+ 
         
        他資料サイト 
        
 
■ 
オレは亡き伯父の言葉で南京大虐殺は無かったと確信している件  - 〔togetter-
dobon7 〕
/
2006・7年頃だっただろうか、オレの伯父の家に行った時、たまたまTVから南京大虐殺のことが流れた。
すると伯父が・・・
「ワシは当時南京に居ったんぞ。そんなことがあれば必ず知れ渡る。しかし、死体の山も見たこと無いし、虐殺の噂さえも聞かんかった。あれは嘘だ!」って言った。
この頃オレは、まだ自虐史観の呪縛が解かれてなかったので混乱して詳しく聞けなかった。
その数ヶ月後伯父は他界した。
伯	父がオレに嘘をつく理由がない。
オレは亡き伯父を信じる。
☆ 
南京事件-日中戦争 小さな資料集  「ゆうのページ 」より
南京事件、及び日中戦争についてのホームページです。
私の関心は、「事実は何か」ということにあります。イデオロギー的なものは極力排し、事実は事実として描く。私は本サイトを、そのようなスタンスで製作しています。
ときどき、内容をよく読まないままに、この点を誤解したコメントをいただくことがありますので、念のためにお断りしておきます。
   
Justiceforjapansub@justiceforjapa2 
2022年12月12日
表示制限中: このポストは、攻撃的な行為を禁止するルールに違反している可能性があります。詳細は
こちら 
Justiceforjapan sub@justiceforjapa2 
This photo is authentic taken by Japanese photographer who only saw the aftermath of a battle.
As Fitch says, these are bodies of thousands of panic Chinese KMT🇹🇼 SOLDIERS drowned on escaping BEFORE Japanese reached. 
No evidence they are civilians.
http://koyanonezumi.blog.fc2.com/blog-entry-384.htm 
 
VIDEO 
2016/07/19
中共がいう南京大虐殺は、ねつ造でしかありませんが、南京には、実際に起こった虐殺事件があります。
1 第一次南京事件(大正2(1913)年)
 
VIDEO 
安っぽい朝日
kayo io
米国による広島 長崎の原爆は 広島虐殺、長崎虐殺と呼ばないのですか?
東京空襲は 一般市民を焼きつくすために 特別に作られた 爆弾です。
mitsuyuki bando
この放送局に 渡したのか   疑問です
oakyard
hisa naka
nzmk227
さやか海風
8
ニート大兄
 
唐突にNASAが『月の石は地球の石だった』と発表したり、長年続いていた日本の厚労省インチキ統計の暴露とか安倍晋三が『北方領土返還』を封印、日露平和路線に転換するなど50年間も言い続けていた嘘八百を修正する歴史的なレジームチェンジが、世界的規模で密かに進行中なのである。(これがアメリカ発の歴史の根本を変える世界的レジームチェンジなら、『月の石は地球の石』程度の驚天動地の暴露話が今後も連続して起きると思われる)
(※mono....中ほど大幅に略、詳細はサイト記事で)
犠牲者数は最大70~80万人近くまで 
(※mono....詳細は略)
アメリカ外交関係公文書「RG59-793.94/11631」 
(※mono....詳細は略)
【追記1】原文の発掘 
(※mono....詳細は略)
【追記2】更なる公文書の発見 
アメリカからの抗議に対応を約束する原田少将 
(※mono....詳細は略)
日本側の証言とも一致 
(※mono....詳細は略)
日本としては『ぬるま湯』で心地よかった『今までの「」が、とうとう終わってしまったらしい』 
★注、
今後は『靖国史観』(歴史酒精主義)はファシズムとして断固取り締まる決意をした可能性 がある。護憲左派としては嬉しさ半分。怖ろしさが半分。
 
 中でも南京事件を一段と強調し、12月13日を「『南京事件』国家哀悼日」としたのをはじめ、南京大虐殺記念館は約1年かけて、10年ぶりの大幅な見直しを行い、2017年12月にオープンした。
強弁で「写真撤去」も隠蔽 
 最初のリニューアル(2006~07年)では、1985年のオープン時から日本の研究者らが南京事件と無関係であると指摘していた「連行される慰安婦たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」など3枚の写真が撤去された。
 リニューアル・オープン直後の2008年1月、犠牲者30万人の表記は旧日本軍の「非人道性」を強調しているとして、上海の日本総領事館総領事が日本政府の「問題意識」を南京市幹部らに伝え、見直しを求める申し入れを行う。
 それから11か月後、「産経新聞」(2008年12月17日・18日付)が『中国の日本軍』(本多勝一著)や『ザ・レイプ・オブ・南京』(アイリス・チャン著)などで日本の残虐行為として紹介され、国内外で誤用されてきた3枚の写真の撤去を確認したことに触れている。
 また、「日本の外務省は史実に反すると日本の学問状況を非公式に中国へ伝えていた。問題写真の撤去は、こうした外交努力の成果といえる」と主張する。
 朱成山館長は翌19日、次のように反論したという。
(※mono....中ほど略)
南京大虐殺の目撃者に仕立てたつもりが・・・ 
 2015年10月20日、エリザベス女王は習近平国家主席を主賓として迎えた晩餐会を主催した。席上に添えられたのは1本30万円もする仏ボルドー産の高級ワインの「シャトー・オー・ブリオン1989年」だったという。
 1989年は民主化を求める学生を中国当局が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した天安門事件があった年で、中国が最も触れたくない年のはず。
 1989年ワインは暗喩の皮肉か、かけ値なしのおもてなしか?
 ワインはともかくとして、習主席が女王の前で話したのは中国が独豪などと合作した映画で描かれたジョージ・ホッグ記者の話しである。
 記者は赤十字職員と偽って南京に入城し、南京虐殺の現場を撮影したところ、日本兵に見つかり処刑される寸前に中国共産党の軍人に助けられるというストーリだという。
(※mono....中ほど略)
 念のために評伝作家のジェームス・マクマナス氏に岡部伸・産経新聞ロンドン支局長がインタビューして確認したところによると、孤児を連れてシルクロードを横断した長征は真実だが、「南京事件を目撃したことは映画の脚色 」であることをすんなり認めたという(「エリザベス女王の面前で― 詐話師・習近平がまた大ボラ」、『WiLL』2016年11月号所収)。
(※mono....中略)
いよいよ本多氏の時代も終わりか 
 今回のリ・リニューアルでは、驚くなかれ「南京大虐殺の史実を世界に周知させた」貢献で顕彰され、当人の顔写真や著書『南京への道』『裁かれた南京大虐殺』、中国取材に使用したペンやノート類が展示されていた本多勝一記者の写真と資料が撤去されたという。
 他方で、同記念館で「国家哀悼日」に指定する演説をした2014年12月13日の習近平国家主席の大きな写真パネルが展示された。
 以前の主席には確認されていなかったことで、いよいよ「大虐殺記念館」の政治性を強く押し出さざるを得なくなってきたのではないだろうか。
 中国国営の新華社通信は今回のリニューアルについて、展示内容のみで建物に変更はないと伝え、また展示入れ替えで、写真は約3分の2(約2000枚)、物品類は約3分の1(約900点)に絞り、「史実の新たな証拠を集めた」と評しているそうである。
 ここにも中国一流の言い回しが見られる。
 「史実の充実を図った」ではなく、「史実の新たな証拠を集めた」というならば、写真を約1000枚、物品類を約2000点減らしたことをどう解釈すればいいのだろうか。
 筆者には本多氏らが南京大虐殺に関わるものとして掲載してきた「多くの写真や物品類」が、他の場所のものであったり、捏造され、あるいはキャプションのつけ替えであったりしたことが判明し、収拾できなくなったので削除したとしか思えない。
 南京大虐殺の周知貢献で顕彰された本多氏らの写真と資料が展示から外されたということは、「南京大虐殺」を支えてきた「動かぬ証拠」としての写真(や資料)という土台の一角が「揺らぎ始めた」ということではないだろうか。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で。副題のみ転記)
写真検証の驚くべき結果 
南京大虐殺はどのように広まったか 
現場にいた前田記者が大虐殺を否定 
河村たかし名古屋市長の真摯な問いかけ 
 当初中国は、南京市民30万人が日本軍によって虐殺されたと主張していたが、2018年6月24日に福田康夫元首相が訪問した際、館長は30万人という数字は南京に至るまで日本軍が戦争しながら殺害した人を含めた数字であり、南京市内にいなかった人を含む数字であると説明したとされる。
 他方で、昨年のリ・リニューアルでは世界に流布する原動力ともなってきた本多氏やアイリス・チャンの関係資料が削除されたという。
 これらは、「南京大虐殺」に大きな地殻変動が起き始めたことを意味するのではないだろうか。
 いよいよ、「南京大虐殺」の虚構が崩壊し始めたことを物語るものかもしれない。
 
■ 
南京事件は支那のインチキ  「二階堂ドットコム(2018/12/23 11:30)」より
/
水間さんが一次資料で完全証明。
「温泉大好き」さんのレビュー 
 東京を初めとする日本の主要な都市への空襲攻撃を行い、さらには広島と長崎に原爆を投下し、丸腰の民間人を殺戮の対象とするというあからさまな国際法違反で戦争に勝ったに過ぎない天下の卑怯者国家アメリカが(何度も書くが、反則技で勝ったことは勝ったことにならない)、戦後、東京裁判というお遊戯会で、自らの罪を葬り、日本に謂れのない罪を着せる目的で持ち出したのが始まりである南京大虐殺という根も葉もない作り話が作り話である所以を、当時撮影された数々の写真と新聞報道によって証そうとする本。内容的には、PHP研究所から出版された『一目でわかる』シリーズの南京に関する記述を1冊にまとめたものと言えるが、その後発掘された貴重な資料も掲載され、今なお多くの日本人が何とはなしに信じ込まされている虚構を完膚なきまでに粉砕せんとする著者の意気込みが伝わって来る。残念ながら、本書も、前後で文法的な撞着を起こした文章が散見されるという、著者の本で以前から見られた通弊からは免れていないものの、本書を読んでもなお、南京大虐殺があったという思い込みを捨てられないという人は、よもや1人もいないであろう。
    
    
        
            + 
         
        続き 
        
 押しなべて、保守派には真面目な人が多いので、『一般に流布している通説は誤りである!』『これこそが真実の歴史だ!』とただ真正面から主張しようと努めがちであるが、ここではむしろ、『こういう噓を日本人に信じ込ませようとするアメリカ人とは、どういう国民なのか。』『こういう噓に跳び付いて、「奇貨居(お)くべし」とばかりに日本非難に利用しようと画策する中国共産党政府の心理とは何なのか。』という点に思いを致すことこそが重要である。
   
「シェンムー3を待つ者 」さんのレビュー
所謂『南京事件(南京大虐殺)』とは
虐殺したと主張する人(肯定派)と虐殺していないと主張する人(否定派)がいます。
本書は、それら肯定派の立つ瀬が無くなるかのように完璧に歴史検証をしています。
    
    
        
            + 
         
        続き 
        
同じく『はじめに』に記載されていますが、
ですから、
本書を読めば私が上記したことが頭に入ってきますので
南京大虐殺という概念が生まれたのは、
私が気付いた誤植を挙げたいと思います。
最後になりますが、
   
【
鈴木史朗 】
■ 
鈴木史郎(※mono....ママ)さん、ありがとう!お疲れ様!  「旗本退屈女のスクラップブック。(2018-12-19 16:29:28)」より
/
元TBSの鈴木史朗アナウンサー
「北京と天津に7年間いましたが、日本人からも中国人からも南京事件の話は聞いた事がない」
「日本兵は清潔好きなので、蚤、虱、南京虫が移ってしまうので、女性に乱暴するということは全く無かったと考えて良いと思う」
(動画)
(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で) 
一般市民の殺害等については、当時南京で取材していた朝日新聞など多くの新聞社や通信社の記者やカメラマンたちが「虐殺は0件」(0人)、「市民殺害なんて1件も有りえない」、「戦後言われていることは全部ウソ」だと断言している! 
東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言
「南京での事件ねえ。
■ 
きちんと学ぼう南京事件  「たびたび旅のブログ(2018年12月12日)」より
/
小名木善行さんが解説する「
南京事件は4度あった 」はとても参考になります。
中国側が例えば「日本軍は婦女子を〇姦した後、陰〇に棒を突っ込んで腹を切り裂いた。」というような表現をした時に、日本人ならそのような殺し方はしないと考えるのが日本人としては自然だと思う。
<動画の紹介文>
(※mono....中略、詳細はサイト記事で) 
VIDEO 
同盟通信・前田雄二記者の証言
「虐殺とは戦争に関係ない住民や婦女子をむげに殺害することだろう。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で) 
■ 
カナダ州議会、「南京大虐殺記念日」制定の動き  「DEEPLY JAPAN(2017.8.21)」より
/
春先から出ていた話だと思うが、それに対して自民党の有志がオンタリオ州議会に意見書を送付したというのでニュースになったのかな。
 衛藤征士郎元衆院副議長ら自民党の有志議員14人が、カナダ東部オンタリオ州で「南京大虐殺記念日」を制定する動きがあるとして、州議会に「関係国間で好ましくない論争を引き起こす可能性がある」と懸念を伝える意見書を送付した。党関係者が20日、明らかにした。
今年は1937年に南京戦があってから80周年と区切りがいい年なので提案されていたんでしょう。
9月になったら議会が開かれるのでそこが焦点らしい。
 旧日本軍が南京を占領した12月13日を「南京大虐殺記念日」と定める法案が州議会に提出された。中国系の議員が提案した。外交筋によると、9月からの州議会で法案を審議する可能性があるという。有志議員側は「放置しておくと、歴史問題を巡る新たな火種になる」(党中堅)として、外務省にも対応を求めている。
しかし、有志の議員の筆頭格に親台派で有名な衛藤征士郎氏とか、衛藤晟一氏とかかなりコアな日本会議っぽい人たちが出てくるって、何か、自ら問題を複雑にしてる気がする。
さらにいえば、そもそも、南京虐殺は「なかった」とかいう極端なことを政治主張みたいにする過去20年ぐらいの動きがなかったら、こんな記念日制定などという話にもなっていないようにも思う。
この問題は、そこはかとなく皇族を庇っているようなところがあるから、昔の人たちが責任をかぶって曖昧にしつつそれでよしにしたことを、後のバカ者がひっかきまわした事件とも言えると思う。だからこの点からも問題を複雑にしたといえるでしょうし、それが最終的には日本へのダメージになりそうな気配もなくはないなぁとかも思う。
(※mono....以下略、詳細はブログ記事で) 
<>そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。
「戦闘に関連した殺人」って、普通は戦争の戦闘で敵兵を殺すことをいちいち「殺人」などとは呼ばない。
<>日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。
ふざけんな!
いい加減なことを言ってんじゃないよ!
「降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。」というのは、明らかに事実と異なり、悪質な捏造だ!
まず、「市民の大方を殺害してしまった」という事実は全くない!
市民(一般人)の虐殺についてはゼロで間違いない!(後述)
次に、「降伏した兵隊の大方を殺害してしまった」というのも真実とは異なる。
確かに南京では降伏した支那軍将兵の数が多過ぎたこともあり、降伏した大量の支那兵が暴動を起こした際に合法的に殺害した「幕府山事件」はあった!
しかし、幕府山事件は、降伏した支那兵どもが暴れ出したために、日本軍はやむを得ず殺害したわけであり、日本軍の正当防衛、あるいは戦闘再開(延長)となる合法的な出来事だった。
したがって、「降伏した支那兵の不法殺害」についても無かったに等しい。
敵兵の不法殺害については、あったとしても最大で数百人程度であり、村上春樹の小説の中の「降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。」という台詞は事実とあまりにもかけ離れている!
南京戦に参加した畝本正己は、資料、証言を更に整理し検討し、【昭和63年=1988年】に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみとの結論を出している。
つまり、「捕虜の不法殺害」の犠牲者は、0人~800人というのが結論だ。
「捕虜の不法殺害」について議論となるのは概ね「幕府山事件」のことだが、この「幕府山事件」というのは上述したとおり捕虜が暴動を起こしたことに対する鎮圧だから「捕虜の不法殺害」には該当しない。
「幕府山事件」については『「南京大虐殺」はWGIPのメインテーマです』と題された次のサイトの中で非常に詳しく説明されている。
ごく一部だけ抜粋し、以下に掲載する。
(※mono....以下略、詳細はブログ記事で) 
 
■ 
日本人が、いつまでも黙っていると思うな  「井沢満ブログ(2017.2.6)」より
(※mono....前半略) 
/
そのことの是非はとりあえす置いておくとして、「自国、自国民ファースト」が世界の潮流の一つになりつつあるようです。潮目の変化を奇貨として、日本は立ち上げればよろしい。
何か世界の流れが変わりつつあるこれを機に、日本人も立ち上がろうではありませんか。
南京大虐殺なんか、ありゃしないのです。戦争だからむろん、かなりの個々的事実はあったでしょう。だが、喧伝されているごとき「大虐殺」はありません。
桜井さんの獅子吼のごとく「人口20万人の南京で、どうやって30万人を殺せるんだ」です。
日数と当時の日本兵の数とで割ってみても、日本軍が30万人を手で殺せるわけもないのです。
当時の南京の人口は90万 、うち逃げたのが70万。
1937年12月 20万人
1938年1月 25万人
同3月 27万7千人
同8月 31万人
同12月 44万人
逃げていた市民たちが、日本軍が残虐ではないことを知るに連れ、戻って来ているではありませんか。こうして淡々と事実を見ていけばよろしいのです。
(※mono....数行略)
日本兵と南京市民の和気あいあいたる画像は、たくさん残されています。
とりわけ、日本兵が子供を可愛がっている写真が多いのです。
日本軍による南京占領5日目の写真 「大虐殺」とやらの痕跡もなく、
倒されていた孫文の銅像に敬意を表し、青天白日旗をかけてあげる日本兵隊たち。
中国人無名戦士たちの碑に、最敬礼する日本の兵士たち。
これら心優しく直き日本人たちが、なんで30万人もの罪もない人々を殺しますか!! 
日本人よ、もう黙っていてはいけない。立ち上がろう、大声で真実を語ろうではありませんか。
以下のサイトさんが、南京大虐殺の嘘についてきちんとまとめてくださっているように思います。
(※mono....以下略、詳細はブログ記事で) 
南京大逆殺事件は事実ではないが、日本人が中国共産党に虐殺された通州事件は紛れも無い事実である。
「通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、猟奇的な殺害、処刑が行われた。通州虐殺事件とも」(ウィキペディア)
 残虐な中国人が日本人対して行った「猟奇的な殺害、処刑」は中国の伝統だが、それを大東亜戦争で日本軍が行ったとすり替えた「意図的な捏造」はその後も跡を絶たない。
夏になるといつも取り上げられる漫画「はだしのゲン」に出てくる日本軍の残虐行為などは中国軍の行為そのものである。
 習近平は南シナ海の島々(実は島ではない)を埋め立てて人工島を造って中国の領土だとし、それをオランダ・ハーグの仲裁裁判所に否定されると、「あれは紙くずだ」と嘯き、今度は転じて東シナ海に漁民を装う「海上民兵」を乗せた何百もの漁船とそれを警護する火器を搭載した公船を繰り出したが、今度はイギリスで嘘をついていたことが判明した。
昨年、習近平が訪英した際に南京事件の日本軍の残虐行為を報道した英国人を賞賛したが、産経新聞が調べたところ、その記者の署名記事も在職記録もなかった事が分かったという。
今朝の産経新聞が一面トップで伝えた。
【ロンドン=岡部伸】中国の習近平国家主席が昨年10月に訪英した際、第二次大戦で「侵略者日本の残虐行為を暴いた」と称賛した英国人記者が、所属していたとされる英新聞社に在職記録はなく、中国側が「日本の残虐行為だ」と主張する「南京事件」の現場にもいなかったことが30日までに明らかになった。
 しかし、映画の原作となった『オーシャン・デビル』を執筆した英タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏は、「ホッグ氏の中国入りは1938年2月で、彼は南京に行っていない。映画は脚色され、事実ではない」と証言した。
歴史を捏造し、日本の国際的な名誉を貶めようとる習近平に負けてはならない。
それらのレッテルは全てパヨクにそのまま貼ればいい。
 
今回の学習
日本史監修:創価大学教授 季武 嘉也
 
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で) 
限がないので、今回は1937年12月の南京陥落と翌1月までの和平交渉失敗の部分だけを取り上げる。
まず、NHKは、「日本軍は、大部隊を送り込み、国民政府の首都、南京を占領しました。 この際、女性や子どもを含む多くの中国人を殺害する南京事件を起こし、~」と述べているが、事実に反する。
アホな日本政府でさえ、公式見解は「非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」という表現にとどめている。(
詳細記事 )
平成27年10月13日、菅官房長官:ユネスコ分担金、停止・削減を「検討」
このように、日本政府でさえ、全く根拠はないものの、公式見解としては「非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」という表現にとどめている
「女性や子どもを含む多くの中国人を殺害する南京事件を起こし、諸外国からも非難を浴びました。」などという表現は使用していない。
事実関係を正しく述べると、日本軍が南京で女性や子供を殺害した事実は一切ない!
また、NHKは「…南京事件を起こし、諸外国からも非難を浴びました。」とも放送したが、そのような事実もない。
NHK「高校講座:日本史」は、いったい何のことについて「諸外国からも非難を浴びました。」などと述べているのか?!
当時、アメリカでは一部、日本軍による南京市民殺害について報道した新聞記事があった。
南京に居た支那国民党の顧問(工作員)であるベイツからメモを渡されたダーディン記者とスティール記者が書いた記事だ。(
詳細記事1 、
詳細記事2 )
しかし、1930年代当時、支那事変が始まる何年も前の1930年頃からアメリカの新聞は日本人や日本軍の蛮行について出鱈目記事を書くことが日常的となっていたため、南京戦があった1937年12月頃にはそのような記事は特段問題視されることはなく、事実上無視されていた。 
当時のアメリカの新聞が日常的に出鱈目な反日記事を書いていたことについては、アメリカの外交官だったラルフ・タウンゼントが1933年に書いた本に、次のとおり述べている。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で) 
●南京大虐殺完全否定のまとめ 
日本軍による南京市民虐殺はなかった(0人)。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍が占領した上海などに避難していた南京市民が徐々に戻って来たのだ。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。 
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。
虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。
更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。 
支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件はなかった。
最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。
(※mono.--以下長文につき略、詳細はブログ記事で) 
 
 
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支那がユネスコに提出したのは、「資料の一覧」と、それら資料を保管する「公文書館名の目録」だけだった!
<>申請資料として目録が提出されるのは通例だが、多くは詳細な内容を記載しており、日本の場合は「何の資料が棚の何段目にあるかなども含めて詳細に記している」(外交筋)という。中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったといえる。
そもそも「南京大虐殺」というのは、虚構であり、実際にはなかった。
したがって、「南京大虐殺文書」(南京大虐殺を証明する資料)というものは、全く存在していない。
「大虐殺」どころか、日本軍将兵による無辜の南京市民虐殺については、1件(1人)たりともなく、犠牲者数はゼロ(0人)だった。
私は、平成16年(2004年)頃から平成18年(2006年)頃まで3年間以上、Yahoo!掲示板で「南京大虐殺」について毎日のように反日左翼たちと論争をしていたので、毎日数時間を「南京大虐殺」の勉強(研究、調査)に費やした。
「南京大虐殺はあった」、「南京大虐殺は事実だ」と主張するHPの管理人など反日左翼を相手にほぼ毎日3年間以上も論争したが、彼らはマトモな証拠資料を何一つ示すことができなかった。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 
 
書き込みは「中国国民は、日本人が死んでも罪を認めないことしか知らない。南京大虐殺紀念館が日本の再三の提案と出資によって建設されたということを知っている人はどれくらいいるのか――南京大虐殺紀念館は、日本社会党委員長だった田辺誠氏が1980年代に南京市を訪れた際、建設するよう提案した。しかし当時、中国側は資金不足を理由として建設に消極的だった。田辺氏の再三の提案と建設資金の寄付の申し出により、1982年に同紀念館の建設が始まった」などと書き込んだ。 
この書き込みに対して、中国のネットユーザーはさまざまな反応を示している。以下は、コメントの一部。 
「知らなかった!」 
「真相は一体どうなんだ?」 
「だからって感謝しろとでも?」 
「中国政府は長年、日本の中国に対する援助について何も言わなかった。不誠実だ!」 
 
南京大虐殺があったと言っている連中のいう証拠を、徹底的に潰していく戦いである。
シナ国民党軍の野蛮人どもがやったことを、すべて日本軍のせいにしたのが所謂”南京大虐殺”の真実なのである。
日本軍は実は、いま連合国のやっている平和維持活動、PKOの先駆けだったのである。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 
 
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世界のコンセンサスになった南京大虐殺 - 日本の歴史歪曲外交工作の失敗  「世に倦む日日(2015.10.15)」より
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南京大虐殺の歴史資料がユネスコの記憶遺産に登録されたことについて、中国側の関係者がどう発言しているか、日本のマスコミ報道では内在的に紹介した情報がないのでネットで探してみた。華春瑩報道官が10/9の定例会見で語った言葉が北京週報にある。「南京大虐殺と慰安婦の強制連行は、日本軍国主義が中国侵略戦争中に犯した重大な罪だ。中国は歴史に責任を負う態度で申請を行った。これは日本を含む各国の人々が、侵略戦争の残酷さを認識し、歴史を銘記し平和を惜しみ、共に人類の尊厳を守っていくことを促す」。中国政府による公式の論評の全文を見たいが、日本語の検索では見つけることが難しい。華春瑩のこの発言は会見の質疑応答の一部だろう。私も同じ立場で異論はない。1972年に日中国交正常化を果たしたとき、日本の政府もマスコミも国民も、この華春瑩の認識と立場を等しく共有していた。私はそこから動いていない。中国系米国人の団体である「世界抗日戦争史実維護連合会」の副会長の言葉を拾った記事があり、「これは中国政府と海外華人が長年取り組みを続けてきた結果。記憶遺産への登録によって、南京大虐殺という史実の世界的な認知度がますます高まるだろう」と言っている。共感する。2004年に自殺したアイリス・チャンのことを思い出した。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)⇒
魚拓 
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恥知らず  「さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」(2015.10.15)」より
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河野洋平「ユネスコへの拠出金を停止する意見はまったく恥ずかしい」
ユネスコが世界記憶遺産として、第二次世界大戦中の「南京大虐殺」に関する資料を登録したことをめぐり、政権内からユネスコへの拠出金を停止しようという声があがっている。
そのことについて元衆議院議長の河野洋平氏が10月15日、東京・有楽町の外国特派員協会で開かれた記者会見で、「南京で虐殺があったことは日中両国の歴史認識として事実であることが確認されている。問題はそこで何人が殺されたかという点だ。南京事件そのものがなかったのではないか、少し事実と違うのでないか、という議論に持っていくべきではない。事実は事実として認めながら記憶遺産として残す以上、より正確なものを残すために、日中両国がもっと資料に基づく真摯な議論をする必要がある。ユネスコが果たしている役割は相当大きなものだと世界中が認めている。そんなユネスコの活動に大きな影響を及ぼす意見が国内から出てくることは、まったく恥ずかしいことだ」と批判した。(2015.10.15弁護士ドットコム)
(※mono.--中略) 
全く恥ずかしいのは河野洋平です。今や日本の多くの国民でさえ知っている南京の嘘を言い立てて、シナの虐殺は全く言わない河野洋平。自分のためには日本を売っても平気という国賊・売国奴です。
河野洋平のこの発言は少し勉強した日本国民に反論されたら満足に答えることも出来ないお粗末な歴史認識だということがすぐわかります。
そして鳩山由紀夫。
「日本人は黙って決まったことを受入れろ」と批判すら認めない強権的な言論封じ込めそのものです。
マスコミも安保法案の時には「賛成・反対」の世論調査を頻繁にやっていましたが、今回も「あなたは南京のユネスコ世界遺産登録で日本国は拠出金停止に賛成、反対?」と調査すべきではないか。
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南京大虐殺をでっち上げたのは朝日新聞  「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』(2015.10.14)」より
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中国による「30万人南京大虐殺」ユネスコ登録の真の生みの親は朝日新聞社だ!! 
中国の反日教育のシンボルともされるこの記念館において、英雄扱いをされている唯一の日本人ジャーナリストがいる。朝日新聞の元スター記者、本多勝一氏です。71年8月から朝日新聞紙上で連載された『中国の旅』において、南京大虐殺により<約30万人が殺された>と世界で初めて報じた本多氏であります。
当時の本多氏の取材は、中国共産党に案内されたものであり、証言者もすべて党から紹介され、御膳立てされています。犠牲者が三十万人というのも、根拠のある話ではまったくありませんでした。そこに使用されていた写真の多くが全く関係のない「捏造」写真であったこともすでに証明されていて、その事実は昨年ですが、本多勝一元記者自身が認めています。
しかし、この本多氏の報道が南京問題に火をつけたのです。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 
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南京大虐殺をでっち上げたのは朝日新聞(2)  「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』(2015.10.14)」より
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 東京裁判において松井石根被告(元陸軍大将)は南京事件の責任だけで死刑に処せられた。訴因の第一から第五十四までは全て無罪であったのに、第五十五のみが有罪として絞首刑になったのである。
 これを早くから冤罪であると訴えてきたのが、この松井大将に昭和8年から昭和17年12月に応招されるまで、約10年間を民間人として仕えた田中正明先生であった。
 私の日記にはこの田中正明先生との初めての出会いを、感動の一日として次のように記されている。
 「昭和61年11月13日(木) 私は大阪市天王寺区の浪速会館で、明日を考える時局講演会(教育シンポジウム実行委員会主催)に参加をさせてもらいました。
 講師は不朽の名著である『パール博士の日本無罪論』の著者である田中正明先生です。シンポジウムの名称は『過去・現在・未来・錯誤の中にある戦後史観・今こそ近・現代史の核心を問う!』と題されたものでした。
 司会は皇學館学校教諭・三輪尚信先生で、最初に福井大学教育学部助教授・小林道徳先生の講演がありました。当時、私はこのシンポジウムを開催した丸山栄一氏と親交があり連絡を受けたものです。
 なぜ、私がわざわざ大阪まで出かけて行ったかといえば、それは田中正明先生の話をどうしても伺いたいと思ったからです。先生の著書の愛読者でもありました。
 田中正明先生はこの講演の中で、東京軍事裁判の不当性について話をされました。私は先生の書物で初めて南京大虐殺といわれるものが、戦勝国によって捏造された虚偽の事件であることを知ったのです。
 この時の話を箇条書きにメモしてありましたので、それを綴らせて頂きます。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 
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毛沢東が認めた南京虐殺の犯人  「坂東忠信 太陽にほえたい!(2010.7.28)」より
(※mono.前後略、詳細はブログ記事で) 
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さて、1949年に毛沢東が南京市の雨花台に立てた「雨花台烈士稜園」には、南京虐殺の記念碑があります。 
これには、毛沢東の揮毫で、「死難烈士万歳(死せる烈士万歳)」の文字とともに、「国民党政府在雨花台曽経屠殺了三十万共産党烈士」と書かれているのです。 
これは翻訳すると、 
南京虐殺はとんでもない歴史の捏造です。 
 今日は 鈴木史朗氏の「南京大虐殺は真実ではないと思う理由」のご紹介。鈴木氏の回顧録については以前もご紹介しました。歴史は事実の積み重ねによってのみ事実を語るべきでしょう。「中国共産党が、日本軍が30万人もの中国人を殺した」、「日本共産党が、中国共産党がそう言ってるから」では事実とは呼べません。
 「南京入城」 については実際の映像も残っており、公式の記録でも「日本軍の進駐前の南京市の人口は20万人。日本軍進駐後の南京市の人口は25万人」と報告されています。中国国民党軍の横暴を恐れて周辺に避難していた人々が南京市内に戻ってきているんです。この時点で、「中国の主張はウソ」でしかありません。これは日本の先人たちの名誉の問題であり、日本の子供たちの名誉の問題でもあるのですから。 ぜひ皆様の手で鈴木氏の証言を全ての日本国民に届けてください。お願いします。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 
 
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ユネスコ 】
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南京大虐殺、記憶遺産に ユネスコが登録発表  「日本経済新聞(2015.10.10)」より
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 【上海=共同】国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10日、旧日本軍による南京大虐殺に関する資料を世界記憶遺産に登録したと発表した。中国が登録を申請した。中国は従軍慰安婦問題の資料も登録申請していたが、見送られた。
 中国が「旧日本軍の犯罪」の記録と主張する歴史資料がユネスコによって「世界的に重要」と認定されたことになり、習近平指導部は今後、歴史問題をめぐる対日攻勢を一層強めそうだ。
 日本が申請した第2次大戦後のシベリア抑留資料と国宝「東寺百合文書」も登録した。
 中国は「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」と位置付ける今年の登録を目指し、昨年申請した。日本政府は「ユネスコの場を政治的に利用している」と批判し、中国に抗議。申請の取り下げを求めたが、中国は拒否していた。
 各国からの申請案件について、アラブ首長国連邦のアブダビで開かれた国際諮問委員会が審査し、ユネスコのボコバ事務局長が登録を決定した
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改めて呆れた本多勝一氏の卑劣な手口  「iRONNA〔藤岡信勝(拓殖大学客員教授):月刊WiLL〕」より
(※mono.--前半略、詳細はサイト記事で) 
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大虐殺派は公開討論拒否 
 実際、大虐殺派は著書や論文では自信たっぷりにもっともらしいことを書きながら、口頭での討論を呼びかけても出てこない。もうそれだけで、本当は自信がないこと、自信めいた書きぶりは虚勢に過ぎないことがわかる。私が体験しただけでも二つのケースがある。
 私が代表を務めている自由主義史観研究会は1995年、お茶の水で南京事件について公開討論会を開いた。討論会は初めの企画では、大虐殺派、中虐殺派、「虐殺なかった」派の3人の代表的論者を呼んで論争するというものだった。
 私は大虐殺派の第一人者となっている笠原十九司氏に登壇を依頼したのだが、虐殺否定派の人物は学者ではないので同席できない、との返答だった。学者であろうとジャーナリストであろうと一般人であろうと、笠原氏から見て謬論を口にする者は徹底的に論破して懲らしめてやればよいではないか。出てこないのは、逆の結果になることを自覚しているのであろう。
 もう一つのケースは、2012年、河村たかし名古屋市長が南京事件はなかったのではないか、という発言をし、中国共産党に討論を呼びかけた時である。おおもとの中国共産党がそれ以来、南京事件について少しおとなしくなったのは、河村発言の影響があると考えられる。独裁国家の中国にとって、言論統制は権力の命綱である。
    
    
        
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 この問題が起きたときにメディアでは河村バッシングが起こりかけたので、「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって、河村市長を支援する運動を展開した。その一環として、名古屋で開かれた集会に参加したことがあるのだが、それに先立ち、私は日本共産党名古屋市議団に公開討論を申し入れた。彼らは、河村市長の南京事件についての認識の誤りを糾弾する声明を発表していたからである。彼らはもちろん、私との公開討論は拒否した。
 こういう経験があったから、私は本多氏も100パーセント逃げるだろうと予想していた。そして、そのとおりになった。問題はその先である。文書による討論ならどうなのか。これも私は断られるだろうと予想したのだが、意外なことに、口頭での討論にかえて文書による討論にしたい、と『週刊金曜日』側が提案してきたのである。これは私にとっては意外であった。
文書による討論のルール
 もちろん、長年希望してきた機会であるから、受けて立つことはやぶさかではない。まして相手は、1971年以後の南京事件宣伝のおおもととなった本多氏である。相手に不足はない。
 誌上討論をすることで両サイドの意向が一致したので、ルールの検討に入った。まず分量だが、『週刊金曜日』側は一発言を400字詰め原稿用紙で6枚とし、誌面に交互に掲載するという案を提案した。しかし『週刊文春』側は、1、2回程度の記事としてまとめて載せるという考えだった。そこで2人の担当者が直接面会して協議し、結局、1回の発言は3枚(1200字)以内となった。やりとりは5往復とし、相手の書簡を受け取った側は5日以内に返信すること、討論が終わった最後に両者から同時に2枚の感想を寄せることになった。
 どのような形で掲載するかは、両誌の編集権に属する。私としては、長く丹念に書けるので『週刊金曜日』案のほうが有り難かったが、企画を思いついたのが『週刊文春』側だったためか、そちら寄りの結論となった。
 討論の第一信をどこから始めるかについては、両誌の見解は公開質問状に対する私の回答から始め、それを藤岡からの第一信とするというものであった。
 これについては、私には異論があった。公開質問状という形で先方は一回、発言しているわけである。だからそれを本多氏の第一信、それに対する私の回答を私からの第一信として扱うべきである、というのが私の主張である。
 もしそれができなければ、先方の公開質問に対する私の回答を討論とは別枠で行い、改めて討論を開始するという方法もある。こういう討論では、発言量をイーブンにすることが原則である。口頭ならば発言時間を全く同じにすべきだし、誌上討論ならば文字数を同じにすべきなのである。
 しかし両編集部とも、ディベートに関するこの公平の原則のもつ重要性にはあまり十分なご理解をいただけなかったようで、先方の公開質問状は議論の始まりのための別格として扱い、私が第一信で口火を切り、そのなかで公開質問状に回答するとともに反対に私からも質問をする、ということになった。そのように両誌は合意した。
 私は納得できなかったが、それに従った。なにしろ、多少のハンディキャップがあっても、私が勝つのは決まっているのである。
「A記者」の登場に仰天
 以上のような経過があったので、私の第一信はいきなり公開質問への回答から始まっている、本来、第一信は最初の立論の場であり、自己の主張を体系的に述べる場である。私の第一信を期待して読んだ読者のなかには、あまり格調が高くないことに失望した方もおられるに違いない。右のような事情があったことをご理解いただきたい。
 私が第一信を送ってから5日後に、本多氏からの第一信が届いた。私は普通にメールでテキストとして送ったのだが、本多氏は原稿用紙にワープロ打ちしたものをPDFファイルに落として送ってきた。これは字数の遵守に紛れがなく、編集部が手を加えたりしていないという証拠にもなるということであろう。これはこれで一つの考え方であり、異論はない。
 問題は、書かれている文章のほうである。本多氏は自ら文章を書かず、「発端が『週刊金曜日』なので、俺の担当A記者との対話を紹介することにしよう」と言って、そのあとは専ら「A記者」「本多」という発言者名をゴシックにした、雑誌の対談などと同じ形式の文書になっているのである。
 これには心底驚き、呆れた。私は本多氏との誌上討論には同意したが、正体不明の「A記者」なるものと討論することを承諾した事実はない。私は1人で相手は2人だから、変則タッグマッチとでも言うべき不公平な試合だ。極めて失礼であり、ルール違反である。
 両編集部が明文化したルールには「原稿は本人が書くこと」という項目はないが、それは当然の前提だから書かなかっただけである。「俺」という一人称も公的な場の発言として不適切で、相手を馬鹿にしている。もうこの時点で、私にはこの討論を拒否する十分な理由があり、この企画は水に流れてもおかしくはなかった。
 そもそも、「A記者」とは誰なのか。私の周りの読者から聞こえてきた声は三通りある。(1)本多氏の言うとおり、『週刊金曜日』の担当記者であろうという常識的な見方。もしそうなら、せめてその氏名を明らかにすべきである。(2)「A記者」なるものは実在せず、集団でこの論争に対処しているグループ名ではないかという推測。(3)そもそも、「A記者」は架空の創作された人物であるとする説。様々である。
 では、なぜ対談の如きこんな書き方をしたのか。私はSNSの一つであるフェイスブックをやっている。私の「友達」から今回の誌上討論について様々なコメントが寄せられている。この件についてもたくさんの投稿をいただいた。
 80歳を過ぎた本多氏はもう自分で文章を書けなくなっているのではないか、という説がある。その一方で、若い頃から本多氏の文章をほとんどすべて読んできたという方は、これが本多氏の流儀であり、本多氏はボケているどころか極めて頭脳明晰な状態である、と主張している。いろいろな見方があるものだと感心する。私にはどちらが事実に近いのか、知る由もない。
朝日的体質の卑怯・卑劣
 それにしても、卑怯であり卑劣である。後味がよろしくない。この不快感は何かに似ていると思ったが、最初は何だかわからなかった。しかし、数分後に私は気付いた。この不快感こそ、まさに朝日新聞の記事や社説を読んだあとのあの不快感と同質のものなのだ。「朝日のスター記者」本多勝一氏は、まさに朝日的体質を体現していたのである。
 こういう「A記者」なるものを登場させる手法の目的は明白だ。責任逃れである。本多氏は将来、誌上討論の発言で責任を問われかねない事態が生じるかもしれない。その時の保険として、本多氏自身ではなく「A記者」が言ったことにしておけば、逃げを打つことができる。政治家が「秘書が、秘書が」というのと全く同じである。
 今度の吉田清治証言の記事を取り消す時も、朝日新聞は責任逃れの策を様々に弄した。本多氏はなるほど、朝日新聞の一員であったのだと再認識させられた。
 私は討論を打ち切ることもできたのだが、せっかくの機会なので事のなりゆきを確かめることも意味があると考えた。それに何よりも、ご苦労されている両編集部、二人の担当者の努力を無駄にはしたくなかった。断っておくが、私は執筆者の本多氏にはいろいろな思いが生じるのは仕方がないとしても、『週刊金曜日』の担当編集者には、その公正で正確な仕事ぶりに感謝している。
 たとえば、書簡に小見出しを付けるのは各編集部の権限だが、『週刊金曜日』の担当者は、ゲラの段階で私に必ず確認を求めている。私の第一信には、編集部は「南京事件の/『被害者はゼロ』」という見出しをつけた。私は、この見出しでは南京事件の存在を前提にしている印象を与えるので、「南京事件はなかった/『被害者はゼロ』」と訂正するように求めたが、そのとおりにしていただいた。
 話が横に逸れたが、私は討論を続けるために、「A記者」の発言も含めて、書簡に書かれていることの全てを本多氏の発言として扱うことを宣言した。論理的には、それ以外に討論を続ける理由は考えられない。
 驚いたことに、本多氏の第三信では、「A記者」が「私の発言を本多さんの発言とみなすのは『捏造』ではないでしょうか」と言い、それに本多氏が「俺の発言とごっちゃまぜにしてもらっては困る。藤岡氏の史料に向き合う姿勢がわかりますね」と応じて、私の個人攻撃の切り口にまでしている。
 両者を独立の別人格とせよというなら、本多氏としか討論を承諾していない私は、本多氏の相槌だけを対象に議論をすることを強いられることになる。ちなみにある人の計算によると、本多氏の発言量は本多氏の書簡全体の10パーセントだそうである。これがどんなに馬鹿らしいことか、大抵の読者は呆れるのではないか。私は無視して、私の宣言を貫きとおしている。
人名の誤記をめぐって
 本多氏の卑劣さは、討論のなかですぐに表れた。前に引用したとおり、私宛の公開質問状の第一番目は、「約三十万人が殺されたとの記述は、本多編集委員の結論ではなく、姜眼福さんの体験の聞き取りであることをご存知ですか」となっていた。
 私は第一信で、「引用部分が姜眼福という人物の証言として書かれていることは知っていました」と答えた。しかしこのとき、『中国の旅』で問題の箇所を確かめた私はあることに気付いたのだが、それにはあえて言及しなかった。
 すると本多氏第一信で、冒頭に「A記者」が「藤岡氏は名前を間違っています。姜眼福は姜根福の誤りですね」と発言した。私の第一信は、先に述べた事情によって格調高いものにならなかったのだが、誤字の指摘から始まる本多氏の第一信は、それに輪をかけて格調の低いものとなった。
 ところで、これは私が間違ったのではなく、本多氏側がそもそも間違ったのである。『中国の旅』では、この43歳の港湾勤務者は、たしかに「姜根福」となっている。私はこれに気付いたのだが、なにしろ相手は『中国の旅』の著者である。最大のオーソリティーだ。だからひょっとして、本多氏が取材ノートを確かめたら人名の書き間違いだった、ということもありうる。第一、「眼福」のほうが意味をなす言葉ではないか。それで私は食い違いに気付いたが、先方の質問にあるとおりの人名で答えたというわけだ。
 したがって、間違っていたなら非は本多氏側にあるのに、私のほうが攻撃されている。不当なことである。
 ただ、私は第二信でこのことには反論しなかった。字数がもったいないから「細部の応接は次便以降に回します」とだけ書いて、触れなかったのである。
 さすがに見かねた『週刊文春』編集部が本多氏の第一信のあとに「付記」して、〈「姜眼福」という記述は、そもそも「週刊金曜日」編集部からの最初の公開質問状にあった通りの記述である〉と書いて下さった。
 その後、『週刊金曜日』編集部からは公開質問状の誤字の訂正の通知がきた。私は、謝罪が必要ではないか、と返信したところ、謝罪もメールで届いた。このあたり、吉田清治証言の朝日の対応を彷彿とさせる。
 だが私は、本多氏自身が私に謝罪する必要があると思う。なぜなら、本多氏は『週刊金曜日』の編集委員であり、自分の雑誌が犯した誤記を私がしたミスだと勘違いして私のいい加減さを攻撃する材料にしたのだから、氏自身が謝罪するのは当然なのである。私はそれを求めていくつもりだ。
 論争はまだ続いており、この小論では内容に立ち入ることはしなかった。『週刊文春』は後半を年内に一括して掲載し、『週刊金曜日』は一回ごとの往診復信を毎週掲載している。なりゆきを注目していただければ有り難い。
   
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騒動に巻き込まれた英国人  「産経ニュース【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(4)前半】(2014.12.28)」より
(※mono.--全文転記) 
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 中国が主張する「南京大虐殺」は「事実ではない」と主張する英国人ジャーナリストがいる。米紙ニューヨーク・タイムズ元東京支局長で日本滞在50年のヘンリー・S・ストークスだ。「歴史の事実として『南京大虐殺』はなかった。中華民国政府が捏造(ねつぞう)したプロパガンダ(謀略宣伝)だった」と強調する。
 昨年12月に発売した著書『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)は10万部を超えるベストセラーとなった。ところが、この本をめぐってストークスは今年5月、共同通信の記事により「歴史騒動」に巻き込まれた。
 共同通信が5月8日に配信した記事で、問題とした記述は次の通りだ。
 「国際委員会の報告によれば、南京に残っていた人口は、南京戦の時点で20万人だった。しかし、南京が陥落してから人口が増え始め、翌1月には、25万人に膨れ上がった。戦闘が終わって治安が回復されて、人々が南京へと戻ってきたのだ。このことからも『南京大虐殺』などなかったことは、明白だ」
 共同はこの箇所について「著者に無断で翻訳者が書き加えていた」と伝えた。同書は国際ジャーナリストの藤田裕行が翻訳した。
 翌9日、ストークスは祥伝社を通じ「共同通信の記事は著者の意見を反映しておらず、誤り」「本書に記載されたことは、全て著者の見解。訂正する必要はない」との声明を発表した。
 藤田も「共同の記者には問題とされた部分についてのストークスの英文見解をEメールし、誤解ないよう電話で念押しをした。記者は『指摘があったことは了解した』と答えたが、直後に無視し記事を配信した。明らかに意図的な捏造で悪意のある虚報だ」と語る。
 共同通信社総務局は9日、「翻訳者同席の上で元支局長に取材した結果を記事化した。録音もとっている」と反論した。
 あれから7カ月、ストークスは「記者の質問の趣旨を誤解して答えた。だから共同の記事の内容は自分の意見ではない」としたうえで、「南京大虐殺」がなぜ「事実でない」との結論にたどり着いたかを語り始めた。(敬称略)。
 「文献によると、南京市内のあちこちで散発的な暴力行為はあったが『大虐殺』という言葉を使って南京で起きたことを語るべきではない。虐殺はとても血なまぐさく目撃した人の記憶に残るものだが、むしろ日本軍が占領したことで、治安が回復した。『虐殺』より『事件』と呼ばれるべきだ」
 --その理由は
 「そもそも国民政府の蒋介石や軍幹部が首都陥落直前に敵前逃亡し、南京ではあまり戦闘はなかった。中国兵が軍服を脱いで(民間人に偽装した)便衣兵や不良捕虜となったため、日本軍は処断を余儀なくされた。こうした捕虜の処断は国際法に準じて行われたが、大量に処断された。このことは悲惨だった。ただし、日本軍による中国人の処断の数について中国政府が主唱し、一部の識者が追随している万の単位を超えるようなものではなく、20万、30万人という虐殺などあったはずはない。中国の反日プロパガンダ(謀略宣伝戦)だ。(事態を招いた)責任は第一義的に敵前逃亡した国民政府にある。日本軍だけに責任を負わせるのは非道で、蒋介石の責任が問われるべきだ」
 --「外交は無形の戦争である」と語った蒋介石は国際情報戦に力を入れた
 「国民政府は戦わず情報戦を仕掛けた。中央宣伝部が巧みに欧米のジャーナリストを取り込み『大虐殺』を捏造(ねつぞう)した」
英語で立場発信を
 --著書では、慰安婦問題について「実体は、『性奴隷』では全くない。『売春婦』だ」と記した
 「中国と韓国は日本が反論しないため、捏造してプロパガンダを繰り返し、欧米のメディアが追随している。『南京』も『慰安婦』も、このままでは世界から糾弾され続ける。日本は全ての事実を明らかにし、英語で日本の立場を世界に発信してゆくべきだ。訴え続けなければ歴史的事実として確定してしまう」
 --『虐殺』の存在を否定した欧米人ジャーナリストとなった
 「この10年で北村稔、東中野修道ら日本の学者によって研究が進み、中国側史料からもいわゆる『虐殺』はなかったということが明白になってきたからだ。日本を深く知れば知るほど、『南京虐殺』に対する認識が変わった」
--他の欧米ジャーナリストから批判されたか
 「出版以来、外国特派員の同僚や英国の友人から『クレージー』『子供じみている』など多くの批判を受けた。しかし、仲間から『リビジョニスト(歴史修正主義者)』『右翼』などと呼ばれようと自分の主張は変えない。この主張に自分の存在をかけている。たとえ1人で孤立しても、それを誇りに、信念を持って世界に伝えたい」
東京裁判は復讐劇
 --「勝者の裁き」を受け入れた「東京裁判史観」からの脱却を著書で訴えた
 「来日当時は戦勝国史観を疑うことなく信奉していたが、半世紀にわたり日本と日本人を知るうちに、そもそも東京裁判は戦勝国の復讐(ふくしゅう)劇であると考えるようになった。戦勝国が全能の神であるかのように日本の罪を裁くことに違和感を覚えた。実際にインド人判事のラダ・ビノード・パールは『全員無罪』とした。オーストラリア人高裁判事のデール・スミスは30年研究して『司法殺人?』と題する本を出版している。ところが戦後の日本が東京裁判に基づいた歴史観を受け入れたかのような政治・外交姿勢を取り続けているのは、情けなく愚かなことだ。史実に反するプロパガンダである東京裁判史観から脱却しなければいけない」
 --具体策は
 「外務省はじめ政府が真実を世界に発信しなければいけない。国を挙げて宣伝のためのシンクタンクを設立するのも一考だ」
◇
【プロフィル】ヘンリー・S・ストークス 1938年英国生まれ、61年オックスフォード大学修士課程修了後、62年英紙フィナンシャル・タイムズ社に入社し、64年に初代東京支局長に就任。その後も英紙タイムズや米紙ニューヨーク・タイムズの東京支局長を歴任した。作家の三島由紀夫とも親交があった。
◇
 この企画は岡部伸、上海・河崎真澄、田北真樹子、ロサンゼルス・中村将、北京・矢板明夫が担当しました。次回は南京攻略に参加した日本兵の証言を特集します
 本多勝一はこう述べているそうです。
「『中国の日本軍』のキャプションが『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているという指摘は俺の記憶では初めてです。確かに『誤用』のようです」
 「中国の日本軍」とは「中国の旅」の写真集版です。
 この写真のおおもとの出典は「アサヒグラフ」1937年(昭和12年)11月10日号で、キャプションは【我が兵士に守られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女史供の群】となっています。
 それが、「中国の日本軍」のキャプションでは【婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ】となっており、アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」では、【日本軍が女性や子供を狩り集めて売り飛ばした】となっていました。
※この件の詳細こちら
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 ところがそこで語られている日本軍の行為は、日本人の感覚からは考えられないものでした。
 南京戦に参加した元日本兵でご健在の方々がまだ多くいた時期ですし、朝日新聞読者も含めて「記事に対するごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した 」(「朝日新聞社社史」)そうです。
 それどころか社内でも批判が上がりました。
当時従軍した記者たちが取材した南京と、「中国の旅」に書かれている南京とでは全く違っていた からです。
 日本軍が南京城内に入ったのは1937年(昭和12年)12月13日です。
「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。十四日午前表道路を走る自動車の警笛、車の音を聞くともう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」 (東京朝日新聞12月16日)
 
■「南京大虐殺」派の象徴的な人物で国際的にも著名な元朝日新聞のスター記者だった本多勝一氏が、アイリス・チャンの『レイプ・オブ・チャイナ』や反日左翼が「南京大虐殺」の象徴と使っていた、あの橋の上を中国人老若男女が歩いていた写真を捏造写真と認めたコメントを、今日発売の『週刊新潮』のグラビアページに寄せています。
これは、「南京大虐殺」派の象徴的な人物のコメントとして歴史的な意味があり、「南京大虐殺派」にとっても歴史的な事件なのです。
この『週刊新潮』は、「南京問題論争」の歴史的な資料になりますので、永久保存版として所蔵する価値があります。
これを起点に朝日新聞の「慰安婦検証」から「南京問題検証」へのスタートにするためにも、『週刊新潮』編集部へ、南京問題の写真を継続して取り上げることをお願いしてください。
資料の価値を一般国民に知らしめることは、同写真の背景を『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』で写真とともに解説していても1万人の読者諸賢だけが覚醒していても世論になるには程遠いのが現状です。しかし、『週刊新潮』に取り上げられれば、発行部数から銀行や医院などの待合室に置かれることで数百万人が見ることになり、その影響力は絶大です。
すでに覚醒されていらっしゃる皆様方が、『週刊新潮』を激励していただけば、朝日新聞「南京問題記事の検証」へ一気呵成に追いつめることも可能になります。
この記事に関して、今日(9月18日)チャンネル桜でも検証報道しますので、視聴していただければ幸いです。
 
むしろ歴史学者同士の言論戦に任せるべきであり、中国や韓国の歴史学者は論争の相手にはならずテープレコーダーのような反論が返って来るだけだ。アメリカのリベラルマスコミや学者も確信犯だからなかなか論争になりません。しかしリアリストや保守系の学者の中には日本の主張を理解してくれる学者もいないわけではない。
しかし大東亜戦争が植民地解放や人種差別撤廃の戦いと言った歴史観に理解を示す欧米の歴史家はごく少数であり、アメリカに至っては東京大空襲や広島長崎原爆投下などで一般市民を大量虐殺した原罪を抱えるアメリカの歴史学者は認めるわけにはいかない。アメリカはインディアンの大虐殺や黒人奴隷やメキシコやカナダやスペインやハワイ王国などから領土を分捕って大国となった国であり、国家そのものが略奪国家だ。
だからアメリカの学者と論争しようにも議論が噛み合う事はまずないでしょう。いわゆる歴史修正主義者のレッテルを張って力で抑え込もうとしてくる。アーミテージにしても従軍慰安婦問題には反論するなと圧力をかけて来ています。本来ならば外務省あたりが反日運動に対して動くべきなのでしょうが、反論すると騒ぎが大きくなるから何もしないというのがスタンスだ。
(※ 中略、詳細はブログ記事で) 
その意味では英国は原爆を使用していないし、東京大空襲もしてないから議論もしやすいし、英国は歴史学のレベルも高いから議論は成り立つかもしれない。ヘンリー・S・ストークス氏は英国人だからこのような本を出せたのでしょうが、アメリカ人だったら驚きだ。
 そんな扇情的な見出しがネット上で拡散したのは、先週5月8日のことだった。記事配信のソースは共同通信。米フィナンシャル・タイムズ紙やニューヨーク・タイムズ紙の東京支局長を歴任したヘンリー・S・ストークス氏が上梓し、現在ベストセラーとなっている『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)の中にある一部記述を巡って、著者である同氏の許諾なく、翻訳者が「『南京大虐殺』などなかった」と無断で加筆したとする糾弾記事だった。
 槍玉に挙げられた「翻訳者」、藤田裕行氏は、外国特派員協会所属の国際ジャーナリストでもある。共同通信の取材に対し藤田氏は、「『南京大虐殺』とかぎ括弧付きで表記したのは、30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」と説明しているものの、著者であるヘンリー・S・ストークス氏は「『わけの分からない釈明だ』と批判した」と書かれている。額面通りに受け取れば、著者の意向を無視した翻訳スタッフの暴挙と取られても仕方のない話だが、不思議なことに記事の出た翌日9日には、今度は出版元から著者であるストークス氏の名で「(無断で加筆したとする)一連の記事は誤り」であり、問題とされた記述についても「訂正する必要を認めません」と、今回の報道を全面否定する見解が出されたのだ。
 なぜこのような事態になっているのか。今回の改ざん疑惑の当事者である藤田裕行氏が話す。
「共同が配信したのは、明らかに意図的なねつ造記事です。今回の記事では、当該書籍の第5章の最後の、特にラスト2行に問題があるといった書かれ方をしましたが、全編を読んでもらえれば誰にでも納得してもらえる書き方をしており、悪意のある虚報としか言いようがありません」
    
    
        
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 実際に問題とされている「第五章 蒋介石、毛沢東も否定した『南京大虐殺』」の最後の一文を以下に引用してみよう。
<国際委員会の報告によれば、南京に残っていた人口は、南京戦の時点で20万人だった。しかし、南京が陥落してから人口が増え始め、翌一月には、25万人に膨れ上がった。戦闘が終わって治安が回復されて、人々が南京へと戻ってきたのだ。
 このことからも、「南京大虐殺」などなかったことは、明白だ。歴史の事実として「南京大虐殺」は、なかった。それは、中華民国政府が捏造した、プロパガンダだった。>
 繰り返しになるが、今回の記事には、「30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかった」とする藤田氏の弁明が掲載されているのだが、このコメントの直後、「(そうは言っているものの ※編集部註)同書中に説明がない」と斬り捨てている。だが、本書を丹念に読み返してみても、記者が「説明がない」と主張する根拠は、膨大な資料の引用とともに随所で触れられており、よほど偏った読み方をしなければ、ヘンリー・S・ストークス氏が、そもそも南京で起こった歴史的真実を論じる際、「大虐殺」という表現を使うべきではないと考えていることは容易に窺い知れるのだ。藤田氏が続ける。
「インタビューがはじまったときから、ストークス氏は日本語の意味を誤解して質問に答えていました。取材後に彼の誤解を解き、すぐ担当記者にメールでストークス氏の英文の見解も送っています。見解は、9日に出版社が出したものと同様の内容ですが、8日の共同通信の記事配信がされる前に出しているのです。取材をした日本人記者は、『まだニュースは配信していません。藤田さんの意向は了解しました』と電話で言明した。それにもかかわらず、それらをすべて無視して記事を配信させた罪は重い。これは、著者のストークス氏を陥れたも同然の捏造報道だ」
 問題となっている本書のまえがきには、こんな一文がある。
<いま国際社会で「南京大虐殺がなかった」と言えば、もうその人は相手にされない。ナチスのガス室を否定する人と同列に扱われることになる。これは厳粛なる事実だ。だから慎重であらねばならない。> 
同4頁から
 著者であるヘンリー・S・ストークス氏は、繰り返しこの自らのスタンスを繊細に、かつ旗幟鮮明に述べており、それでも、「日本が日本の立場で、世界に向けて訴え続けていかなければ、これは歴史的事実として確定してしまう。日本はこれまで、こうした努力が異常に少なかった」と警鐘を鳴らしている。
 今回の共同通信の第一報を受け、中国系メディアは、ここぞとばかりに「日本の翻訳者が『右翼宣伝』」(Record China)、「誰かの発言のように装って主張するのは卑怯だ」(環球時報)などと報じている。ここ数年、日々“ジャパン・ディスカウント運動”に精を出すかの国に対し、一矢報いる問題提起としてはうってつけの本であったため、このような騒動になってしまったことが残念でならない。<取材・文/日刊SPA!取材班>
   
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南京虐殺加筆報道を著者「否定」 記事正確と共同通信  「47 news(2014.5.9)」より
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 米ニューヨーク・タイムズ紙元東京支局長が、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と自著で主張した部分は翻訳者による無断加筆だったとして、修正を求めていると伝えた共同通信の報道について、出版元の祥伝社は9日、これを否定する「著者の見解」を発表した。
    
    
        
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 著書は「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)。元東京支局長は共同通信の取材に対し「(翻訳者に)後から付け加えられた。修正する必要がある」と明言していたが、「著者の見解」では「記事は著者の意見を反映しておらず誤り」と指摘している。
 共同通信社総務局は「翻訳者同席の上で元東京支局長に取材した結果を記事化したものです。録音もとっており、記事の正確さには自信を持っています」としている。(共同)
   
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南京虐殺否定を無断加筆  「日刊スポーツ(2014.5.8)」より
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 米ニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長が、ベストセラーの自著「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と主張した部分は、著者に無断で翻訳者が書き加えていたことが8日明らかになった。
    
    
        
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 英国人の著者ヘンリー・ストークス氏は共同通信に「後から付け加えられた。修正する必要がある」と述べた。翻訳者の藤田裕行氏は加筆を認め「2人の間で解釈に違いがあると思う。誤解が生じたとすれば私に責任がある」と語った。
 同書はストークス氏が、第2次大戦はアジア諸国を欧米の植民地支配から解放する戦争だったと主張する内容。「歴史の事実として『南京大虐殺』は、なかった。それは、中華民国政府が捏造(ねつぞう)したプロパガンダだった」と記述している。
 だがストークス氏は「そうは言えない。(この文章は)私のものでない」と言明。「大虐殺」より「事件」という表現が的確とした上で「非常に恐ろしい事件が起きたかと問われればイエスだ」と述べた。
 藤田氏は「『南京大虐殺』とかぎ括弧付きで表記したのは、30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」と説明した。
 だが同書中にその説明はなく、ストークス氏は「わけの分からない釈明だ」と批判した。
 同書は昨年12月に発売、約10万部が売れた。ストークス氏単独の著書という体裁だが、大部分は同氏とのインタビューを基に藤田氏が日本語で書き下ろしたという。藤田氏は、日本の戦争責任を否定する立場。ストークス氏に同書の詳細な内容を説明しておらず、日本語を十分に読めないストークス氏は、取材を受けるまで問題の部分を承知していなかった。
 関係者によると、インタビューの録音テープを文書化したスタッフの1人は、南京大虐殺や従軍慰安婦に関するストークス氏の発言が「文脈と異なる形で引用され故意に無視された」として辞職した。(共同)
   
 
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講演録に記載されているように、NHKラジオの番組「真相はこうだ」で日本人に対する洗脳が始まりました。
NHKは開設当初から、日本を毀損するために生まれた放送局だったのですね 。
南京大虐殺をはじめとする日本を貶めるための捏造は、GHQから現在は中国・韓国へと受け継がれました。
公共放送であるNHKが特定のNPOの宣伝めいた番組や、クローズアップ現代などの一見知的情報番組を流しているときは要注意です。
バラエティ番組に何故かいきなりキムチが出てきたり、サムソンの携帯を持ち上げる番組を作ったり。
韓国関係のニュースは負の報道はしません。海外ニュースを観ればその偏りが解ります。
(※ 後略) 
 
 ・<水間さんより>いつもお世話になっております。二階堂さんに記事が転載され、この二十数年間で初めて南京問題にケリをつけれそうになりました。南京市で3月2日に予定されていたロサンゼルスオリンピック金メダリスト山下泰裕氏の交流イベントに続き、「AKE48」の公演も中止になりました。芸能界にまで影響が出てきて、俄然、南京問題が注目されることになり、河村名古屋市長が〈『南京の実相』の一次資料を見れば、「南京大虐殺」が無かったことが分かります〉と、一言マスコミの前で言ってくれれば、南京問題にケリがつきますので、どなたかに助言していただければと思っております。宜しくお願い致します。
 
 ・実は中国人自らが南京大虐殺を歪曲していることは、ずっと見過ごされてきた。まずはこうしたやり方を直さなければ、われわれが日本人を責め立てることはできない。
  新中国成立後、最初に南京に建てられたのは、蒋介石に処刑された20万人の共産党員を祀る「雨花台烈士記念館」だ。南京大虐殺記念館が建てられるのは、その30年後になる。いわゆる「文化大革命」の時代には国民党に虐殺された革命烈士への追悼がブームだった。
 ・南京大虐殺で名前が分かっている犠牲者は3000人ほどしかいない。広島は1946年から毎年8月6日に追悼式典を行っているが、南京で追悼式典が始まったのは1985年。広島には毎年首相が出席しているが、南京では市長さえも毎年来るか来ないかといった感じだ。
(※monosepia - とはいえ、3000人であっても、それが一般市民に対する殺人であるなら、「虐殺」といえるような気がする。大虐殺があったかなかったかを犠牲者数で判断するとするなら、一体何人からが虐殺となり、大虐殺は何人からなのか、3000人なら戦時下の止むを得ない殺人であったのか・・・・私には分からないことばかりだ。)
 
 ・(中国通信=東京)東京24日発新華社電によると、外務省の横井裕報道官は同日、日本政府は旧日本軍が中国の南京で大虐殺を行った事実を否定しないと語った。
  南京大虐殺に関する事実関係については意見の食い違いがみられるが、旧日本軍が南京城に侵入してから、非戦闘員に対して強奪と殺戮を行った事実を否定することはできない。
 
 
 ・アマゾン日本は、さすがチャン社長が中国人だけあって、なにが中国にとってどの南京本が都合が悪いかよく分かっているようです。 
 
 ・達人様~推奨する参考記事   (※mono注: ぜひブログ記事を直接お読みください。)
   「なぜ日本は戦わねばならなったのか」  
 ・。「坂の上の雲」ストーリーは格好いいですがちゃんと日露戦争にはシナリオライターがいてそれを舞台で演じる役者がいたわけで司馬遼太郎の全く知らない世界が本当はあったのです。英国のシナリオライターですからね,サラ・ブライトンの歌を最初にもってきたのなんてさすがNHKでしょうか。歌唱力で圧倒する「森麻季」さんを1部から3部まで........とはいかなかったですね。
 
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   「国家が行うべき歴史認識」 
 ・戦後占領政策でGHQは、この教えに従い忠実にそれを実行したのである。検閲で日本の歴史を消去し、WGIPで 新しい歴史を創造した。
 
例えば、「太平洋戦争」という言葉は、元々なかった。元々は 「大東亜戦争」と呼んでいた。GHQの占領政策によって 「大東亜戦争」は検閲により消去されWGIPによって「太平洋戦争」に塗り替えられた。
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   「WGIP」 
 ・こうした原爆問題と東條証言による連合国・米政府への批判の高揚に対抗して、戦争犯罪宣伝計画の第3段階が展開されたのである。
 
その内容は、それまでの段階以上に、繰り返して日本人に「日本が無法な侵略を行った歴史、特に極東において日本軍が行った残虐行為について自覚」させようとし、特に「広島と長崎に対する原爆投下の非難に対抗すべく、密度の高いキャンペーン」を行おうとしたものである。
日本の「侵略」や「残虐行為」は、原爆投下の免罪のために強調されたのだ。そして、日本は犯罪国家だから原爆を投下したのは当然だ、悪いのは日本の軍部指導者である、という意識が徹底的に植え付けられました。特に、東條証言で陳述された日本側の言い分を一切認めず、日本国民が連合国批判に向かわないように、宣伝したのである。 
 
 ・南京大虐殺があったかどうかの問題は、歴史学界などで検証されるべきなのですが、なかなかそれが行なわれないのは、無かった事を証明することは難しく、あったとする方が証拠を示して証明しなければならない。南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、証拠写真とされる展示物も検証すると南京大虐殺を証明するものは一つもないということです。
もちろん日本と中国とで15年に及ぶ戦争が行なわれたのだから、多くの戦闘で兵士や一般市民も巻き添えで亡くなられたのでしょうが、いわゆる南京大虐殺は本当にあったのかどうか、素人にも分かるように証明して欲しいものだ。東京裁判が行なわれていた頃なら証人や物的な証拠も沢山あるはずなのですが、法廷で証言されたのは神父が一人殺害されたのを見ただけのものだ。30万人もの大虐殺が行なわれたのなら、中立国の記者も沢山いたのだから目撃者がいるはずだ。
 
 ・中国人の嘘つきぶりは世界中で有名だが、南京事件もその一つだろう。
 ・それにしても今回の中国は、いつもの反日の過激さは見られない 。名古屋にある中国領事館の代表は、一応は名古屋市役所を訪れて抗議している。
  しかし何故かフォローした。
  「河村市長の発言は彼自身の見解であり、名古屋市は別の見方を持っているのではないかと思う 」
  いつもの中国人特有の激しさがない 。
 
 ・アマゾン日本の社長は、香港出身のチャン社長と明らかにしてありますが、中国から「準国防動員法」での指令をうけたのか。『南京の実相』に対して、露骨な嫌がらせを始めています。 
 ・ここまで露骨な嫌がらせをアマゾンがやっていることは、『南京の実相』が、南京関連本の中で中国が一番嫌がっていることを証明してくれたことになります。
 
 ・本来は、自民党総裁、幹事長、派閥の長が発言すべきことだが、彼らは逃げていた。
  さて、私も南京虐殺について、「かなりの読書家の有名帝大卒の方」と議論になった。
  以下は、私と先方との議論の一部始終である。
 ・南京事件を巡る論争や応酬は、一昔前によく行われていましたが、久々に登場しました。中華人民共和国は、一党独裁の国ですから政治的な自由は認められておらず、歴史認識においても政府公認のものしか認められていません。そんな国と歴史論争をしても不毛であり、問題提起をしたところでいざこざを引き起こすだけです。
 
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最終更新:2025年04月28日 18:33