(※mono.--引用略、詳細はブログまたはYahoo!記事で。)
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「都議会のドン」内田茂が監査役に就任している会社が、東京五輪で新築される3つの恒久施設のうち、なんと2件を受注した!
しかも、「有明アリーナ」の競争入札では、価格で負けたにもかかわらず、技術点によって【逆転劇】を演じたというのだ!
これを偶然と考えることは困難であり、誰がどう考えても真っ黒だ。
今回の都知事選になぜか出馬している元労働大臣の山口敏夫は、このオリンピック利権の闇について承知しているらしく、内田茂について「都議会のボス内田茂が、オリンピックのドン、森喜朗元総理とタッグを組んでいる悪の枢軸」と辛辣に糾弾している。
上掲した山口敏夫のツイッターで言及している「弱い者イジメ」とは、当ブログ7月18日付記事で説明した、内田茂による樺山卓司都議イジメのことだ。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
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「都議会のドン」への“抗議の死” 自殺都議の妻が夕刊フジに激白 「zakzak(2016.07.16)」より
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猪瀬直樹元東京都知事がインターネット上で炸裂(さくれつ)させた「暴露」が、都知事選を激震させている。5年前に自民党都議が自ら命を絶った理由を、「都議会のドン」と呼ばれるA氏への“抗議の死”だったと明かしたのだ。このA氏、今回の都知事選で、「(親族を含めて)非推薦候補を応援すれば除名対象」という、まるで北朝鮮のような通達文書を出した1人だという。元都議の未亡人が夕刊フジに激白した。
「なりふり構わず締め付けて、思う通りに支配しようとするのが、いつものやり方です」
2011年7月1日に自殺した、自民党都議の樺山卓司(かばやま・たかし)氏(当時)の妻、京子さん(65)は14日夜、こう語った。
樺山氏の死の真相は、猪瀬氏が都知事選の告示前日(13日)、ニュース共有サービス「NEWS PICKS」(ニューズピックス)のインタビューで暴露した。さらに、自身のツイッターで「遺書」とされる殴り書きの画像を公開し、大反響を呼んでいる。
京子さんは「主人はいつも、『A氏に「靴の裏をなめろ」と言われたらなめそうな連中ばかりが役職に就いている』と話していました。党の総会でも、A氏に気を使ってか誰も発言しない、と。主人はそんな都連の風通しをよくしたい一心でした」と振り返る。
樺山氏は葛飾区議を経て、1993年に日本新党公認で都議選に出馬し初当選した。その後、自民党に合流するが、そこで待っていたのが実力者のA氏だった。
その大物ぶりは都議会だけでなく、都議夫人による懇談会でも、「A氏の奥さんが現れると、司会の方が『どうぞ、拍手でお迎えください』とアナウンスしていた」(京子さん)という。
樺山氏はたびたびA氏の強引なやり方に意見したという。当然、A氏周辺には目の敵にされた。
前出の猪瀬氏はインタビューで「都議の集まりで嫌がらせ的に罵倒された」「『反A氏』の声を上げると粛清されてしまう-そんな世界が都議会にはあるわけです」と語っている。
亡くなる前夜、樺山氏は「反A氏」を掲げる都議仲間数人と会食して帰宅した。翌日未明、書斎でポリ袋をかぶって倒れているところを、京子さんに発見された。
「思い詰めた様子もなく、突然だったので『主人はA氏に対して抱いていた怒りが爆発して死を選んだのだ』と直感しました。1年後、遺書が見つかり、そのこと(=憤死)がはっきりしました」(同)
遺書にはA氏を名指しし、《来世では必ず報服(原文ママ)します!御覚悟!!自民党の皆さん。旧い自民党を破壊して下さい》と記されていた。
京子さんは都知事選について、亡き夫の願いである「古い自民党の破壊」に期待している。
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猪瀬氏の告発内容について、A氏とA氏の事務所は「コメントしたくない。バカみたいな話」「事実無根だ」と夕刊フジにコメントしている。
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内田茂を表に引きずり出せ 「パチンコ屋の倒産を応援するブログ(2016.7.16)」より
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都知事選で都議会のドンこと内田茂が
都内に選挙区を置く国会議員の公認権まで握ってしまっていることが判明しました。
そりゃ誰も内田に逆らえないですよ。
伸晃なんて飾りにしかなりません。
内田茂は自分の言うことを聞く人間じゃないと納得できない性格で、
候補者を直前に自分の子飼いに差し替えて世田谷区長選で保阪展人を連勝させ、
2013年の千代田区長選挙では現職自民区長が気に入らないからと
追い出して自分の言うことを聞く人間を区長選候補に出して分裂選挙。
ですが結果として追い出した現職区長が当選し、
自民としては区長を無所属にしてしまった形です。
2009年の都議会議員選挙での大敗でも責任を取らなかった内田茂は
居座り続け誰も逆らえない状態となっています。
その後も前述のような失敗を繰り返しながら、
都知事選でもだらだらと候補者(自分の言うことを聞く奴)を探していた結果
舛添に公明党経由で押し切られ、
今回はやはり自分の命令に逆らわなそうなのをだらだらと探している間に
小池百合子に2回も先手を打たれて今の分裂状態の選挙となりました。
応援演説に来るわけでもなし。
利権と権力だけしっかりと握り続けて本人はただの一度も責任を取らない。
そういう内田茂に自殺に追い込まれたのが自民党都議の樺山たかし氏だったと
作家の猪瀬直樹がここにきて暴露しました。
しかも樺山氏の遺書という証拠品まで付けています。
それでも主要紙やテレビでは決して内田茂の名前を出しません。
いまや都関連のマスゴミへの情報も内田が握っていて
マスゴミの記者達は内田の機嫌を損ねないようにしながら情報をもらっている
情けない実状があるからでしょう。
だいたい、安倍をファシズムだのなんだの批判するのなら、
内田茂が出した小池を党員の親族が応援しても除名するという脅し文書を出した
内田茂の蛮行こそファシズムだとなぜ批判しないのでしょうか?
ブログ主はマスゴミの記者と違って内田茂なんぞに媚びる理由が全く無いですから
遠慮なく何度も書いてきましたが、
やはり自民党都連の腐敗を浄化するためには内田茂を表舞台に引きずり出して
徹底的に批判を受けてもらうしかないでしょう。
こういう権力に固執するような奴ほど打たれ弱いですからね。
で、内田茂が樺山たかしを自殺に追い込んだ件はマスゴミは報じないのかなと思ったら
夕刊フジが一応記事にしました。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
内田氏を怒らせた事件
──先日、都知事選に関連する猪瀬さんのNewsPicks上でのコメントが大きな話題になり、3000を超える「Like」が付きました。特に、都議会のドンとも言われる内田茂・自民党東京都連幹事長についてのコメントが痛烈でした。今回は、その内容をより詳しく聞いていきたいと思います。
最初に、私と都庁の関係を時系列に整理すると、2007年に副知事になったのが始まりです。
石原(慎太郎)さんに頭を下げられて「ぜひ副知事をやってくれ」と頼まれました。
あまり乗り気ではなかったですが、当時、地方分権改革推進委員会の委員になったばかりだったので、東京に足場があるのはいいと思いました。しかも、石原さんが「作家を続けながらでいい」と言ってくれました。道路公団民営化の仕事もちょうど片付いたところだったので、引き受けることにしたのです。
ただし、副知事の就任には、都議会の承認が必要です。しかし、道路公団民営化で既得権益に斬り込んだ実績が警戒され、都議会は猛反対でした。
最終的には、2007年6月に議会に承認されたのですが、条件をつけられました。
それは、「ラインの仕事は渡さない、あなたがやることは国との戦いとその他、知事の特命事項」という条件です。私以外の3人の副知事がラインを押さえている状態で、知事の特命事項のみを扱う4人目の副知事として承認されたのです。
これはいわば、松下電器の副社長になったのに、自分が管轄する事業本部がなくて、副社長室があるだけというようなもの。あるのは肩書と秘書だけという状態です。
ならばと開き直って、独自のプロジェクトチームをつくることにしました。ラインから優秀な人を集めて、いろんな改革を進めていったのです。権限がない分野でも、知事の特命事項だからOKですよね、ということでプロジェクトを進めていきました。
そして、副知事になった直後の2007年秋に行ったのが、参議院の議員宿舎建設の中止です。森をつぶして、宿舎を建設するというので、それはおかしいと主張しました。
石原さんを説得して、建設予定地の現場に来てもらって、テレビのカメラも連れて行って、メディアでもこの問題を訴えました。それがうまくいって、宿舎の建設計画は消えました。
これに怒ったのが、内田茂・都議会議員です。
宿舎建設を予定していた千代田区は、内田氏の本拠地なので、計画中止でメンツが丸つぶれになった。内田氏からすると「猪瀬、この野郎」ということになったのです。
当時の私は、内田氏がそんなに権力を持っていることも、東京都の権力の構造も知りませんでした。
実は、石原さんでさえ、内田氏には頭を下げていました。妥協しないと政治は成立しませんから。私も、頭を下げないつもりではなくて、話し合いをしているつもりだったのですが、まず問題解決をするということに必死だったのです。
国会議員より偉い
──そもそも、なぜ内田氏の東京都連幹事長というポストはそれほど権力があるのですか。
まず、自民党の都知事の公認候補は、自民党本部ではなく、東京都連が決めます。東京都連の会長は石原伸晃氏ですが、しょせんは帽子です。実際の公認権を持っているのは幹事長の内田氏です。
(※mono.--続きはアカウント登録者)
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