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【引用】前後略、詳細はサイト記事で
今回はこの方針をさらに強化する狙いで、終末期ガイドラインが改定されることになります。ポイントは、高齢者自身が自分の思いを「文書で残す」こと。死が近づくにつれて考えが変わることもありますし、認知症を患い、自分の意志を上手に周囲へ伝えられなくなる可能性もあります。

そのため、まだ元気でいられる間に、終末期の意思決定の内容について文章の形で残しておくことが求められるようになります。ガイドラインは2018年3月に改定される見通しで、それまでに詳細が決められます。

2007年にも終末期医療ガイドラインは作成されましたが、その際は自宅での最期をという手順がきちんと明記されていませんでした。今回の改定ではその点を重視し、見直しを行います。また、先日開催された専門家会議では“独居高齢者”の増加が議題に。看取る人や話し合う相手がいない人を想定し、家族以外でも信頼できる人を治療方針の決定に迎え入れるという意見も出たようです。







■ 女優・藤真利子さん、11年間介護した母を失い自責の念…「死なせてしまった」 「Yahoo!news[YomiDr.](2/20(火) 12:15配信)」より
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 女優の藤真利子さん(62)は、2016年11月に母親の藤原静枝さんを92歳で亡くしました。藤さんは10年以上にわたり、静枝さんを在宅で介護しました。献身的に取り組んできただけに、今も失ったショックは薄れず、「死なせてしまった」と後悔し続けているといいます。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)



■ [日野原眞紀さん]義父・日野原重明を支えて 「yomiDr.(2017年12月17日)」より
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 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが今年7月、105歳で亡くなりました。100歳を過ぎても自ら先頭に立ち、高齢者が活躍できる社会の実現を目指した日野原さん。その裏方として支えてきたのが、次男・直明さんの妻、眞紀さん(70)でした。約半年間、自宅で介護を続けた日々について、「今が本当につまらなく感じるほど思い出深い」と振り返ります。

 夫の両親の家には、20年以上前に義母が体調を崩してから通うことが多くなり、7年ほど前から完全に同居しました。義父が講演会などで国内外に行く時も同行しました。お菓子が大好きだったので、新幹線ではチョコレート菓子や柿の種を2人でポリポリと食べましたね。晩年は、家族の中で一番長く一緒に過ごしていたと思います。

(※mono....中略)
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 しかし、3月に 誤嚥ごえん 性肺炎にかかった時はショックでした。それまでなら、病院で「1泊しましょうか」と言われても、必ず「嫌だ」「帰る」と断っていたのに、その日は自ら「泊まる」と言いました。恐らく、事の重大さを医師として理解していたのだと思います。

  入院中、食べ物も飲み物も口に出来ず、日に日に元気を失っていった。入院を続け延命治療をするか、本人も希望する自宅での生活に戻すか、家族で話し合った。結局、聖路加国際病院の院長が意思を尋ねると、日野原さんは「(延命は)しない。しません」とはっきりした声で答えた。

 医学的には難しかったのでしょうが、もう一度元気になると信じていました。退院後は病院から毎日、義父を慕う看護師が世話をしに訪問してくれました。私も食事の用意を担当。おしぼりの用意や 口腔こうくう ケアのための容器を温めるなど看護師の手伝いもしました。特別な介護をしていた意識はありません。ある時、義父から「なかなかあなたの介護はいい」と言われ、びっくりしたくらいです。

 とにかく元気になってもらいたくて、毎朝のように、ベッドの脇で「うわー」と大きな声を出すようにしました。義父もまねをして返してくれました。初めは「ふわあ」だったのが、次第に「うわー」と。声を出すことで腹筋を使って体力が少し戻ったのか、水が飲めるまで回復しました。


■ 宮本顕二・礼子夫妻(1)寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うのか 「yomiDr.(2015年6月4日)」より
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 世界一の長寿を誇る日本は、医療技術が進歩したばかりに、高齢者が意識のない状態で何年間も寝たきりになる国でもある。読売新聞の医療サイト「ヨミドクター」でそんな状況に疑問を投げかけ、反響を呼んだブログ「今こそ考えよう 高齢者の終末期医療」。このブログに大幅加筆して、『欧米に寝たきり老人はいない―自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社、税抜き1400円)を6月10日に出版する内科医、宮本顕二・礼子夫妻に話を聞いた。(ヨミドクター編集長・岩永直子)

(※mono....中ほど大幅に略、詳細はサイト記事で)
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 ――2007年にスウェーデンに終末期医療の視察に行かれて、先生方の意識も変わられたのですね。何が一番印象的でしたか。

 礼子「スウェーデンが初めての海外視察だったのですが、食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取みとるということが衝撃的でしたね。脱水、低栄養になっても患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。そして施設入所者は、住んでいるところで看取られるということも、日本の常識とは違うので驚きました。視察先の医師も、自分の父親が肺がんで亡くなった時に、亡くなる数日前まで普通に話をしていて、食べるだけ、飲めるだけで穏やかに逝ったと言っていました」

 顕二「日本では、高齢で飲み込む力が衰えた人は、口内の細菌や食べ物が肺に入って起きる『誤嚥ごえん性肺炎』を繰り返して亡くなることが多いです。誤嚥性肺炎の論文もほとんど日本人の研究者が書いているのです。当時も今も誤嚥性肺炎対策が高齢者医療の重要なテーマです。この誤嚥性肺炎について、スウェーデンで尋ねたら、『何それ?』ときょとんとされたのが衝撃でした。スウェーデンでは、誤嚥性肺炎を繰り返すような悪い状態になる前に亡くなっているので、あまり問題にならないのです。延命処置で病気を作って、かえって患者を苦しめている日本の現状を強く認識しました」

 ――日本の終末期医療とは全く違うと感じたのですね。

 礼子「180度違いました。日本は終末期の高齢者であっても、医療の内容を変えることはありません。一方スウェーデンでは、緩和医療に徹しています」

 顕二「肺炎でも点滴も注射もしない。それは日本とは全く違うので驚きでした。スウェーデンは、当初、認知症治療がどうなっているのかを見るのが目的だったのです。しかし、終末期医療の違いにびっくりして、次のオーストラリア視察は、終末期医療の視察に目的が変わりました」

 礼子「オーストラリアに行った理由は、緩和医療に熱心に取り組んでいる国と聞いたからです。しかし正直なところ、スウェーデンがあまりにも日本と違うことをしているので、スウェーデンだけが特殊な国ではないかと思い、他の国の実態を確かめに行ったのです。そうしたら、日本のほうが特殊な国だった。ただ、よく考えてみると、日本も昔はスウェーデンと同じで、食べられなくなった高齢者はリンゴの搾り汁を口に含む程度で、家で穏やかに亡くなっていました。昔の日本の終末期医療は、今のスウェーデンやオーストラリアと同じであったことに気がつきました

 顕二「スウェーデンに行った時、研修医の時にお世話になった、ベテランの副院長のことを思い出しました。僕ら研修医はがんがん延命処置をするわけですが、副院長は当時の僕から見たらのらりくらりで何もしない。しかし、僕ら研修医が手を尽くした患者さんが亡くなった時、その患者さんの状況はというと悲惨なのです。血が飛び散って、点滴によるむくみもひどい。だから、看護師が家族をいったん外に出し、患者さんの体をきれいにしてから対面させたものです。一方、副院長が看取った患者さんは皆きれいで穏やかでした。当時の副院長の思いが、今になってわかりました」

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)
















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最終更新:2022年08月30日 07:53