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■ 2013年2月7日(水)



音楽業界
■ 時事問題の旬について(追記あり) 「やまもといちろうBLOG(2013.2.6)」より
(※ 前略)
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(追記 17:11)
 なんか猛烈な反応を頂戴しておりまして…。極力自分なりに簡単に書いたつもりなんですけど、言いたいことはこれです。
「音楽業界が苦しいだけであって、音楽が駄目になったわけじゃない」
(※ 後略)

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■ 音楽業界はどうヤバくてどうヤバくないかの話 「たにみやんアーカイブ(2012.4.3)」より
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この話についてはじっくり書こうと思ってたんだけど、こんなのが出てきては見過ごせないのでもう一気に書いちゃうよ。


これの元ネタ。


とりあえず元ネタの方をちゃんと読まないと「音楽マジやべえなwwwざまぁwww」みたいな残念な結論になっちゃうので、ちょっとこの話に色々と補助線を入れてちゃんと理解して欲しい、というのが今日の趣旨。まあ実際の売り上げ数値が変わるわけではないのが残念なんだけど。まあ希望もあるんじゃないかなとかそういう話。
(※ 以下略、資料グラフ多数。)

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■ 音楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ 「はてな匿名ダイアリー(2012.6.23)」より
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http://anond.hatelabo.jp/20120622221514

この増田を読んで、音楽大好き人間のおれからすると、「あぁ、こういう人が音楽業界をダメにしたんだな」と思った。

アイドルの曲が消耗品だって? ちゃんと現実をみてるか? AKB48が2010年の8月に発売した「ヘビーローテーション」が、年を越した2011年に何枚売れたか知ってるか? 12万枚以上売り上げて年間ランキングの52位だぞ。当然、握手券なしでだ。
それに、そもそも、ビートルズはアイドルだぞ? 『4人はアイドル』というアルバムがあるのを知ってるか?

日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないんだよ。いつだって「娯楽」だったんだ。大衆娯楽なんだよ。
「芸術」になりえないほど、日本人にとって音楽というのは身近なものなんだよ。カラオケが一番良い例だ。
日本人にとって「音楽」とは、聴いて、歌って、騒いで、楽しむものなんだよ。これほど、音楽を楽しむ民族はいないんだよ。

それが西洋の価値観がもっとも優れていると勘違いした増田のような人間が「音楽」=「芸術」だと言い、
勘違いした「アーティスト」を生んで、どんどん大衆から音楽が離れていったのが今の日本の音楽業界の現状だろ。
AKB48とかアイドルがなぜ売れるか? それは今だにアイドルだけが大衆娯楽であろうとしているからだよ。

(※ 後略)


スポーツ
■ まともな奴はオリンピック目指そうとは思わない 「ネットゲリラ(2013.2.6)」より
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体育関係者なんて、みんな、根性腐ってるから。スポーツやると馬鹿になるというのは定説なんだが、根性も腐る。強い者には媚びへつらい、弱い者をいじめる体質。人間として最低なのが、スポーツマンです。しかも、長年スポーツだけをやってきて、程よく腐った人間性が養われたような連中が、「指導者」となって現役をいびり倒す。引退した元選手なんざ、競技をメシの種としか見てない。体罰騒動で失職した柔道コーチなんて、どうすんだろねw 馬鹿だから、他の仕事出来ないしw


Webの人:発信・発言・主張
■ 悪魔を哀れむ歌 IV 「独りファシズム(2013.2.7)」より
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イズムの洞察を迫られている。

それは紛れもなくNeoliberalism(新自由主義)とBureaucratism(官僚統制主義)とCorporatism(企業利益主義)が歪に混在したイデオロギーであるのだが、破滅性とはCollaborationism(売国主義)が体系の核心を形成していることだろう。

すでに国家機能そのものが不全状態であるのだけれど、カオスは多国籍企業の利潤行動によってもたらされているのであり、つまり行政が海外勢力の下部構造と化し、既得権益を担保としてあらゆる法制や税制を彼らの要求に準拠させるという、壮大な背徳が民族社会を崩壊させているわけだ。

繰り返すが、この国の行政とは軍事政権下のラテン・アメリカ、通貨危機当時のアジア諸国、崩壊後のソ連邦において実践された市場原理主義改革の劣化コピーに過ぎない。
+ 続き
それはフリードマン主義であり、レーガノミクスであり、サッチャリズムであり、小さな政府であり、早いはなし、国民が獲得した労働や福祉などの権利一切を解体し、抑制した社会支出をグローバルエリートとそのステークホルダー(利害関係者)である官吏グループへ付け替えるという略奪者のロジックであるわけだ。

労働者の没落、貧困の蔓延、家庭やコミュニティの崩壊、医療や教育の劣化、自殺や買春の増加などはイズム浸透のメルクマールなのであり、換言するならば不幸の増大に比例して改革が進捗するという構図なのであり、あらためて国民国家における失敗とは資本帝国における成功であると認識しなければならない。つまり、少数者の野心は多数者の苦悶によって成立するということだ。

税制改革が亢進されているのだが、それはフラット(一律)化と企業優遇というグローバリストの常套スキームなのであり、さらなる消費抑制が設備投資の不振をもたらし、シュリンク(経済縮小)へ発展することは明らかだ。

これによりデフレがさらに常態化されるのだけれど、デフレとは企業業績の不振による解雇や低賃金をもたらすと同時に、金融商品や不動産などの下落によって富裕層がそれらを底値で獲得する機会創出手段に他ならない。事実として彼らは資産を倍増させ続けている。

世界恐慌当時に少数グループが暴落した米国資産の大半を手中に収め、市場の再編により支配を絶対化したとおり、過去20年におよぶ人為的デフレによって外国人の持株比率は20倍近くに達しているのであり、構造改革が資本規制を撤廃するなどしてこれを加速させたことは語るまでもないだろう。つまり、この時代もっとも金になるビジネスモデルは売国だ。

鳩山・小沢ラインが「対日改革要望書」を破棄に持ち込んだとおり、あの政治グループが外国支配へ対抗する最終勢力であったのだが、その瓦解をもってこの国の内政は完全に破壊されたと考えるべきだろう。

つまり小沢一郎の疑獄事件というのは、政治集団に対する見せしめのパフォーマンスでもあり、小泉純一郎との対照をモデルケースとして、宗主に対し恭順であれば身分も資産も退任後の譲位すら担保されるのであり、反逆すればそのすべてを剥奪した上に粛清するという恫喝であったわけだ。私的見解だが植草事件などはヘゲモニープロジェクト(覇権戦略)の一環であり、その典型事例なのだと思う。
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イズムによる改革が推進された各国においては、「市場原理主義は障害物を排除する」という原則どおり、愛国者は弾圧され、百万人規模の社会主義者が殺戮されるなど、ジェノサイドすら実効されているのだから、むしろこの体系においては選択肢など無いに等しいのであり、政治者が末端の下部構造に与するのも必然と言えるだろう。

あらためて皆様方には、政治集団に政治行為が委ねられているという幻想を破棄して頂きたいと思う。


第二次安倍政権】 / 【北野一】 / 【浜田宏一
■ 『経済学の限界を知る経済学者』と『経済学の神になったつもりの経済学者』 「Various Topics(2013.2.7)」より
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JMMの1月29日の質問:

『安倍総理の金融政策ブレーンである、米エール大学名誉教授・浜田宏一氏による、外国特派員協会での記者会見の概要が以下にあります。
http://blogos.com/article/54334/

感想があれば、お聞かせください』http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/question_answer757.html

この質問に対する北野一氏(J.P.モルガン証券チーフストラテジスト)の回答の抜粋を貼り付けます。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/article757_3.html

真壁さんや中島さんが回答で触れておられた1月20日放映のNHK日曜討論をオンデマンドで見ました。この中で、浜田宏一氏は、「巷間、安倍晋三さんのアドバイザーと言われておりましたが、まず、その点はどうなんですか」という質問に対し、「今回は、私の書いていた本と、安倍先生の11月に発言されて、それが株価、円等に大きな影響を与えた。そういうお考えが、偶々、収束したということで、たいへん私は幸せに思っております」と答えておられました。

私は、このご発言を、一般の国民はどう聞くのかな、ということに興味があります。まず、政府の経済政策によって、「幸せ」を感じなければならないのは、何と言っても国民でしょう。確かに、株高、円安を受けマスメディアは大騒ぎです。

しかし、仮に、アベノミクスについて街頭インタビューがあったとしましょう。その際に、「私は幸せです」と答える日本人は、どの程度いらっしゃるのでしょうか。浜田氏は、前後の文脈から推して、ようやく自分達(リフレ派)の考えが政府に採用されたことで「幸せ」だとおっしゃったのだと思いますが、その言葉を使うタイミングとしては、ずいぶん早いように思いました。

参与とはいえ、政府の一員ですので、経済学の一つのグループの領袖といった立場ではなく、国民の目線で語って頂きたかったという感想を持ちました。できれば、「国民が「幸せ」だと言うのを聞いて、私は幸せだ」と言ってほしいなと思いました。

+ 続き
また、経済学というのは、明日は科学になろう、明日は科学になろうと研鑽を積んでいるあすなろ物語のような学問だと思います。その意味で、一つの政策の効果を、実際の経済活動や市場動向によって確認するなら、もし、その政策がなかった場合にどうなっていたのかも慎重に検討することが求められるでしょう。

マスメディアの報道を参考にするなら、多くの市場関係者も、アベノミクスへの期待→円安→業績改善→株高という経路を当然のごとく受け入れているようですが、私は必ずしもそうではないと思います。昨年末に、政権交代がなくとも、安倍首相が誕生していなくても、株価はやはり上昇していたのではないかと思います。

まず、過去の企業業績(全産業ベースの営業利益の前年度比)と、円相場には何の相関もありません。密接な関係が認められるのは、鉱工業生産です。そして、この鉱工業生産は、世界の景気循環に強い影響を受けます。

具体的には、アメリカの鉱工業生産との相関が強い。その生産の先行指標となるのが、在庫循環です。アメリカでは昨年末に在庫調整の終了が確認される状況でした。一方、その頃、日本のエコノミストの間では、景気はすでに後退しているとの見方が支配的でした。

ここで、市場参加者に、この二つの情報(アメリカの在庫調整の終了、景気後退懸念が支配的)を与えるとしましょう。彼らは、間違いなく株式相場に対して強気になるはずです。株が上昇するという「期待」を持つはずです。

実際、11月以降の株価上昇局面の業種ごとの騰落率を計算して、これと似た局面を探すと、2003年と2009年が似ているということが分かります。この両局面は、今回、同様、アメリカの在庫調整の終了局面です。一方、当時のドル円相場をみると、むしろ円高が続いていたところです。

よく「相場は相場に聞け」と言われますが、「今は、どんな相場なのか?」と相場に聞くと、「景気の底入れを期待している」という答えが返ってきたようなものです。むろん、アベノミクスへの期待が全くなかったとまで言うつもりはありませんが、それ以外の要因についても検討する態度が少なくとも「科学者」には必要でしょう。

(中略)
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いずれにせよ、単純な話は「分かりやすく」、溜飲も下がりやすいのですが、もう少し、問題の本質を掘り下げる努力を続けても良いのではないでしょうか。私は、そういう感想を持ちました。

昨年3月のブログの中で、私はK教授(=『先輩の経済学者』)とその若い友人(=『ある若い、有望な経済学者』)との会話を紹介したことがあります。

「ある若い、有望な経済学者が、先輩の経済学者から「最新の経済学の粋を駆使してこういうことを分析、結論を出してくれないか」と頼まれ、「それは無理ですよ、経済学は、あくまで前提をおいた上で、仮説を検証するということしかできませんから」と答えました。

更に「前提をおいて仮説を検証をする必要性も分かるが、第一線の学問的成果がすべてそういうやりかただけでなされ、それだけで評価がなされるということでは、なぜ、何年もかけて経済学を勉強するのか、という基本的疑問に答えられず、結局、経済学は世の中のためには役に立たないという俗説を正当化することになってしまうのでは」と言われた彼の返事は、

「確かにそういう面もあります。しかし、経済学を使って、常識では分からないことを解明できることもありますから」。

このなかの言葉-「経済学は、あくまで前提をおいた上で、仮説を検証することしかできませんから」というようなことを言える、もしくはそれを聞いて心に刻み込める人が、一番信用のできる経済学者に思えます。

まあ、少なくとも、経済学者でもない安倍首相が自分の理論を支持したからといって『先生』呼ばわりする経済学者の言葉には、私は重みを感じません。

(※ 太字はmonosepia)







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最終更新:2013年02月07日 05:48