天皇 / 譲位

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【レジュメ&モチーフ】
1、天皇の大権たる元号制定権を、安倍晋三・首相は、平然と新天皇陛下から簒奪した。日本は、明確かつ明白に天皇制廃絶へと舵を切った。日本国の亡国に他ならない“多民族が共生する人民主権の共産社会”に向かって、日本は“稀代の国民騙しの天才”安倍晋三によって、血塗られた暴力革命をせず、なし崩し的に大驀進している。

 しかし今尚、一般日本人は、共産党と朝日新聞を除けば、安倍晋三が父親・晋太郎に濃厚に洗脳された通りの“強度の共産主義シンパ”である厳然たる事実を直視しようとは決してしない。安倍晋三が着る“フェイク民族主義”衣装は、河上肇「教祖」の共産主義を奉じてきた“安倍家三代”の「共産国家への日本改造の狂気と執念」を隠すカムフラージュで煙幕である。

 それはともかく、元号制定権を、徳仁《新天皇》陛下から簒奪した安倍晋三のやり方と国民騙し詭弁を、まず振り返っておく。

 具体的には、安倍晋三は、改元の一カ月前(おそらく4月1日)、「俺様が日本の本当の支配者だ」と、改元を閣議決定すると決めた。すなわち、安倍晋三は、新天皇陛下の改元詔書渙発を廃止し、安倍・人民主権政府こそが元号制定権を持つとした。しかも、今上陛下に対し不敬を極める以上の究極の侮辱行為、「お前が新天皇の代理をしろ!」と、この政令の御名御璽を4月1日に強制する。

 さらに、その屁理屈は詭弁を越えたもので、唖然と絶句する。(※moo....以下中ほど略、詳細はサイト記事で)

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2、安倍晋三の“妄執”天皇制廃止にかける爆走は、この元号制定権の天皇からの簒奪だけに限らない。譲位禁止/受禅禁止の皇位継承そのものを禁止する退位特例法が、2017年6月に成立している。今上陛下に向かって、「お前は廃帝だ!」と侮辱的な人民裁判判決を下すための有害無用な「4・30」退位式典の開催も、皇室会議を悪用して決定された(2017年12月1日)。「4・30」と「5・1」と日を分けることで、先帝から新天皇への剣璽渡御の禁止も定まった。このように、全て安倍晋三が主導した立法で、先帝から新帝へと連続して皇位が継承される天皇制度は根幹から破壊し尽されることが定まった。

(※mono....以下中ほど略)
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 合理的な理由もなく10連休にしたが、「4・30」式典を観て激昂する見識ある真正国民や一部国会議員が、安倍晋三に対する糾弾と批難に澎湃と立ちあがるタイミングを奪うための宣撫工作なのも明白に過ぎよう。今上陛下を侮辱する事と新天皇への譲位をさせない/剣璽を渡御させないための「4・30」は断じて開催してはならないものだし、5月2日を休日にする理由も存在しない。特に、10連休は、「4・30」共産革命隠しが主目的。この狡猾な事実に対し、真正の日本国民は厳粛に直視し公憤しなければならない。愛国心を発揮しなければならない。

4、これに加え、さる11月30日、秋篠宮殿下が「大嘗祭の完全廃絶と同じ、“神嘉殿での斎行”」を国民広くにアッピールなされるという重大事件が発生した。むろん、これは、羽毛田信吾と風岡典之の二人の宮内庁長官が長年かけて洗脳した悍ましい成果である。

 また、記者会見のご発言は事前に何とでもなるのに、宮内庁側がわざと焚きつけたのも見え見えではないか。特に、山本信一郎・現長官を批判させたのは、京大時代から度し難い共産党活動家・山本信一郎が仕組んだ芝居。山本信一郎のこの狡猾なマッチ・ポンプによって、「秋篠宮殿下はとんでもない皇太弟、山本信一郎はまともな長官」というイメージが全国を駈け廻った。また、国民の間に、天皇制廃止シンパを増やす結果となった。秋篠宮殿下は、“悪のコミュニスト長官三人組”羽毛田・風岡・山本の罠にかけられた被害者だとも言える。

(※mono...以下略、詳細はサイト記事で)


■ 秋篠宮殿下は何と闘われていらっしゃるのか 「IISIA(2018年12月04日)」より
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秋篠宮殿下が先月30日、53歳の御誕生日を迎えられた。それを控えた同22日、宮内庁記者クラブを対象とした記者会見を行われたのであるが、その際の殿下のお言葉が大きな反響を呼んでいる。

来年、我が国では今上陛下が退位され、皇太子殿下がお代替わりされる。それを踏まえ、日本国憲法上の国事行為として「即位の礼」が行われ、それと同時に皇室行事として「大嘗祭」が行われることになる。そしてこの後者の費用負担について、秋篠宮殿下は御見解を明確に述べられたのである。端的に言うとその際、殿下は宮中行事である「大嘗祭」について、国費負担とすべきではないとおっしゃられたのである。

「私として,やはりこのすっきりしない感じというのは,今でも持っています。整理の仕方としては,一つの代で一度きりのものであり,大切な儀式ということから,もちろん国もそれについての関心があり,公的性格が強い,ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ,今回もそうなわけですけれども,宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに,それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。ただ,それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ,そのできる範囲で,言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし,そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」

大変短いステートメントであるが、グローバル社会におけるこれからの我が国の在り様を考えるにあたって非常に深い意味合いを持ったお言葉であると私は考えている。ところがこのお言葉を受けて、インターネット上では「そもそも即位の礼や大嘗祭は皇太子殿下が中心となって執り行われるのであるから、秋篠宮殿下はコメントをする立場にはないのではないか」などと的外れな議論が一部見られる。これを正し、あるべき形で忖度するために、一方ではかつてキャリア外交官時代に1999年に行われた秋篠宮同妃両殿下のドイツご訪問の際の通訳官であったこと等の直接的な体験を踏まえつつ、他方においては日独比較を中心とした憲法学をも修めた者として、この問題について考えてみたい。

今回の秋篠宮殿下のお言葉はいくつかの前提となる知識がなければ理解出来ないものである。第一に「国費負担」とするということは当該行事の全てについて国民代表である内閣、すなわち「政体」勢力が事実上差配できることを意味している。第二にお代替わりのために行われる行事には外国賓客も大勢招いて行われる「即位の礼」とは全く違う性質を「大嘗祭」は持っているのである。それではこの二つを掛け合わせた時に一体どの様な意味が出てくるのであろうか。

(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で)
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しかし、である。この様にして「政体」勢力の側が国費をもってその費用を賄うということはイコール、「政体」勢力を巡る様々な状況によって大嘗祭そのものが左右されてしまう危険性をはらむことを意味しているのである。このことは国民主権が憲法上、至高の原理とされている我が国においては至極当然のことの様に思えるかもしれない。しかし「大嘗祭」という皇室行事そのものが、そうした政治の論理を超えた、精神界と現実界をつなぐための宗教行事であると考えるのであれば、そこに本来「政体」勢力による縛りがかかるようなことは一切慎むべきでなのである。

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繰り返しになるが、以上はあくまでもこれまでの公的・私的な体験を踏まえた筆者自身の「忖度」を述べたものに過ぎない。だが、一つだけ明確なことがある。それは秋篠宮殿下が何か巨大な、姿を見せない鵺と闘われているということなのである。そのことをグローバル社会の大波にますます翻弄され続ける我が国に暮らす私たち国民であるからこそ、今、ひしと受け止めなければならない。私はそう想っている。

平成30年12月4日 東京・丸の内にて

原田 武夫記す

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(※mono....下枠内記事と重複するが転載する。)
■ ブログ『国際情勢の分析と予測』のコメント欄より
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Unknown (sam)
2018-12-05 09:42:08
<>そのレーゾン・デートルを握る「大嘗祭」の在り方に彼らが無関心であり、それを忖度する我が国の「政体」勢力が不穏な動きを示さないという保証が一体どこにあるのであろうか。そして仮にそうした危惧が現実のものとなってしまった場合、我が国は古来言う意味での「我が国」では、もはや無くなってしまうのである。

大嘗祭の式次第を、時代に即した形にするとか、公費を使うのだから宗教色を排除するという名目で破壊活動を行うことは、今後の雅子妃の公務からこれを除外することに繋げようとする動きである

皇室が護ってきた伝統をゴミ箱に放り込み、やりたくない公務をキャンセルするための動き

「大嘗祭の式次第を変えたら、即位したことが認められない」

おそらく、宮内庁の外務省人脈は、このことは気にも止めていない

もし変えるようなことがあれば、下手をすると別の天皇をキチンとした式次第に則って即位させようという動きにも繋がりかねず、前代未聞の事態に発展する可能性すらある

原田氏の上記動画にはそのような動きがあるという懸念が感じられるのは私だけだろうか?

行政官は、宗教的な行事を行ってはならないという大前提と秋篠宮様のいわれる政教分離の観点から、より厳格に宮内庁の業務を宗教行事から遠ざけるべきである

公務員には口を出させない領域を上記を大義名分として護って欲しい

さもなくば滅びる

■ ブログ『国際情勢の分析と予測』のコメント欄より
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Unknown (Unknown)
2018-12-05 14:25:27
私が、投稿欄に引用されていた、原田氏の文章を読んで思った感想。
どうも、日本政府が公に公費で行う予定の、新天皇の即位式=大嘗祭なんだが、現日本政府は、外国勢に乗っ取られている存在であるので、新天皇の即位式である大嘗祭で、”テロ”が起きる可能性がある=大嘗祭でのテロがあらかじめ計画されている可能性がある、ということを、原田氏は、極控えめに、示俊しているように思われる。
その”大嘗祭でのテロ”=最悪の場合、新天皇や現天皇陛下や皇室関係者、たとえば、秋篠宮様ご自身や悠仁様等の暗殺が大嘗祭の際に計画されている可能性があり、そのことを危惧した(察知した?)秋篠宮様が、先日での誕生日での記者会見で、”大嘗祭を、公に公費で行うことに対する疑念を表明した”のでは?
と、私は読み取った。
原田氏は、この文章の中で、”秋篠宮様は、何か得たいの知れない鵺(ぬえ)と闘っているのではないか?”とか書かれているのは、このことを意味しているのでは?と私は読んだ。
次の新天皇に予定されている現皇太子よりも、もっとも重要な存在であるのは、このブログの読者であれば自ずとわかるように、秋篠宮様と皇太子様の次に天皇になる予定の悠仁様である。この秋篠宮様のお命と悠仁様のお命が、来年の5月1日に行われる予定の大嘗祭で、狙われているのでは?それを察知した、秋篠宮様が、会見で、”大嘗祭の公的な開催に疑念を呈した”のでは?と、暗に原田氏は、言っているのでは?
国際金融資本勢にとって、もっとも目の上のたんこぶであり、邪魔に思っているのが、日本の皇室であり、天皇陛下なのでは?
こんな重大な話を、簡単には書けないので、原田氏は、”秋篠宮様は、何が、得体の知れない鵺(ぬえ)を闘っている。”という表現をしたのだと思う。


■ ブログ『国際情勢の分析と予測』のコメント欄より
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日本に寄生する売国政体勢力の討滅 (Unknown)
2018-12-04 23:16:13

原田氏記事の抜粋。

要するに得体のしれない勢力と「政体勢力」(安倍晋三などをコアとする自民党清和会や経済産業省、厚生労働省などの霞が関官僚、フリーメーソンなどの売国奴集団)がタグを組み、天皇家皇室・国体勢力を貶め、アメリカに国民の富を売りまくっている(水道民営化、ホワイトカラーエグゼンプション、格差・非正規労働者、年金の破壊)。こいつら「政体勢力」をせん滅抹殺しない限り日本国家に未来はない。




■ ブログ『国際情勢の分析と予測』のコメントより
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Unknown (sam)
2018-12-05 09:42:08
<>そのレーゾン・デートルを握る「大嘗祭」の在り方に彼らが無関心であり、それを忖度する我が国の「政体」勢力が不穏な動きを示さないという保証が一体どこにあるのであろうか。そして仮にそうした危惧が現実のものとなってしまった場合、我が国は古来言う意味での「我が国」では、もはや無くなってしまうのである。

大嘗祭の式次第を、時代に即した形にするとか、公費を使うのだから宗教色を排除するという名目で破壊活動を行うことは、今後の雅子妃の公務からこれを除外することに繋げようとする動きである

皇室が護ってきた伝統をゴミ箱に放り込み、やりたくない公務をキャンセルするための動き

「大嘗祭の式次第を変えたら、即位したことが認められない」

おそらく、宮内庁の外務省人脈は、このことは気にも止めていない

もし変えるようなことがあれば、下手をすると別の天皇をキチンとした式次第に則って即位させようという動きにも繋がりかねず、前代未聞の事態に発展する可能性すらある

原田氏の上記動画にはそのような動きがあるという懸念が感じられるのは私だけだろうか?

行政官は、宗教的な行事を行ってはならないという大前提と秋篠宮様のいわれる政教分離の観点から、より厳格に宮内庁の業務を宗教行事から遠ざけるべきである

公務員には口を出させない領域を上記を大義名分として護って欲しい

さもなくば滅びる


■ 大嘗祭は皇室の「家庭行事」 秋篠宮さまが問題提起した意味 「iRONNA(『河西秀哉』 2018/12/05)」より
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「国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭(だいじょうさい)のときにもそうすべきではないという立場だったわけですけれども、そのころはうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています」

 秋篠宮文仁親王は2018年11月30日の誕生日に際しての記者会見で、大嘗祭についてこのように発言し、大きな問題となった。

 政府は大嘗祭の費用について、今回も平成の時を踏襲し、国費から負担することを決めている。それは、平成の大嘗祭に際して、多くの批判や疑義が寄せられ、訴訟にまで発展したからであった。それゆえ、これに関する議論を今回も重ねれば、やはり国民的議論が巻き起こる可能性がある。

 そのため、政府の「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」は議論をほとんど行わず、できるだけ軋轢(あつれき)が生じないように、前例踏襲という形で押し切ろうとしたのである。それを秋篠宮が問題視した。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)

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■ 大嘗祭、公費支出に疑義「秋篠宮さまは少し勘違いされている」 「iRONNA(『高森明勅』 2018/12/05)」より
(※mono....前後略、詳細はサイト記事で)
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 「宗教色の強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」「平成の時の大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だった」「私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」「身の丈にあった儀式にすれば」「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、聞く耳を持たなかった」「私は非常に残念なことだったなと思っています」

 こうした発言については、率直に申し上げて、いくつか勘違いされている部分があるのではなかろうか。

 まず、大嘗祭は秋篠宮殿下のおっしゃる通り「皇室の行事」と位置づけられている。だが、その費用の出どころをどう判断するかは、もっぱら国政事項に属する。皇族がそこに踏み込み、政府方針への不満を直接述べられたのは、憲法が天皇に禁じた(国政)権能との関わりで疑問を持たれかねない。もちろん、天皇ではない皇族なら国政権能に関与してよい、というわけではない。

 平成の大嘗祭でも既に公費(宮廷費)が充てられ、そのことは特に重大な憲法上の疑義を生じることもなく、大方の国民にも素直に受け入れられている。これにことさら異議を強く唱えられることは、「国民統合の象徴」たる天皇のご近親としても、必ずしもふさわしくないのではあるまいか。

 前例の宮廷費支出を改めて「身の丈にあった儀式にすれば」という表現は、そのまま受け取ると、あたかも天皇陛下がご自身で執り行われた大嘗祭が「身の丈を越えた」ものであったかのような印象を与えてしまうのではなかろうか。















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最終更新:2019年01月07日 17:47