■ 毛沢東は日本軍と共謀していた――中共スパイ相関図 「遠藤誉 | 東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士(2015.11.16)」
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中国は歴史問題で対日批判を強めているが、日中戦争時、建国の父・毛沢東は日本軍と共謀していた。中国共産党政権に歴史カードを掲げる資格はない。中共スパイ相関図により日中戦争時の中共側の真相を明らかにする。

まず、スパイ相関図「中共スパイと日本軍の共謀」(『毛沢東 日本軍と共謀した男』より抜粋。遠藤誉作成)をご覧いただきたい。


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左側には毛沢東の密令により動いた中共スパイの代表的な人名と命令系統が書いてあり、右側には中共スパイが接触した日本側組織や個人名が書いてある。接触した目的は、蒋介石率いる重慶「国民政府」の軍事情報を日本側に高値で売ったり、日本軍に和議を申し込むためだ。これに基づいて、エッセンスだけをご紹介する。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■☆ 【日中戦争の真実 】日本は、内戦に明け暮れる中国を救おうとした - ローマ法王も、日本の行動を支持していた - 「キリスト教読み物サイト」より
(※ 長文。詳細はサイト記事で)
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中国民衆を虫けらのように殺した中国軍

 中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
 中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。
 たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。このとき、大雨が降ったこともあって一一の都市と、四千の村が水没し、水死者一〇〇万人、その他の被害者六〇〇万人という大惨事となりました。
 しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
 「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」
 と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
 この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。









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最終更新:2017年07月25日 21:02