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一般的な階級・格差論ではないことに注意
投稿者 zigen000 投稿日 2014/5/5
 本書はいわゆる「格差社会論」「アメリカの貧困と富裕層の経済断絶」論とは全く異なる。
日本語のタイトルがこうしたものになっているので誤解もありそうだが、堤未果の『貧困大国アメリカ』や
近年起こったOCCUPY運動のようなことが書かれていると思ってはいけない。

 原著のタイトルはComing Apartであり、直訳すると「アメリカの分離」である。
それでは、何がどのように分離しているのか、それは「新上流階級」と「新下流階級」の文化とライフスタイルの分離であり
アメリカの古き良き建国の理念を、かつての中産階層や「新下流階級」はバージョンアップすることができないまま、文化的な退廃期に向かいつつあるという倫理・道徳論である。
 その過程の中で、ケインズ流の福祉国家論が否定され、文化とライフスタイルの変化、ソーシャル・キャピタルの衰退に
問題の原因が求められていく。これが論旨である。

 そう、本書は現代アメリカにおける右派あるいは保守シンクタンク所属の論者による、アメリカ版の『美しい国へ』である。
いや、もちろん安倍首相の本と比較するのは、その議論の水準からするとマレーに悪いかもしれないが、議論のベクトルは
もともと保守の人が書いた、文化/ライフスタイル論であるという点には留意したほうがいい。
 あるいは最近だと、いわゆる「ヤンキー文化」とは何か、といった議論が日本でも行われてきたが、こうした俗流文化論に
若干近いのかもしれない。

 したがって、「新上流階級」の出現が説明される場合、マレーはそうした人々の文化に注目し、ドラッカー流の「知識型社会」の到来や、
認知力と収入の関係について焦点をしぼり、一般的な経済格差の議論では必ず触れられるはずの、レーガン政権以後の所得税・法人税の
引き下げや、莫大なCEOの収入、金融資本主義についてはほとんど触れない。
 もとより本書の関心は「新上流階級」と「新下流階級」の文化的・生活的な「分離」に向かっているのであって、
経済政策や貧困を問題にしているのではないのであるから、これは当然と言えば当然だが、あまりにも右派的ではある。

 以上の点に留意して読むのであれば、「右派」と呼ばれる人々が一枚岩ではないアメリカにおいて、マレーの占める位置はやや独異のものがある点は面白い。マレーはリベラルからは問題を文化に還元する経済右派であり、「新上流階級」の代弁者だと批判される。そしてその批判は経済政策と貧困問題に限って言えば当たっている。
 しかし彼はティーパーティに参加するような、本気の経済右派からすると「左派」だと批判される場合もある。それは彼が、文化的な「分離」の進行を食い止めるために、福祉国家は否定するにしても、全面的にJr.ブッシュ流の新自由主義を肯定するわけではないからである。

 本書は以上のような意味で、現代アメリカにおける「右派左派の争い」に埋め込まれた議論であり、その中でも「保守・右派」の代表的な人物が書いたイデオロギー的なエッセイである。要するに、現代アメリカを知るうえでは欠かせない一冊であるといえるが、一般的な「格差・貧困」の本ではない。
 もちろん、これは翻訳タイトルの問題ではあり、マレーの問題とは言えないだろうけど。



■ 国内知識社会の「格差」が生む 言ってはいけない「日本の内戦」 「Hideoutのブログ(2016.8.15)」より
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 誰かがいずれ書くんじゃないかと思ってたんだな、僕は。


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2016.08.13 07:00

 今、日本では多くの場面で「対立」の構造が顕在化している。世代間対立、正規・非正規の対立、経済的な格差……。『言ってはいけない』(新潮新書)が大ヒット中の作家・橘玲氏が、そうした「内戦」の背景にあるものをあぶり出す。

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 世界じゅうで経済格差が大きな社会問題になっている。日本も例外ではなく、かつては一億総中流だったのが、いまでは若者や子どもの貧困、老後破産の記事を見ない日はないほどだ。

 なぜ日本の中流社会は崩壊してしまったのだろうか。

 あまり指摘されないが、もっとも大きいのは高齢化の進展だ。若いときはみんな同じように貧しいが、年をとるにつれて人生の浮き沈みがあり、定年を迎える頃には資産に大きな「格差」が生じているだろう。これは一種の自然現象で、社会全体が高齢化するほど中流は少なくなっていく。

 もうひとつの大きな理由は、欧米や日本のような先進国の経済が製造業から知識産業へと移行したことだ。

 戦後の高度成長期は、工場で真面目に働けば、住宅ローンでマイホームを買い、家族を養うことができた。だがグローバル経済では、そうした産業は人件費の安い中国などの新興国に移ってしまい、先進国の労働者は新しい仕事を探さなくてはならない。

 このことに最初に気づいたのはアメリカのクリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュで、いまから20年以上前に、21世紀のアメリカ人はスペシャリスト(知識労働)とマックジョブ(単純労働)に二極化すると予言した。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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◆「これ以上の教育投資は効果なし」

 多くの若者が知識社会から脱落していくのは、教育のやり方が間違っているからだと、誰もが最初は考えた。貧困層の幼児教育に効果がないとわかると、乳児までさかのぼって教育すべきだという話になった。ITの仕事に就くために、失業者にプログラミングの基礎を教える試みもあった。だがなにをやっても状況は改善せず、経済格差は拡大するばかりだ。

 こうして、「これ以上の教育投資は効果がなく、税金の無駄遣いだ」と主張する論者が現われた。彼らは最初、「差別主義者」として徹底的に批判されたが、その声は徐々に大きくなっていった。なぜなら彼らの主張には科学的な証拠(エビデンス)があったからだ。

 知能や学力が遺伝なのか、環境(子育て)なのかという論争は、科学的には行動遺伝学によって決着がつけられた。一卵性双生児や二卵性双生児を多数調べることで、知能や性格、精神疾患や犯罪傾向にどの程度、遺伝の影響があるのかが正確に計測できるようになったからだ。

 詳しくは拙著『言ってはいけない』をお読みいただきたいが、そのなかでも知能の遺伝率はきわだって高く、論理的推論能力は68%、一般知能(IQ)は77%とされている。知能の7割から8割は、遺伝によって説明できるのだ。

 この科学的知見をもとにして、政治的にきわめて不穏な主張が現われた。彼らは次のようにいう。

 知識社会における経済格差は知能の格差だ。知識社会とは、定義上、知能の高いひとが経済的に成功できる社会のことだ。だからこそ、「教育によってすべての国民の知能を高める」という理想論が唱えられるのだが、いまやその前提は崩壊しかけている。

 先進国で社会が二極化するのは、知識社会が、知能の高いひととそうでないひとを分断するからだ。知能のちがいは、環境ではなく遺伝によってほぼ説明できる。だからこそ、どれほど教育にちからを注いでも経済格差は拡大するのだ。

 これはリベラルの立場からはとうてい受け入れることのできない主張だが、だからといってそれが科学によって裏づけられている以上、「差別」のひと言で否定することもできない。

 アメリカでは知能の格差は人種問題として現われ、それが白人と黒人の「人種戦争」としてエスカレートしていく。日本では経済格差がこのように可視化されることはないが、背景にあるものは同じだ。

◆知能の格差

 超高齢化社会の到来によって、世代間格差がしばしば問題にされる。現行の社会保障制度は高齢者に有利な仕組みになっており、世代間の不平等に対する批判は当然だが、だからといって若い世代が一方的に不利益をこうむっているとはいえない。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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要は濃密な遺伝子を持たない民族を幾ら教育しても、社会は進歩しないって事じゃないのかな?

 幾ら特殊な遺伝子を持つ大和民族でも限界が有るってことだな。ある年齢までにソコソコの結果の出ない個人を幾ら教育しても、優秀にはならないって事だ。

 現在の異常な大学進学率は、矢張り異常なんだ。諦めろよ偏差値の低過ぎる君たち。

(※mono.--文中下線・太字はmonosepia)

■ 自由で公正な社会は、知能格差によって分断される 「乱読雑記(2013.6.15)」より
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★■ アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって分断されている 「橘玲の日々刻々(2013.6.13)」より
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 すこし前の話だが、ワシントンのダレス国際空港からメキシコのカンクンに向かった。12月の半ばで、機内はすこし早いクリスマス休暇をビーチリゾートで過ごす家族連れで満席だった。

 乗客は約8割が白人で残りの2割はアジア(中国)系、あとは実家に帰ると思しきヒスパニックの家族が数組という感じだった。クリスマスまでまだ1週間以上あるから、彼らは長い休暇をとる経済的な余裕のあるワシントン近郊のひとたちだ。

 その富裕層の割合は、アメリカの人種構成とは大きく異なっている。国勢調査によれば、全米の人口のおよそ7割は白人(ヨーロッパ系)で、10%超がアフリカ系(黒人)、6%がヒスパニックでアジア系は5%程度だ。しかし私が乗り合わせた乗客のなかに黒人の姿はなく、メキシコに向かう便にもかかわらずヒスパニックの比率もきわめて低かった。

 もちろん私は、たったいちどの体験でアメリカについてなにごとかを語ろうとは思わない。このときの違和感を思い出したのは、チャールズ・マレーの『階級「断絶」社会アメリカ』(草思社)を読んだからだ。

アメリカの経済格差は○○の差


 著者自らが認めているように本書は、アメリカ社会を分析したいくつかの先行研究を組み合わせたコロンブスのタマゴだ。しかしこのタマゴは、見た目がグロテスクで味はほろ苦く、アメリカの知識層に大きな衝撃をもたらした。

 アメリカがごく一部の富裕層と大多数の貧困層に分裂しているという話は、耳にタコができるほど聞かされている。では、この本のどこがショッキングだったのだろうか。

 マレーは、アメリカの知識人なら誰もが漠然と思っていて、あえて口にしなかった事実を赤裸々に書いた。彼の主張はきわめて単純で、わずか1行に要約できる。

アメリカの経済格差は知能の格差だ。

 マレーはこのスキャンダラスな仮説を実証するために、周到な手続きをとっている。

(※mono.--以下略。なお上記引用記事は元文章より多く引用してある。)
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自由で公正な社会であるならば、そして人々が経済的豊かさを求めているならば、能力のある人(つまり「知能」の高い人)が成功し豊かになり、能力のない人(「知能」の低い人)が貧しくなる。

自由で公正な競争をすれば「経済格差は知能の格差」である状況になって何の不思議もない、と言うか、そうであるなら、自由で公正な社会であると誇って良いくらいではないか。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)

最終更新:2016年08月15日 21:41