+ ブログサーチ〔那覇港湾施設〕 #blogsearch
+ ニュースサーチ〔那覇港湾施設〕

+ ブログサーチ〔那覇軍港〕 #blogsearch
+ ニュースサーチ〔那覇軍港〕




■ 翁長もルーピー 「パチンコ屋の倒産を応援するブログ(2015.4.27)」より
/
まずはこちらの記事から。

【那覇軍港の浦添移設 反対公約の市長が受け入れを表明】
(※mono.--報道引用記事略)
/
那覇軍港の浦添市移設受け入れについて浦添市長が受け入れを表明した件ですが、
浦添市長のブログを見ると経緯が見えてきます。



以下、ざっくりまとめます。
.......................
2012年の10月、浦添市長選立候補予定者公開審査会において
現浦添市長は那覇軍港の浦添移設容認を明言
(翁長はこの時点で浦添移設容認派)

ところが2013年1月の浦添市長選直前になって
当時の翁長那覇市長が那覇軍港の浦添移転を認めないと方針転換。

この翁長の方針転換を受けて現浦添市長は浦添移設反対に転じる。
(浦添市が軍港移設を受け入れる理由がなくなったため)

浦添市長選直後に翁長が再び方針転換し、
「粛々と浦添への那覇軍港移設を受け入れよ」
と言い出す。

こうした翁長のルーピーぶりに浦添市長が会談を求めるも全く会おうとせず、
浦添市長は公開質問状を出す。
それに対する翁長の回答は
「辺野古移設は現在の名護市長が反対しているが浦添市長はかつての市長が受け入れを容認していたから別物」
という意味不明のものだった。
(※現名護市長の前までは受け入れ容認派だったので浦添とむしろ全く同じ構図となり別物ではない)

辺野古と同じく埋め立てが行われる那覇軍港の浦添受け入れについて
共産党も社大党も社民党も県民ネットなども
つまり、翁長を支える島ぐるみ会議そのものが浦添移設については沈黙し黙認を続けている。

そして今に至るも翁長と、そして翁長の後継として那覇市長になっている城間も
浦添市長からの会談要請は完全に無視して逃げ続けている。
.........................

翁長とそして辺野古で基地反対運動をやって飯を食っている反日プロ乞食どもも
浦添の件については完全に沈黙して過ぎ去るのを待っている構図です。

当然、沖縄タイムスや琉球新報など売国を商売にしている反日メディアも
この件についてきちんと報じていません。

なにせ報じたら翁長やそれを支える島ぐるみ会議も
結局の所、辺野古を悪用しているだけに過ぎず、
環境だのなんだの理由をいろいろと付けていますが、
それらの理由全てが反日運動のための言い訳に過ぎないことがはっきりしてしまうからでしょう。
(※mono.--以下長文につき略、詳細はブログ記事で)


/
平成27年4月21日火曜日に放送された『沖縄の声』。翁長県知事は米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を「新基地建設」と強調し阻止する構えを見せている一方で、那覇軍港の浦添埠頭地区への移設、つまり同じ「新基地建設」にも関わらずまったく反対の姿勢を示してない。さらに、沖縄2紙は「反対公約」で当選した浦添の松本市長が那覇軍港浦添移設の受け入れを表明したことに対し「公約違反」などと記事で批判しているが、翁長県知事のこのダブルスタンダードに関してはまったく報道していない。本日も、ししょーと真子が沖縄2紙の偏向記事を斬る!


松本哲治
★ 那覇軍港の浦添移設 反対公約の市長が受け入れを表明 「産経ニュース(2015.4.20)」より
/
 沖縄県の嘉手納基地(嘉手納町など)以南の米軍施設の統合・返還計画で、同県浦添市の松本哲治市長が20日、記者会見を開き、陸軍那覇港湾施設(那覇軍港。那覇市、56ヘクタール)を浦添埠(ふ)頭(とう)地区に移設する計画を受け入れると表明した。松本氏は平成25年2月、移設反対の立場で市長に初当選し、政府や県、那覇市などで構成する移設協議会が停滞していたが、受け入れ表明で計画は大きく前進する。

 松本氏は「(軍港移設を)進めることで沖縄県全体としての米軍基地の整理・縮小につながっていく」との認識を示した。今月28日の移設協議会に副市長を出席させる。

 那覇軍港は、那覇市の中心部に位置し、跡地利用に地元の期待感が強い。返還計画が動き出したことは、3月のキャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区(宜野湾市)の返還に続き、政府が進める沖縄県の基地負担軽減に弾みがついた形だ。

 一方、沖縄県の翁長(おなが)雄志(たけし)知事は米軍普天間飛行場(同市)の名護市辺野古移設を「新基地建設」と強調し、阻止する構えをみせている。那覇軍港の浦添埠頭地区への移設は辺野古移設と同様に海面の埋め立てを伴う。翁長氏の軍港移設への対応が焦点になる。

 那覇軍港をめぐっては、平成8年のSACO(沖縄特別行動委員会)最終報告で浦添埠頭地区への移設を念頭に返還方針を明記。25年4月に日米合意した米軍施設の統合・返還計画では、軍港の移設と返還は40年度以降と決まった。


■ なぜ協議に応じないのか? 「松本哲治「百花繚乱日記」ブログ(2015.3.25)」より
(※mono.--前略)
/
那覇軍港の浦添移設問題について、翁長県知事と城間那覇市長には再三、協議を行いたいと面談を申し込んでいますが、正式な返答がなく、面談に向けた調整は一向に目処が立っていない状況です。

新聞報道では、県議会において翁長県知事は「移設協議会(国、沖縄県那覇市、浦添市による)で協議するべき」と答弁しているようですが、実はこの協議会、県知事も那覇市長も浦添市長もメンバーではなく、事務レベル会議です。

つまり、「協議会で協議しましょう」ということは「直接お会いする必要はありません」という面談拒否の遠回しな意思表示なのではないかと危惧しております。

報道によれば、翁長県知事も城間那覇市長も「SACO合意の枠組みを維持する」と答弁しているようですが、これは「那覇軍港の浦添移設は計画通り推進する」ことを意味しています。一般的な県民にも容易に理解できる「那覇軍港の浦添移設計画は推進する」という表現を使わずに「SACO合意の枠組みを維持する」という言い方では、わかる人にしかわからず、理解できる人にしか伝わりません。
(※mono.--中略)
/
それが現在では「SACO合意を尊重」(浦添への移設計画を推進)と変化しています。

  • なぜ選挙後にまた変化するのか?
  • 那覇軍港の返還を求めるときに、それを浦添市に持っていくと言う考えは、沖縄が浦添を切り捨てることになるとお考えなのか?
  • 普天間飛行場の名護への移設と、那覇軍港の浦添への移設の違いは何か?

これらの大切な論点について、翁長県知事と城間那覇市長と直接協議を行いたいと、移設先の浦添市長として考えることは、決して間違ってはいないのではないかと考えます。

こんな私に対して、「翁長県知事や城間那覇市長を責めるな、攻撃するな」という人がいます。しかし、私はそんな意図は決してありません。攻撃するつもりはありませんが、やはり直近の選挙で選出されたお二人に、これらの疑問点について確認しておくことは重要なのではないでしょうか。だからこそ、直接お会いする時にはあらゆる予断を持つことなく、責め心を持たずに、真摯にご意見を聞かせて頂きたいと、申し入れているわけであります。

今後も引き続き、翁長県知事と城間那覇市長への面談申し入れを行っていきたいと思います

ーーーーー
■ 那覇軍港浦添移設について 「松本哲治「百花繚乱日記」ブログ(2014.11.12)」より
/
那覇軍港浦添移設に関する私の認識について、
多くの方よりお問い合わせがありますので、
この場でこれまでの経緯と合わせて、
改めてご説明させていただきます。

①まず、一昨年2012年10月にてだこホールにて行われた
「浦添市長選立候補予定者公開審査会」において、
私はこれまでの経緯や県全体・那覇市の立場を考えて、
「浦添移設は容認」と明言しております。
これは当時の動画でも残っておりますし、
新聞等のマスコミでも「容認」と認識されております。


②ところが、昨年2013年1月市長選挙の直前になって、
突然、当時の翁長那覇市長が
「浦添への移設は求めない」と新聞発表します。

(当時の2013年1月12日付け琉球新報にてご確認下さい↓)
(※mono.--画像略、詳細はブログ記事で)
/
③その報道を受けて、私は浦添への軍港受入反対に転じます。
なぜなら、那覇軍港がある那覇市が浦添市への移設を求めないと、
これまでの合意とは正反対な決断をした以上、
浦添市側が受け入れる理由が自動的に消滅したからです。

「容認」の立場であった私が、
那覇市長の表明により「反対」へと変わっていく経緯については、
琉球新報、沖縄タイムスでも報じられています。

その経過も当時1月14日付け琉球新報にて報道されています。
(※mono.--画像略、詳細はブログ記事で)
/
つまり、鳩山総理の「少なくとも県外」発言により
沖縄側が「県内移設」という苦渋の選択から解かれたように、
翁長那覇市長の「浦添移設と分離」発言により、
浦添市も私も「浦添移設受け入れ」という苦渋の選択から解放されたのです。

その後、「那覇軍港反対」を唱えた私が市長として当選します。

④ところが、浦添市長選後、翁長那覇市長は、
「浦添市側に受け入れを求めない」としていた見解を再びひるがえし、
日米合意に基づき、粛々と浦添への那覇軍港移設を進めるよう求めて、
現在に至っています。

大変困難な立場に置かれているのが現在の私です。

これまでは「政治環境の変化」と議会では説明してきましたが、
平たく言えば「翁長前那覇市長の発言に翻弄されてきた」というのが実感です。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で。松本哲治氏は浦添市長です。)


★ blanklink プラグインエラー: URLかページ名を入力してください。 「livedoor news - 共同通信(2015.4.20)」より
/
 沖縄県浦添市の松本市長は20日、市役所で記者会見し、那覇市にある米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市への移設受け入れを表明した。那覇軍港は日米両政府が2013年4月に合意した返還計画に盛り込まれた施設・区域の一つで、浦添移設が条件。

 松本氏は13年2月、市長選の公約に「浦添移設反対」を掲げ初当選した。会見では、自ら政治姿勢の転換を認めており、有権者から「公約違反だ」と批判が強まりそうだ。

 松本氏は軍港受け入れを容認しなければ、港湾施設整備計画が遅れ、大きな損失につながると強調。「公約転換の理由を市民にしっかり説明したい」と述べ、辞職は否定した。




















.
最終更新:2015年04月27日 19:36