■ 例外状態/ジョルジョ・アガンベン 「note:棚橋弘季(2021年3月6日 13:46)」より
(※mono....前後大幅に略、詳細はサイト記事で)
/
おもしろいのは、この自由の剥奪、人権の一部的な剥奪が法的にも認められたのが、絶対王政の権力による養成ではなく、市民が自由や人権を獲得した革命的民主主義的権力の要請であったということだろう。

つまり、民主主義的な近代の法には、その最初から、国家の危機においては、自由を含む人権――ようは法権利――を主権者が剥奪すること―― ようは法の停止――ができるという内容が法そのもののなかに書き込まれていたということになる。

法のなかに、法が除外したものをまぎれこませることで、権力は成り立っていることを、例によってアガンベンは暴いているのだ。


■ 緊急事態―都市封鎖は正当化できるのか? マルクス・ガブリエル(哲学者・ボン大学教授) 「集英社新書プラス(2020.4.8)」より
/
政治家は新たな科学信仰に陥っている

 それゆえ、突如として多くの政府が同じ見解に到達している。つまり、例外状態や緊急事態法案、そして、私たちの健康を完全に監視するためのデジタル化の無制限の加速が、コロナ危機に対処するための唯一の方法だというわけだ。数週間のうちに、ポスト真実的な放心状態とアイデンティティ・ポリティクスという精神的ウイルスは、世界を席巻するこうした政策で克服されたかのようである。ニューヨークの私の友人は、こうした政策を「科学を信奉する北朝鮮」と呼んでいたが、ともかくも政府は生物学的実在論から新しい政治的客観主義を引き出している。しかし、ここにこそ、最大の疑念がある。
 だからこそ、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンや技術預言者のユヴァル・ノア・ハラリが、現在の可能性の一つであるディストピア的展開を示すべく、声をあげたのだった。

 アガンベンは、自身の近代の解釈を引き合いに出し、「剥き出しの生」に人々を還元するために、「例外状態」がたびたび発生させることがまた起きていると指摘する。疫学的感染モデルや健康保健システムのデータのひとつの「点」に、私たちは突然なってしまったのだ。そのために犠牲になったのが、私たちの最も重要な社会的慣習(友情、抱擁、宗教的行事やコンサートなど)だ。アガンベンにとって、コロナ危機は、私たちがディストピア的なサイバー独裁に向かっていることを確証するものである。

(※mono....以下略)


■ アガンベンの『私たちはどこにいるのか? —— 政治としてのエピデミック』をめぐって 「雲の中の散歩のように(2021.4.9)」より
(※mono....前後長文略、詳細はサイト記事で)
/
アガンベンは、ネットを介した情報通信技術が人間的な接触/感染を肩代わりしてくれることに、誰もが身を任せているような状況は、かつて民主主義からファシズムが生まれた状況と重なるものだと指摘する。あたかも、みんなで社会的距離を保ち、ロックダウンのなかベランダで歌を歌って元気付けあい、外出するときは外出申請書とマスクが欠かせない状況を耐えべきだと考える人々から、それこそ激しい反発を招く。



東大TV( https://todai.tv/​ )で公開中の一部のコンテンツをこちらのYouTubeチャンネルでもご覧いただけます。
==========

イタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンはコロナ危機の中で行政が一方的に緊急事態を宣言し、人々がそれに慣れてしまうことに対して懸念を表明し、物議を醸しました。インターネット用語で言うところの「炎上」が起こり、世界中の哲学研究者がアガンベンを非難しています。しかし、アガンベンの指摘には極めて重要な論点が含まれています。この講義ではアガンベンの論考を紹介しながら、行政権力のあり方について考えていこうと思います。

トマ・ピケティ氏、マイケル・サンデル氏、アウンサンスーチー氏らの講演をはじめとして、YouTubeでは見られない動画がたくさんあります!!
★★★動画はこちらから→ https://todai.tv/
​ (東大TVウェブサイト)★★★
東大TV Twitter:https://twitter.com/UTokyoTV
​東大TV Facebook:https://www.facebook.com/todai.tv/

運営:東京大学 大学総合教育研究センター
ーーー
■ 千字で語るコロナ論|哲学 國分功一郎|コロナ禍と東大。 「東京大学:FEATURES(2020年11月24日)」より
/
哲学者は社会にとってのアブ
「移動の自由は根源的な権利」

コロナ渦の当初、私のような哲学研究者には感染症について述べることなど何もないと思っていたからマスメディアに発言を求められても断っていたのだが、ある哲学者の発言に出会いその気持ちに変化が訪れた。その哲学者とはジョルジオ・アガンベンである。この78歳のイタリアの哲学者はコロナ渦について果敢に発言し、ネット用語で言う「炎上」に巻き込まれていた。その姿を見ていて私は彼の述べるところを日本にも伝えなければという気持ちに駆られた。

アガンベンは二つの懸念を表明していた。一つは、多くの人々が葬儀もなく埋葬されている現状についてである。もちろん遺体から新たな感染が生じる可能性は理解できる。だが、我々が死者への敬意を何のためらいもなく放棄しているとしたら、社会はどうなってしまうだろうか?生存以外のいかなる価値をも認めない社会とはいったい何なのか?

周知の通り、イタリアは今回の感染症で最も強い被害を受けた国の一つである。その中にあってアガンベンは、「死者の権利」が、「生存」の名の下に踏みにじられている現状に強く反発したのである。

もう一つは移動の自由の制限についてである。現在行われている「緊急事態」を理由とした移動の自由の制限は、戦時でも誰も思いつかなかったものだとアガンベンは言う。ここには、移動の自由が単に数ある自由のうちの一つではなく、近代が権利として確立してきた様々な自由──思想の自由等々──の根源にある自由だという考えがある。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)

ーーー
■ アガンベンは間違っているのか? 「REPRE:岡田温司」より


■ アガンベン「ある問いにかんして」 「note:baku yumekui(2020/04/30 01:35)」より
/
 以下の文章は、哲学者ジョルジョ・アガンベンが新型コロナウイルスの問題について4月14日にQuodlibet社のサイトで発表した記事(https://www.quodlibet.it/giorgio-agamben-una-domanda)の翻訳です。
(※mono....前後略、詳細はサイト記事で)
/
1. まず一点目——これが最も深刻な問題なのだが——は、死者の遺体についてである。どうしてわれわれは、特定されえない「リスク」、ただそれだけを理由に、愛する人や人間一般が孤独に死んでゆくことばかりか、彼らの遺体が葬儀もされぬまま火葬されることをも——これは歴史上これまで、アンティゴネーから現代にいたるまで、決して生じなかったことである——受け入れることができたのか。
2. そのあと、われわれはさほど問題視することなく、またもや特定されえないリスクのみを理由に、自身の行動の自由が制限されることを容認した。この制限の規模は、この国の歴史上、二度の世界大戦中でさえ(当時の外出禁止令は特定の時間帯に限定されていた)、なかったものである。かくして、特定されえない「リスク」のもとに、われわれの友人関係や恋愛関係を事実上停止することを受け入れたのだ——というのも、そうした関係は「潜在的なpossibile」感染源となったからである。


■ Covid-19緊急事態に関する4人のイタリアの哲学者のコメント 「東京カレッジ( 2020.03.17)」より
(※mono....前後略)
/
2020年2月26日にIl manifestoという新聞にジョルジオ・アガンベンの論説が掲載されました。これをきっかけに、今回の緊急事態に関する議論が、4人の哲学者(ジョルジオ・アガンベン、ジャン=リュック・ナンシー、ロベルト・エスポジト、ルカ・パルトリニエーリ)の間で交わされます。アガンベンの論評に端を発する感染症、政治、生政治、グローバル化された世界に関する一連の意見交換を、以下で紹介してみることにします。
「感染の発明」と題されたアガンベンの記事(イタリア語英語)は、イタリア政府がとった「取り乱し、非合理的で、断固として不当な緊急措置」に対する告発です。アガンベンは今回のウイルスはインフルエンザの変種にすぎないとしてその重症性を否定し、メディアがパニックを煽っていると主張しています(確かに、私がイタリアにいた間、テレビのニュースと政治討論番組は、正直にいえば、他のトピックを扱ってはいませんでした) 。


■ アガンベンの『私たちはどこにいるのか? —— 政治としてのエピデミック』をめぐって 「雲の中の散歩のように(2021/4/9)」より
/
ジョルジョ・アガンベン
『私たちはどこにいるのか? —政治としてのエピデミック』
高桑和巳訳(青土社、2021年)

4月5日に購入。

こんなにすらすらと読めるアガンベンがあっただろうか。しかも、読み始めたら目から鱗がボロボロと落ちてゆく。「私たちはどこから来たのか」でもなく「私たちはこの先どこへ行くのか」でもなく、単に「私たちはどこにいるのか」、それこそが今立てるべき唯一重要な問いだというのだ。

(※mono....以下略)


『私たちはどこにいるのか?』:政治としてのエピデミック 翻訳:高桑和巳 より 15番目の論考を書き写しました。

※学生たちに捧げるレイクエム】➡ 高桑和巳先生から削除依頼がありましたので、このページは管理者のみ閲覧ページへ移動しました。
















最終更新:2021年11月01日 18:29