+ ニュースサーチ〔禁止社会〕

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学校「メイク禁止、ワックス禁止」 →社会「メイクするのは身だしなみ、ワックス付けるのは常識」これっておかしい?〔togetter〕){https://togetter.com/li/1164758}







■ 『学校でのドッジボールも禁止』ゼロリスク病と日本社会 「iRONNA[山本一郎]」より
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 R25で記事になり、Twitter界隈で少し話題になったドッジボール論争。「痛いから嫌だ」「危険だから禁止したほうがいい」という気軽な意見が飛び交うTwitterならでは、みながわいわいと見解を述べ議論になっています。

 学校にまつわる話題から町内会、電車でのマナーその他、あらゆる局面で人間同士の暮らし方の違いからくる誤解や違和感、不快といったストレスがネットに放流され、共感をされたり反論されたりいろんな発言の交差点になっているのは興味深い限りです。

+ 続き
 これら、ちょっとした社会におけるストレスを見つけて「症候群」にしたり「違和感」を表明する仕組みはかねてからありました。いわゆる問題の再発見であり、症状の発明に近いこの現象は、ある意味で言葉を商売にする評論家や作家が世情を切り表現するための仕掛けとして、分かりやすい言葉を作り上げ、それに賛否が集まって論争になることで社会は問題そのものを消費していくプロセスになるわけです。

 ネットでの議論が盛んになると、どうしても議論が極端な方向に行きがちです。例えば、学校の組体操が危険だ、子供の怪我が多いという話が出ると、みんな危険だからそのようなものは取りやめようという議論になります。メディアも、組体操の目的が何であって、そういう体操で怪我をした子供や保護者に話を聞きにいきひとつのパッケージに仕上げていきます。

 社会が便利になると、昔からあるもので「何でこれってやってるんだっけ」というネタは大量に発掘されます。正月におせちを食べることは保存食のないころの風習だからとケチがつき、誰かが結婚することへのお祝いも現代社会の男女のあり方からすると結婚制度自体を見直すべきと問題が提起される社会になります。

 ウェブで自由に意見を表出できることも含めて日本社会が成熟してきたからこそ、問題や権利や危険に敏感になり、解決するために意見を表明したり賛否を議論することに抵抗がなくなったのかもしれません。ゼロリスク病とでも言うべき敏感な層が増えてきたのも事実だと思いますが、個人的にはそういうゼロリスク病を患っている人こそ、高度に情報化された社会に必要なタイプなのではないかと思います。

 世の中にはいろんな問題の種があって、それに対して敏感に感じ取れる人が分かりやすく問題を提起できれば、多くの人たちが「そういえば、そういう問題もあるな」と気づくのは当然のことです。そういうあまり光の当たらない事象を抉り出し、人々の裁定を行える環境で議論をすること自体が、私たちの求めた情報化社会だったのではないかと思います。

 電車の中でのベビーカー使用にせよ、集合住宅でのゴミの出し方にせよ、決め事は人間同士が円満に社会で暮らしていくために必要だから行われ、マナーも最大公約数がそれが妥当であると感じるからみんなが守るのであって、その時代時代によって人の意識が変わり、うつろうのは大事なことです。むしろ、不満や不安や不快を感じて黙っているほうが今後の日本社会では割を食う世界になっていくのかもしれません。

 いわゆるモンスター化をするような意見の表明の仕方でなければ、タブーなく何を言ってもまずは良いのでしょう。また、相手の意見を受け入れる気持ちを持ちながらも自説をしっかりと述べて議論を重ねることは意味のあることでしょう。そして、いまの日本には徐々にではありますがタブーなくきちんと意見を表出できる仕組みがたくさん出てきて、右も左も老いも若きも自分の人生観や価値観に照らし合わせて「これを言いたい」「伝えたい」ということが出てきて喋れる環境の恵みというのは本当に大事なんだと思うわけですよ。

 逆に言うならば、ドッジボールが痛いし危険だというのは私の子供のころからみんなが思っていたことでした。スポーツとして楽しいと思える子は少数で、早々に当てられた大多数の子は外野でボールを回し合っているだけの競技だったというのは感じます。それでも、禁止するほど危険でもないだろう、いやあれはスポーツとして完成度が高いのだ、という意見が出れば、考えていることと違っても「そういう意見もあるのか」と納得しつつ「じゃあどうするのか」と話題の駒を進めていけばよいわけです。

 恐らくは、こういうゼロリスク病的なこまごまとした議論を日本人が毎日消化しながら、少しずついろんな意見に慣れていき、考えを伝える練習をしていくことでもっと大きな国民的議論も醸成されていくのではないかと思います。いきなり街角で「集団的自衛権はどう思いますか」と質問されてしどろもどろになることを避けるためにも、日々の中で問題意識を持ち、一個一個の問題に自分の考えを固めて、言いたいことがあればどんどん意見をネットに出していくことで見えてくる形はあるだろうということですね。

 ウェブでの議論は壮大な暇つぶしと思われがちですが、ただ総体で見ると意外と日本人の総意の方向性ぐらいまでは分かるような気がします。リスクが少しでもあれば何でも禁止にしたければそれも意見であろうし、それはやりすぎだろう、やる側が配慮すればそれでいいじゃないかというのも意見です。大事なことは、飽きずに考えを表明し続けることにあるんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。


■ 「あれもこれも禁止」で世界一安全な社会を実現した日本、称賛に値するが…―華字メディア 「Record China(2018年5月25日(金) 8時20分)」より
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24日、華字メディア・日本新華僑報は、日本は禁止社会によって世界一の安全を手に入れたとする記事を掲載した。

2018年5月24日、華字メディア・日本新華僑報は、日本は禁止社会によって世界一の安全を手に入れたとする記事を掲載した。

記事は、「初めて日本で生活する外国人は行動の堅苦しさを感じるもので、気をつけないと暗黙のルールに違反してしまう」と紹介。「日本社会には至るところにルールや規則があり、日本人自身も自嘲気味に規則が多いことを認めていて、暗黙のルールのみならず、明確に禁止する警告も多い」とした。

その上で記事は、地下鉄乗車の際に「かけこみ乗車禁止」「ドアに寄り掛かること禁止」など、多くの禁止の警告表示を見かけると指摘し、「数々の規則とルールによって事故を未然に防ぎ、最も安全な社会を構築している」と紹介。「実際、英国エコノミストによると、2017年の最も安全な都市ランキングで東京は1位、大阪は3位にランクインしている」とした。

一方で、こうした安全の中で、「外国人はこの窒息感に慣れない」と論じ、「それは当の日本人でも呆れるほど」と指摘。日本のネット上で、「近所の公園にはいつも人がほとんどいない。なぜなら、球技や犬の散歩、スケートボード、自転車など、あらゆることが禁止されているから。もはや一体誰のための公園なのかわからない」という投稿があったことや、児童園の掲示に禁止事項が18項目もずらりと並んでいる写真に「できることを書いた方が少なく済む」といった意見が出たことを紹介している。

記事は、「日本の禁止好きは地理的環境とも関係がある」と分析。地震など自然災害が多いため、未然に損失を抑えるために「予防」が重視されており、「地震発生時のエレベーター利用禁止やガスの使用禁止などは、実際に多くの危険を避けることができている」とした。

そして、「禁止社会によって世界で最も安全な都市となったが、日本人も相応の代価を払っている。外国人である私たちは安全な社会を称賛すると同時に、いかにすれば両者のバランスを取れるのだろうか」と疑問を投げかけて結んだ。(翻訳・編集/山中)















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最終更新:2025年01月29日 16:16