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● トゥーレ協会〔Wikipedia〕
トゥーレ協会 (トゥーレきょうかい、Thule-Gesellschaft)は、1918年にミュンヘンで結成された秘密結社。トゥーレはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』『トゥーレの王』にも登場する伝説の地「トゥーレ」から命名された。
極端な民族主義・反ユダヤ主義を標榜して第一次世界大戦後のバイエルン州で勢力を拡大してレーテ共和国 (Räterepubliken) 打倒に大きな力を及ぼし、また、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の母体の一つともなった。

■ ナチスと秘密結社
ナチス前史を溯って行くと、19世紀末ウィーンに芽生えた2つの宗教的サークル(秘密結社)に行きつく。ランツが創設した「新テンプル騎士団」と、リストが創設した「リスト協会」である。そしてこの2つの黒い流れは、「帝国ハンマー同盟」の姉妹地下組織「ゲルマン教団」を媒介にして合流し、第一次世界大戦後のミュンヘンにおいてナチスの思想的母体となった「トゥーレ協会」を生み出す。そしてこの「トゥーレ協会」が生み出した右翼政党が「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」、すなわち「ナチ党」であった。
■ ナチスとチベットの妖しい関係 「ナチスの狂気」より





■ 大戦後、「西側」で育てられたナチスのネットワークがウクライナのファシスト体制を生んだ恐怖 「櫻井ジャーナル(2014.3.23)」より
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 ウクライナで実行されたクーデターの目的は「西側」の「国境なき巨大資本」にとって都合の良い体制を築くことにあり、その実行部隊はネオ・ナチだった。だからこそ、キエフに成立した暫定政権がオリガルヒ(「西側」と結びついた一種の政商)とネオ・ナチで成立している。
 ネオ・ナチはヨーロッパ各国で規制されているように見えるが、裏では国家機関、国際機関、巨大資本などによって守られ、育てられてきたのだ。以前にも書いたことだが、ナチスの母体はロシア革命の翌年に創設された「トゥーレ協会」というカルト色の濃い貴族主体の団体だと考えられている。ロシア革命で国を追われた帝政ロシアの貴族も関係していたようだ。資金面を支えたのはドイツやアメリカの巨大資本。
 そして1919年に「ドイツ労働者党」が結成され、翌年には「ナショナル社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」に改称された。当初の支持者は労働者階級が多く、「反ユダヤ」は主張されていたものの、「反資本主義」でもあった。そうした中から1921年にSA(突撃隊)が作られる。
 ドイツでは「左翼」のSPD(社会民主党)とKPD(コミュニスト)が反目、その間隙を縫ってナチスが勢力を伸ばして1932年には第1党となり、翌年にはアドルフ・ヒトラーが首相に選ばれた。そして引き起こされたのが国会議事堂の放火事件。ナチスはKPDが実行したと宣伝、同党を非合法化した。続いて労働組合が解散させられ、SPDも禁止されてしまう。そして1934年、ナチスの中で労働者系だったSAの幹部がSS(親衛隊)によって粛清/虐殺され、巨大資本とナチスとのつながりが強まる。
 この当時、アメリカ国務省の内部ではファシストを敵視するニューディール派とコミュニストを敵視するリガ派が存在、対立していた。リガ派とは、ラトビアのリガ、ドイツのベルリン、そしてポーランドのワルシャワの領事館へ赴任していた外交官たちが中心で、ジョージ・ケナンやジョセフ・グルーも含まれていた。第2次世界大戦後、日本を「右旋回」させたのは、このリガ派に連なる人びとだ。
 大戦後、アメリカの反コミュニスト派はローマ教皇庁の協力を得てナチスの大物を逃走させるルートを築いた。いわゆる「ラット・ライン」だ。1947年からアメリカの第430 CIC(米陸軍対諜報部隊)のジェームズ・ミラノ少佐が統括することになる。この逃走工作には、現代版の「神聖ローマ帝国」を夢想していたクルノスラフ・ドラゴノビッチ神父も参加していた。
 また、ナチス親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーは大戦の終盤に仲間を逃がすために「ディ・シュピンネ(蜘蛛)」を組織、スペイン、アルゼンチン、パラグアイ、チリ、ボリビアなどへ逃がして人数は約600名と言われている。やはりナチスの逃走組織ODESSAにも関わっている。
 後にスコルツェニーは拘留されるが、1948年に脱獄、バイエルンの農場に隠れる。その農場を所有していたのはイルセ・リトイェなる女性で、後にふたりは結婚する。彼女のオジにあたるヒャルマール・シャハトはナチス時代、ドイツ国立銀行総裁や経済相を務めた人物。彼自身も戦後、非ナチ化法で有罪になって収監されたが、高等弁務官のジョン・マックロイに助け出されている。マックロイはロックフェラー財閥と関係が深い。
 ドラゴノビッチのルートでアルゼンチンへ逃れ、ボリビアで活動したクラウス・バルビは1947年にCICに雇われるが、ジャーナリストのアレキサンダー・コックバーンとジェフリー・クレアーによると、「死刑になる可能性があるバルビをフランスに引き渡すことはない」とマックロイは語っている。
 その頃、アメリカ国務省はナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力、つまりファシストを助け、雇い始める。いわゆる「ブラッドストーン作戦」だ。当然、スコルツェニーたちの逃走工作とリンクしている。ファシストを戦後のアメリカ政権は守った。ここにニュルンベルク裁判と東京裁判の本質が示されている。前にも書いたことだが、アメリカとファシストを結ぶ「深層海流」を隠し、責任の追及を止めることが最大の目的だったと考えるべきだ。
 大戦中、アメリカとイギリスはゲリラ戦を目的としてジェドバラという部隊を編成、その人脈は戦後、OPCという極秘の破壊工作(テロ)組織を作り、ヨーロッパではソ連との戦争を想定して「残置部隊」を編成した。後にNATOが創設されると、その内部に入り込み、「NATOの秘密部隊」とも呼ばれるようになる。中でもイタリアのグラディオは有名。NATOへ加盟するためには、秘密の反共議定書にも署名する必要があるともいう。こうした秘密部隊のネットワークはOPCと強く結びついている。
 1960年代から「NATOの秘密部隊」は西ヨーロッパの「左翼勢力」を潰すために動き始める。その一例がイタリアで実行された「極左」を装った爆弾攻撃。左翼への支持を減らし、治安体制を強化、ファシズム化を推進することが目的だった。いわゆる「緊張戦略」だ。
 1950年からスペインで保護されていたスコルツェニーは1970年、アメリカのジェームズ・サンダース大佐と「パラダン・グループ」を創設、元親衛隊の隊員のほか、右翼やナショナリスト団体からメンバーを集めて軍事訓練、ネオ・ファシストのネットワークを築く上で重要な役割を果たしている。
 ウクライナのネオ・ナチはOUNのステファン・バンデラ派を源流としているが、このグループが合流してできたWACL(世界反共連盟、現在の名称は世界自由民主主義連盟/WLFD)にもパラダン・グループは関係している。
 そうしたネオ・ナチに含まれるUNA-UNSOは2006年頃、エストニアにあるNATO系の施設でメンバーが軍事訓練を受けたと言われているが、NATOの秘密部隊に属していると主張する人もいる。この辺は真偽不明だが、ネオ・ナチの歴史を振り返ると、そうであっても不思議ではない。ナチズム/ファシズムは戦後も生き続けてきた。ウクライナにファシスト国家が誕生する意味は大きく、人類存亡に関わる。













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最終更新:2024年09月04日 20:16