と決めつけ、その絶滅を図ったことは周知の事実だ。その恐ろしい行動は全世界的に非難されているが、著者はその国家的犯罪の奥に目を向ける。

 そもそも、アーリア人という概念自体が嘘である。それは日本の天孫降臨と同様、作られた物語だ。インド=アーリア語族という言語学上の概念が定説となっているが、それも、18、19世紀の植民地支配を正当化するために「発見」された概念にすぎない。なのに、いまだに日本の高校の教科書は、アーリア人の存在を事実として無批判に記述している。

 情けない話だと著者は嘆く。そのような物語を作ってまでも、アジアやアフリカを差別せずにいられなかったのがヨーロッパ人であり、そんなヨーロッパ人が作った歴史の嘘に、われわれはもっと気づかなくてはいけないと、主張する。

 とはいえ、著者は単なる白人嫌いのナショナリストではない。むしろ逆だ。「これが正義だ」と声高に語る者ほど胡散臭いと、この30年間、ずっと言い続けている。戦時中の「皇国史観」も眉唾なら、戦後の「左翼史観」「東京裁判史観」も疑う。本著でも、ヨーロッパ主導の歴史を疑いつつ、自説である「唯幻論」すらも「正しいかどうかは分からんよ」と舌を出しているのだ。そして、それこそがこの著者の大きな魅力となっている。

 本著はバナールの『黒いアテナ』とは違い、正式な学術書ではない。というより、歴史学者が書いてないという意味では、門外漢が書いたエッセーに近い。しかし、根底に流れる懐疑主義や文化相対主義の「構え」には深い味わいがある。多忙からついつい単眼思考に陥りがちな時こそ、肝に銘じておきたい。







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最終更新:2012年06月20日 19:09